会社に「管理者研修」という長のつく役職に就いた社員を集めて話を聞かせる研修会がかつてありました。
「協調性」が核のようなテーマ設定で、新しい長の座では、本人にもその部下にも、あまり変わったこと突出したことをやってほしくない、させてほしくないという、大躍進を望むことのない会社幹部の内心を鏡に映して見せるような研修会でした。
協調性の実務事例に「標準化」を取り上げた講義のとき、開始直後に受講者の考えを問われ、「標準化は、規定や基準ができたとき、すぐに古くなっていくもの」と答えたら、講師の両眼が一瞬まんまるになり、困ったような顔をされたことを思い出します。
「協調性」はあらゆる大中小の環境に適応する"方法"なので、社員教育にせよ学校教育にせよ、それを目的化してしまうような同調教育は、豆盆栽のような人間を増やしていく効果しかありません。
ものごとへの処し方が、まず「協調性」からという習性ができあがると、無意味なことでもとにかく一緒になって騒ぎ立てたり、皆が黙れば決して口を開かなくなったり、一段上の環境からすれば非協調に見える状態をそろって作っているという、喜劇を演じることになってしまいます。
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