XX主義は、XX的な行動によって裏づけされます。
民主的行動には、民主主義をあえて唱える必要はありません。
民主主義を唱えながら民主的に行動しない分裂気味の人もいます。
日本語の「てき」は、同じ文字でも外国語の「的」とは意味が異なります。
日本語の「てき」は、外国語の助詞にあたる「的」をそのまま音読して、名詞に添える接尾語にしたという説明をしている古い辞書もありますが。
意味の違う「的」を日本語に織り交ぜて"私てきには"などと言うと、はなはだ聞き苦しい言葉になります。
「そのまま音読」なら意味もそのまま使ってよいだろうと無茶解に流れたのが"私てき"愛好者の理屈になっているかもしれませんが、日本語は日本の言葉なので、とかくごちゃ混ぜは汚れが目立って良くないものです。
XX的という言葉には、XXという概念にぴったり当てはまる意味もあれば、XXらしい、XXのような、なんとなくXXの気配があるという使い方もあって、もやもや感があります。
ある行動が、民主的であるかないかの境界は、"誰のため"であるかを見さだめればはっきり見えてくるでしょう。
唱える主義が、的の中心にピタッとおさまれば、その声は活きてきますが、的からずれそうな主義の叫びは、雑音になったり空気を汚すもとになったりして、ひどくなれば的の存在さえはっきりしなくなるでしょう。
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