安土街道 築城日誌 (安土らくらく倶楽部)

安土山下の日々と塚又商店主の日常・・・

市の防災訓練に参加しました!

2018年08月26日 | まちの話題
☆猛暑の8月最後の日曜日(26日)は、早朝より『近江八幡市防災総合訓練』に参加しました

☆場所は、近江八幡市総合運動公園グラウンドです。
☆私が所属します滋賀県LPガス協会近江八幡支部の会員は、7時20分集合です。
☆滋賀県LPガス協会近江八幡支部と近江八幡市は、「災害応急復旧に関する協定」を結んでいます。
☆訓練人員、35名。車両4台。
 毎年の事ですが・・・服装は、専用ヘルメット、紺の作業服、黒長靴、軍手と統一しています
☆ほぼ定刻通り、8時15分、訓練開始

☆小西(市長)本部長から指示を受け・・・、「ガス配管応急復旧」と・・・、

☆「臨時炊事場の設置」を行いました。
☆この行事が終了すると、「私の暑い夏が終わったナ・・・。やれやれ。」となります。
 

☆翌日、8月27日の京都新聞朝刊(滋賀版)には、当日の様子が掲載されていました。
 文中には、「ガスの復旧作業・・・」と私共の活動が活字になっていました

台風20号!

2018年08月24日 | まち歩き
☆8月23日夜から24日未明にかけて、四国に上陸した台風20号は、西日本を縦断し、深夜に、滋賀県に最も接近しました。

☆午前中、㈱三村造園の社長さんが給油にこられ、「沙沙貴神社の樹木が倒れたので行ってくる」との事で、しばらくしてから、私も「視察」に行きました。
神社敷地、北の角地のツバキが根元から道路側に倒れ、電線に乗りかかっていました

☆台風は、午前0時頃に、兵庫県姫路市に再上陸し北上したので、私の住む安土町も深夜の時間帯、ずっと南東からの暴風雨が吹き荒れていました。
☆ですから、弊社敷地の松の葉も全て同じ向きに傾いていました
☆他にも、西の湖畔のヤナギの木が真ん中から折れていたり、農道の看板が根元から倒れているのを目撃しました。
ではまた

暑いぞ!あづフェス!!カキ氷!!!

2018年08月11日 | まちの話題
☆8月11日。『山の日』今日も暑いです

☆安土町には、7月9日の梅雨明け以来雨らしい雨が降っていません。
(7月29日未明の「台風12号」も慈雨とはなりませんでした。)

☆そんな、とても暑い夏空の下、安土小学校の敷地内で、第1回・あづちサマーフェスティバル『あづフェス』が開催されました
☆時の流れと共に安土町で無くなっていく「盆踊り」や「花火大会」に代わるイベントをしたいと、安土町商工会青年部や一般の若手有志が企画・運営されました

☆午後5時~9時までの4時間のイベントです。
安土小学校の玄関前広場と中庭には、ゲーム参加券?や景品抽選券を配布する「受付」や、地元の各種団体が運営する模擬店のテントが10張り、出店されました。

☆校舎北側運動場の中央には、櫓(やぐら)と簡易ステージが設けられ、その周りには手作りゲームコーナーが配置されました。浴衣や甚平姿の子供たちが楽しそうです

☆また、運動場西側には、近江八幡市消防団安土分団の消防車が展示され、同時に、消防団員の皆さんが会場警備を担当されました。

☆簡易ステージでは、開会セレモニーの後、5時半から約2時間、地元自治会や各種団体・個人による「出し物」発表です

☆7時半から8時半までの1時間は、『江州音頭』の盆踊り大会です参加団体が多かったので、半分ずつ、前後半に分けて踊られました
☆8時半からは、地元商工会加盟店などが提供された素敵な景品が当たる抽選会
☆そして、最後は、校舎の壁面を利用してのプロジェクションマッピングによる『花火大会』がありました

☆私はと云うと、安土楽市楽座の模擬店でカキ氷を400杯以上販売させていただきました
☆「かき氷」はとても冷たかったのですが、隣では同士が「みたらし団子」をガンガン焼いていたので、テント内はとても暑いのでした。終日、行列が途切れず、ヘトヘトでした


☆なお、8月14日の『中日新聞・滋賀版』には、その様子が掲載されました。

お墓参りの帰り道 / 折れた「石碑」修復されてる

2018年08月05日 | テレビ・ラジオ
☆8月5日、日曜日。

☆今日も暑い日です

☆朝から、安土町慈恩寺の『金勝山 浄厳院』へお墓参りです。
☆まだ、8時過ぎではありますが、既に、10台以上駐車しています。

☆境内の百日紅(サルスベリ)がキレイです

☆墓地入口の受付テント(何年か前から、浄厳院檀家の皆さんがやっておられます)にて、回向(えこう・墓勤め)をお願いしました。(二千円です。浄土宗の短いお経ではありますが、焼けるような日差しの下では、お坊さんも大変ですね。)南無阿弥陀仏。

☆帰り道は、寺院南側の楼門前からぐるっと廻って、JR琵琶湖線と平行に東西に走る「県道下豊浦鷹飼線」の慈恩寺交差点まで戻ってきました。
 ・・・前方の急坂の踏切を渡ると。浄厳院の通用門(北門)に通じています。

☆その交差点の南西角に『安土浄厳院』と刻まれた石碑が建っています。
 後ろの住宅は近年、建築されたものですが、この石碑は「明治時代」からここに有ります。
☆この県道は、昔、「朝鮮人街道」もしくは、「下海道」「浜街道」とも云われた主要道でした。
 この交差点は、街道から浄厳院へ行く為の最短ルートでありますから「案内用」石碑があって当然です。

☆その石碑が、今年の初夏、根元から折れる事故がありました。
 どうやら、出会い頭の交通事故の巻き添えに合ったのだそうです。(私の記憶では、これまでに、無い。)
☆しばらく、折れたままの状態で放置され、ある時、撤去されていましたので、このまま、無くなってしまうのかと心配しましたが、つい先日、修復され、元の場所に戻されていました
☆ドライバーの皆さん、くれぐれも「石碑」には注意して下さい。