すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

負けられない時がある。

2016-03-31 13:17:51 | ひとりごと
『仏教思想のゼロポイント』の著者、魚川祐司氏が、テーラワーダ僧侶ウ・ジョーティカ師の書簡集を翻訳し、広く公開しているこのサイト

まるで宝箱のようです。見つけて、すぐに二つをダウンロード。

ティクナットハン師の、読む人を優しく包み込むような文章とは、また違う趣き。仏教書というよりも、高尚な心理学の教科書のようにも感じます。

師の人生における葛藤が包み隠さず書かれている、直截で、それでいて温かな文章に、すぐさま魅了されました。

興味のある方は、ぜひ読んでみてくださいね。マインドフルネスを実践している方も。読むだけで、瞑想効果がありますよ。




🔸🔸🔸

ただね、

実は、私、

許す

という言葉を見ると、

許さなければならないの?

と、心の中で反応が起きます。

師のおっしゃることは深い所で納得しますが、その深い所の別の場所で、反応というか、抵抗している部分があります。

物事のレベルにもよりますが、私は、きっと、とりあえずなんでも許すタイプでした。自分の感情を取り上げることよりも、許す大人であることを選んでいた、のかな。

笑顔で許しながら、実際には許せていない自分にすら気付かなかった。

でも、本当は、許せていなかったんですよ。そういう仕方での「許す」の後、師が言うように心が自由になったどころか、不自由になりましたから。

得体の知れない、濁った感情が、心の奥底に沈んでいきました。

本当は、責めたい
本当は、怒りたい
でも、許さなくてはならない
私は、許さなくてはならない


言うなれば、自分の本心を狭く暗い部屋に押し込めている状態です。

そして、そんな感情に出会いたくないから、特に、自分をぞんざいに扱う人、失礼な人、高圧的な人、感情的な人、つまり私を傷つける可能性が高いと察知する人の前で、萎縮し、そういう人たちが怖くなりました。

自分のこうした心の癖がわかると、「許さなくてはならない」という心の動きは、結局は、許しているわけでも何でもなくて、ただ相手のエネルギーに負けているということなんだ、ということが腑に落ちます。


🔸🔸🔸


それで、ある出来事を思い出します。

テニススクールに通い始めた頃、私は50代くらいのある女性とウォーミングアップで軽いラリーをすることなりました。

彼女は、すでに相当な技術があり、スクール歴も長そうで、コーチとも他のスクール生とも打ち解け、体全体から余裕と自信を漲らせています。

初心者の私の拙いボールさばきにイラついたのか、それでも済まなそうにしないのが生意気と映ったのか、途中から露骨に嫌な顔をしたり、横を向いてしまったりするのです。

焦りつつも、そんなにひどい球でもないしなぁ、と思っていたところ、いきなり、

「今は、ボレーの練習をしてるんですよっ」


と明らかに強い怒気を含んだ言葉を投げかけられました。一瞬固まってしまい、全身から血の気が引きそうでした。

反射的に、

上手い人からしたら初心者のタルい動きに苛立つのかも

と、いつもの癖で彼女の言動を正当化する理由、つまり、私を傷つけた人を「許さなくてはならない」理由を自動思考しました。

でもね、やっぱり、許したくないって言う心の声も強くて。

ウォーミングアップが終わった後、できるだけ卑屈にならないように、ある種嫌みも込めて彼女に近づいて言ってみたんです。

「初心者で、うまくできなくてすいません」


彼女はバツが悪そうに、目を泳がせ、横を向いて軽く頷きました。今度は、バツを悪くさせた私に怒っているようにも見えました。

その後、一時間のレッスン中、私の全身には怒りと惨めさと悲しさとが激しく渦巻いていました。テニスには身が入らないし、その人にばかり目がいくし、しかもその人のテニスは素晴らしい。

完全に、私の負け。その実感が一番こたえました。


ただ、レッスンの最後に面白い場面がやってきました。このレッスン最後のゲームが私に回ってきたのです。2ポイント先取のダブルス形式のゲーム。そして、彼女は、ネットを挟んだ向こうにいる。つまり対戦相手です。

