・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

些々放言:14 エアカー

2020年11月15日 | つぶやきの壺焼

飛ぶクルマができた。

架空電線や煙突のあるところでは飛べず、飛行場がなければ使えそうもないが、確かにクルマから飛行機に、もちろんその逆も、短時間で変身する。

飛び上がってしまえば、あとは風任せの良い気分になれそうだ。

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些々放言:13 遊民議員

2020年11月14日 | つぶやきの壺焼

何の職業もなく、仕事もしないで暮らしている人を遊民と呼ぶらしい。

では、一応職業らしいものにはついているが、仕事をしないで暮らしている人は何と呼べばよいのだろうか。
当人は、籍を置いて席があればそれが仕事だと思っているのかもしれない。

そういう人でも、集団になると何かしたくなる。
集団行動で簡単に思いつくのは集団移動だ。

こういう人たちを高給で養っている、ゆとり自慢の日本、支払者はもちろん納税者。

アリとキリギリスの話があったよね。

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些々放言:12 横暴

2020年11月13日 | つぶやきの壺焼

死者投票、二重投票、買い取り投票、記入済用紙投票、投票所妨害、開票立ち合い妨害、集計操作等々、考えられる非合法手段を駆使して得た票数優位を根拠に勝利宣言。

投票前の、「アメリカの政治史の中で最も広範で包括的な不正投票組織を持っている」という自慢宣言がまた図々しい。

投票日から10日経っても結果が確定していない大統領選挙、これが世界最強の民主主義国と思われている国の実態である。

候補者当人が勝利宣言するのはその人の勝手だから、ああやってるなで済ませられるが、資格が確立してないうちにメディアがそれを真実であるかのように報道するのは、横暴な行為であると言わねばならない。

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些々放言:11 茶飲み報道

2020年11月12日 | つぶやきの壺焼

面白おかしいことは、茶飲み話向きのものである。
それをマスメディアに載せて、視聴者のすべてが面白がるだろうと、自分だけが喜んでいるバカな編集者が勢ぞろいしている国がある。
残念ながら日本もそのお仲間である。

悪辣な手法を組み込んで選挙に勝ったつもりの有名人に、読みがそっくりの人の名前を見つけ出して、そのことを書かなければ遅れをとるかのように懸命になる。

こんな茶飲み報道は、低俗週刊誌にお任せしておくよう、いい加減に踏ん切りがつかないものだろうか。

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些々放言:10 虚々熟々

2020年11月11日 | つぶやきの壺焼

私たちが住む地球以外に、銀河系にはまだほかに何かの住む世界があるかもしれない。
ないというよりはあるというほうが、多分確かなのだろう。

その世界と、わざわざかかわりを求めることもないと思う。
なぜならば、人間は地球上のこともまともに始末しきれていないからだ。

国をあげての会議で、いま何が論議されているか。
隣の国から侵略の触手が毎日ひらひらと伸びてきて、これ見よがしに振舞っているというのに、国会の問答はどうだろうか。
禄でもない学者の集まりに入れて貰えなかった、たった6人の苦情をなだめるために、予算委員会の質疑応答時間の40%が割かれているというではないか。

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些々放言:9 大統領

2020年11月10日 | つぶやきの壺焼

大統領という地位の魅力は何なのか。

世界中の、人間の安心安全な生活にとって有効な、何か大きなことを成し遂げる力を得る願望。
頂点に立って、国を動かし世界を支配したいという欲望。
一生のうちに思いつくまま最高の悦楽に浸りたいという貪欲。

選ばれるためには、手続きを無視したり、ばれることをいとわず投開票の過程に大掛かりなトリックを仕組んだりする。
恥や外聞などという言葉は思い出さないよう、脳をすっかり改造してあるのだろう。

退任後の身の行く末のことなど、頭の片隅にも置かないことが伝統のような国もある。

それでも大統領になりたい人がいる。
人間はいかにも変な動物である。

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些々放言:8 居られる感

2020年11月09日 | つぶやきの壺焼

今ここに居られることが、何か不思議に感じられる時がある。
普段は感じない感じだ。

何十年もの間、別段気にすることもなく過ごしてきた。

特別な天変地異でもない限り、明日も明後日もこれが続くだろう。

だが、明日同じように同じところに居られないかもしれないという人が、どこかにいる。

居られることには感覚が及ばなくても、居られないことは、辛いことだ。

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些々放言:3 三年我慢

2020年11月04日 | つぶやきの壺焼

石の上にも三年ということわざがある。

じっと耐えて頑張る側の言葉なので、我慢させる側がそのつもりで意地悪を始めたのではたまらない。

国会で午前も午後も同じ愚問を別人が繰り出して、総理や閣僚の我慢くらべを眺める、そんなくだらないゲームで時間だけが過ぎてゆく。

こんなことをしながら三年経てば、国政が三十年遅れ、取り返しがつかなくなることをあの人たちは考えないのか。
予算委員会なら予算のことに議題を絞る、簡単なことになぜ目を向けないのか。

国民は三年も我慢はできないぞ。

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些々放言:2 前後不確

2020年11月03日 | つぶやきの壺焼

麻雀に「先付けあり」という奇妙なローカル・ルールがある。
先付けは、あがれる条件を先に作っておくということで、わざわざ確認する必要はないのに。

そこで「あり」と決めているのは実際には「後付け」で、論理矛盾は無視して前後を入れ替え「後付け」という言葉を使わずに済ませているのだろう。
どこか闇討ちのような潔さの見えない「後付け」を避けようという気持のあらわれなのかもしれない。

前後を入れ替えてもその場での約束ごとが成り立つ、
どこかの国が常套手段としている外交条件に似ていて、それをズバッと断ち切れないことと、かすかに通じるものがありそうにも思うのである。

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些々放言:1 ことはじめ

2020年11月02日 | つぶやきの壺焼

大放言という著作がある。

読後感は、大放言ことさらに言う程でなし。
何年か前に書かれたときには、これは大放言と、著者も編集者も思っていたことが、いまではさほどに感じられないのである。
ごく当たり前のことでも、それを唱える人が少なかったので、刺激の強さを予想して大放言としたのだろう。

知らなかったこと、気づかなかったことを聞けば、はじめは「えっ」と思う。
時がたち、何度も聞かされると、驚きを感じなくなるから大放言ではなくなる。
それでも、見えないふりをされ放置されているだいじなことが数々ある。

「小さいことが気になる悪い癖」というTVドラマのセリフがあって、それと大放言をかき混ぜるとどういうことになるか、混濁液を一たらしずつ落として並べてみようかと思いついたのがこの些々放言、目標はあと30滴、さてどんな雫が落ちるか。

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