新聞社のWebページにこんな見出しがあった。
<「恥だ」と教員…群馬・堀越学園の元理事長逮捕>
ほかの項目の見出しは、プロの書いた見出しなので内容の見当がすぐついたが、これだけは、何のことか一度では読めなかった。
都内にある有名校とは同名異校の、学園の元理事長が、知人の美術品を横領したかどで逮捕されたのだが、はじめの「恥だ」のせりふが呑み込めなかった。
見出しだけではよくわからないようにしておいて記事全体を読ませる手もあるが、それに引っかかって読んでみると、「恥」の意味はこうだった。
「美術品が学内で何度か展示されていたのを見たことがある。大学という教育現場でこのようなことが起きてしまい、恥だと感じている」
教員が、その学園を、他人の組織で教職商売の場所としか考えてないと、「恥だ」という被害者型の発言になる。
「恥ずかしい」のではなく「恥だ」、他人ごとなのだ。
「逮捕は遅すぎた。文科省が解散命令を発令する方針を決定する前に、逮捕してくれていれば学園が助かったかもしれないのに」
という声も載っている。
わが身の回りに起きることはすべて「ひとのせい」、こういう思考様式を根強く持った人に、学生たちは何かを教えられて世に出て行く。
世の中のありようも、国の姿も、すべて他人ごと。
この記事の見出しは、想像どおりの実態を書き表している。
わからない見出しは、下手な見出しではなかった。
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恥 |
太宰 治 | |
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