すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

その人の中に答えがある

2006-01-04 22:41:37 | ひとりごと

年末年始、何人かの友人たちに久しぶりにあった。
みんな、何がしかの問題を抱えている面々だ。
恋愛の問題、仕事の問題、結婚の問題、裁判沙汰にまで発展した不倫問題などなど。

あまりのラインアップに、今年はいったいどうしたのだろう、と、
内心、苦笑いさえしてしまった・・・。

それぞれが、私に話すことによって、
なんらかの解決法を導いてくれるのだと思って、話し始める。
相当たまっているのだろう。
とめどなく、こちらが相槌を打つのもはばかられるほどの勢いだった。
おかげで、こっちは、話を聞いたあと、脳みそがしびれるほど疲労した。

そんななかで、私にある気づきをもたらしてくれた友人がいた。
4~5年前に大失恋をしたその友人は、ここ一年くらいの間、
当時の記憶が頻繁によみがえり、相当にめいっているという。
今つきあっている彼は自分が求めている結婚への意思もなく、
イライラばかりが募る。仕事への情熱も枯れ果ててきて、もう疲れた、限界、
自分がどんどんだめになってる気がするのだという。

振り返れば、彼女は失恋後、
その痛手を穴埋めするために、海外留学をしたり、
仕事を転職して無理やり環境を変えたりと、かなり派手に動き回った。
見ているほうが、相当無理をしているのでは・・・とヒヤヒヤしていたが、
一向にゆり戻しがくることもなく、彼女は順調に立ち直ったのだ、
と信じて疑わなかった。それは、当の本人も同じだった。

でも、違ったのかもしれない、ということに、
何年もたって、とくにきっかけもなく、彼女は気づいたのだ。

彼女がこれまでの自分についてひとしきり話したあと、
私が、ちょっと口を挟む。

「もしかして、これまでの頑張りは、
自分の感情にふたをしただけだったのかもしれないね。
ものすごい頑張ったから、リバウンドがきちゃったのかな」

「うーん、実は私もそんな風に思ってて。
あの直後、事実を真正面から受けとめる余裕はなかったし、
ただひたすら逃げるしかなかったんだよね。
自分の心にできた傷を手当てする余裕はなかったっていうか。
今の彼とうまくいかないのも、仕事で頑張れないのも、
あの時のことが、自分のなかでちゃんと消化できていないことが大きのかな、
って気もしてて。全部、頭ではわかってるんだよね。
問題があるのは、自分の方なんだってこと。
だから、そんな自分をどうにかしないと、
今の彼とのことも仕事もこのまんまなんだろうなって」

と、今度は彼女。

「じゃあさ、だめになっているように見えても、
今が本当の再スタートの時なんじゃない。
これからあがっていくための、スタート地点にいるんじゃない。
もし彼や仕事のことが以前のことと関連があるなら、
あがっていくなかで、どうしたいいか見えてくるんじゃない。
そんな状況でいろいろ決断するんじゃなくて、
今はあんまり焦らないで、ゆっくり自分が回復するのを待ってあげたら・・・」

「そっか、落ちてるんじゃなくて、あがるためのスタート地点か。
そうだよね。そうなんだよね・・・」

彼女は、そのあと行きつ戻りつをしながらも、
最後には「すっきりした」と私に礼を言った。
私としては、彼女が発した言葉を自然に受け返したにすぎない。
つまり、答えは、すでに彼女の中にあって、
その答えは、私という他人と会話をすることによって、
ようやく、表にでてきたということだ。
(もちろん、ここが本当にスタート地点だとしたら、
解決への長く遠い道のりは、これから待っているのだけど・・・。)

この感覚を実感したとき、改めて人間ってすごいなぁ、と思った。
仕事なんかで、もちろんそうしたことを頭に描きながら相談援助することはあっても、
このときほど強く実感したことはかつてなかった。

それは、私が普段接する人たちが、彼女のように、
自分の中にある答えに簡単に気づけない人たちだからというのが大きい。

でも、結局は同じなんだと思う。
話を聞く立場の人間は勝手にその人に合う(と思い込んでいる)答えを
性急に提案しないほうがいいのかもしれない。
むしろ、一緒に悪戦苦闘しながらその答えを探し、掘り当てていくことが大事で、
それは、その人を本当に支えることにつながるのだ。

なんといっても、自分の中にあった答えというのは、
一度つかんだら、容易に捨てられないもののはずだから、
強くて簡単には壊れない。

自分だけの答えというものを、
やっぱり、どんな人だって心のどこかにしまいこんでいる。
そんな風に信じて人と接することって、きっと多分とっても大切なんだ。

私の中にある答えを、悩みを抱える友人が導き出してくれた出来事でもあった。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