いつもなら、やっぱりダメだろうな、とか、結局負けるんだろうな、とか思いがちな私が、この時、腹の底から思ったんです。相手との実力差は、全く話にならないのに、

絶対負けたくない。
絶対に勝つ。


ああ、あの時の自分の中に湧いたエネルギーを思うと、今でも泣きそうになる。

1ポイントとったあと、彼女の完璧なフォアのストロークが私に向かってきた時、私も向かっていった。そこに迷いはなかった。しかし、私ね、やっぱりまだまだテニスが下手クソなんで、返球したボールに勢いはなく、詰まるわけです。で、相手のネット際にフワンと落ちる。

でも、それが功を奏して、彼女は前のめりになってバランスを崩し、必死にラケットを伸ばすもボールに届かず。

2ポイント先取で私たちの勝利!

私、チームメートに向けてガッツポーズして、ハイタッチしました。こんな自分を、今まで知らなかった。

歓喜しつつも、でも、どこかで落ち着いていました。それで、確信したんです。

人には、絶対負けてはいけない時がある。
そして、私にとっては、
あのゲームの、あの瞬間がそうだった。



🔸🔸🔸

あそこで立ち向かわなかったら、気持ちで負けてたら、私、必ず引きずってましたからね。最初から「許すこと」を目指したら、「許さなくてはならない」という、不自然な思考に決着がつけられなかったかもしれません。

あの後、すぐに、心のわだかまりが消えたわけじゃないです。正直に言うと。

でも、許す許さない、ということとは少し違うのだけれど、大方どうでもよくなっていったわけです。彼女のことも、あの一件も。


師の言う「許すこと」が、自分の心を自由にさせてくれるというのは、とてもわかります。私も、いつかそういう人になりたいなあ、と心から思います。

ただ、人には必要なプロセスがあって、「許すこと」に意識を向けた途端、苦しい思考に捕まってしまうこともあります。(私のように。 )

それならば、「許すこと」以外の選択肢の中で、自分の心をいかに自由にするかを考えることもできるんですよね。私は、相手に負けないという体験によって、自分の心を解放しました。

もちろん、「許すこと」だって、そこに行き着くまでには、時間や葛藤が必要な事は、師がすでに語っているとおりで、「許すこと」までの道のりがまさに多彩なプロセスを孕んでいます。

そこに最初から抵抗がない人は、ダイレクトに目指せばいいのですよね。

さしずめ、私はまだ、例えば自分を傷つける人に対して、自分にとって何か理不尽さに出会った時にも、「許すこと」以外のプロセスを自分に許す段階なんだろうなあ、と感じているんですよね。

🔸🔸🔸

少し長くなったので、今回はこの辺で。おそらく、また続きを書くと思います。























最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんばんは (gaogaobusuka)
2016-03-31 19:52:57
こんばんは。
読者になりたくてgoo-idに登録しました。
ツィッターでいつもお世話なってます。
いろいろ知らないことばかりで、いつもありがたいなーと感謝してます 。
私もウジョーティカ師の本が好きでほぼ家宝扱いです。特に「夏の雪」を読むとなんだかジワーと癒やされてしまいます。

それと先日の小野美由紀さんのエッセイを読んでから「傷口からの人生」に行きつき読みはじめました。いろんな方々の心の葛藤に触れると自分の心もじんわり溶けるような気がします。

ayaseさんのブログ、とっても素敵です。
これからも楽しみにしています。
返信する
Re:こんばんは (ayase_9)
2016-04-01 18:52:07
こんばんは。ツイッターから、飛んできてくださって、ありがたいです!

ウジョーティカ師の文章は素敵ですよね。具体的で、ご本人の体験談が特に心に響きます。私も遅ればせがら、ウジョーティカ師にはまりそうです。

小野美由紀さんのエッセイにも、たどり着かれたのですね。行動の早さに脱帽です。

拙いブログですが、マイペースで続けていきますので、よろしくお願いします。
返信する

コメントを投稿