「流れで」という言葉は、便利な解説用熟語です。
説明のしようもないことを、どうしたこうしたなぜですかと、おバカなニュースキャスターから聞かれたときに、「流れで」がよく使われます。
その返事が出たとき、質問が下手だったとは、聞いているほうはなかなか気づきません。
流れは、その場そのときの空気の中で感じとらなければわかりません。
しかし、流れの変化は、時間軸に沿って、その気になってたどってみるとわかります。
何年か前から、ダンスが学校教育の必修科目に入っていると聞きましたが、ついに文部科学省も狂いだしたかと耳を疑いました。
説明を見ると、「イメージをとらえた表現や踊りを通した交流を通して仲間とのコミュニケーションを豊かにすることを重視する運動で、仲間とともに感じを込めて踊ったり、イメージをとらえて自己を表現したりすることに楽しさや喜びを味わうことのできる運動」だからと書かれています。
そこには加えた理由の記述はありません
「わかるだろう」でおしまいです。
ここに顕れている教育方針の流れは、言葉よりからだで、あるいはそぶりで、意思を伝えあう原始への回帰にベクトルが向いてます。
意思などどうでもよく、その場が楽しければ嬉しければ、それでハッピー、いいではないかと思わせたいのかもしれません。
ネコやイヌを可愛がるようなやり方と同じに子どもを育てる方法を身に着ければ、使われる言葉は急激に貧困に向かいます。
もう古びかけたグローバリズムの舟に、乗り損ねては大変と、滝が迫っている今頃になって、イヌ掻きで追いかけているような、いやな情景の流れが目に映ります。
毎日TVカメラの前で時の流れに乗り続けている人たちは、流れがどちらに向かっているのかは、たぶん気にしていないでしょう。
くわばらくわばら。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます