柳家権太楼 古今亭志ん輔 柳家さん光による
「35周年記念」第139回長野落語会が開催されました。
芝浜 権太楼
抜け雀 志ん輔
悋気の独楽 さん光
江戸落語の素晴らしさ、古典落語の醍醐味を感じた
落語会となりました。
権太楼師、志ん輔師の熱演に満場の拍手となりました。
私も権太楼師匠の「芝浜」に涙腺は開いてしまいました。
「ごんべえ」さんが、今年限りでお店を閉じるとのことです。
今まで、チケットの販売や直会など、長野落語会への配慮をいただき
世話人一同、感謝の気持ちでいっぱいです。
感謝の気持ちを込めて、両師匠の色紙と花束を贈らせていただきました。
「35周年記念」第139回長野落語会が開催されました。
芝浜 権太楼
抜け雀 志ん輔
悋気の独楽 さん光
江戸落語の素晴らしさ、古典落語の醍醐味を感じた
落語会となりました。
権太楼師、志ん輔師の熱演に満場の拍手となりました。
私も権太楼師匠の「芝浜」に涙腺は開いてしまいました。
「ごんべえ」さんが、今年限りでお店を閉じるとのことです。
今まで、チケットの販売や直会など、長野落語会への配慮をいただき
世話人一同、感謝の気持ちでいっぱいです。
感謝の気持ちを込めて、両師匠の色紙と花束を贈らせていただきました。
志ん輔師、昔から好きです。粋な江戸っ子口調が溜まりません。
大作「抜け雀」。五代目志ん生師から、その御次男で、志ん輔師の師匠にあたる志ん朝師へと口伝されてきた古今亭宗家の噺です。これだけでも、お得感一杯で大層に満足でした。
ところが、権太楼師はもっと凄い話芸を魅せて下さいました。
「御自分から神が演ってくれた芝浜」と仰った某噺家が、かつておられました。
でも、そんなものではない、誠に迫真の技にのけぞって、笑って、泣きました。
神々しいまでの「芝の浜の皮財布」!
ワタクシの連れの中堅男子は、途中から嗚咽を始め、「夢になるといけねえ」でグフっと詰まってました。
本当に良い一夜を下さいまして、ありがとうございました。
そして、この場を借りて、長い間、お世話になってきた”ごんべえ”の御主人と御内儀様に深い感謝を申し上げます。
コメントありがとうございます。
35周年記念公演と位置づけ、「権太楼師匠、志ん輔
師匠」をお呼びしましたが、両師匠のご配慮により記念公演に相応しい落語会となり、感謝・感謝です。
ご来場のお客様に「良かったよ」と声を掛けていただきました。すっきりとしたお顔でお帰り頂く様を見て、長野落語会を続けてきた甲斐があったとホッとしております。
初めてお越しのお客様も度肝を抜かれた感で、喜
んでいただきました。
権太楼師匠の芝浜で、私も久方ぶりに涙腺が緩みました。
申し訳ない限りですが、またもや、しつこくコメントさせて頂きます。
先日、志ん輔師のことについて触れました。
志ん輔師の師匠の師匠つまり大師匠、即ち「五代目古今亭志ん生」てすが、この「志ん生」と言う超偉大な名跡を、志ん輔師が継ぐのではないかという噂が、暫く前に、巷間に流れました。
志ん朝師のお弟子さんの中で、志ん朝DNAを最も強く引き継いでいるのは、間違いなく志ん輔師です。
ワタクシが大学落研部員だった頃、最高に敬愛されていた若手は志ん朝師でしたし、
そのおとっあんの志ん生師は、圓生師と並んで雲上の人でした。昭和の大名人両壁です。
「志ん生」は古今亭の止め名 (最高名跡)・「圓生」は三遊亭の止め名ですが、共に、今は名乗っている噺家はいません。数年前に、「圓生襲名争い」が三人の老噺家の間で繰り広げられましたすね。見てられなかったすね。
そこで、志ん生名跡について言うと、矢張り一番近いのは志ん輔師だと思います。
五代目志ん生師は亡くなってから、既に45年近いのですが、現在でもCDが一番に売り続けられている死してなお売れっ子噺家です。
そして、これに関連して、NHKの大河ドラマが出てきます。来年2018年は、「西郷どん」ですが、再来年は、この前の東京五輪をテーマにした「いだてん」が放映されるそうです。
クドカンの脚本ですから、かなり期待できます。
で、このドラマには、五代目志ん生師役でビートたけしさんが出演します。
たけしさんは、暫く前に、立川談志役でドラマ出演しましたし、旧・立川流Bコース門弟として、立川錦之介の芸名で、高座に上がっていました。
この話も、大変興味深いですね。再来年は、昭和が再注目されることだと思います。
志ん輔師と志ん生師と北野武…実に様子が良ございます。
落語の世界は、惚れた師匠の門を叩く。
どのような師匠の弟子になるかで行く末が様変わりしますね。
志ん輔師匠の生き様もこれあり、噺の巾、奥行きが感じられます。
本格寸法の志ん輔師匠の噺に満足、納得、感激でした。