2016年にオリンピック開催予定のリオデジャネイロの夜景です。msnの壁紙サイトにありました。
そこにはこんな説明が書かれています。
「昼間とはまた違い、夜はライトアップされ一段と魅力的な風景を見せてくれます。」
当たりまえのことがわざわざ書かれているのには、何か意味があるのでしょうか。
「昼間とはまた違い」は、ちょっと文字を外してあるようです。
「ま」と「た」の間に半文字、後に一文字を入れてみると、説明全体の意味をつかめるようになります。
「昼間とはまったく違い」、「昼間の風景は見るに堪えないけれど」と言いたげなのです。
何がひどいのかと思っていたら、ブラジルの海は、いま、古タイヤ、マットレス、ときには遺体がぷかぷかと浮いているというラジオ放送がありました。
不思議なのは、リオを開催地に決めたときに、海はどうだったのかということです。
視察のときは、何かと忙しなく、海を見ている暇もなかったか、開催が決まってから人々の気分がいっそう大らかになって、役に立たなくなったものは何でも川に捨て海に流れ込むようになったのか。
間に合わなければもう一度ロンドンでなどと言う人もいるそうです。
中国では、伝書鳩が狂って行方不明になった、PM2.5の影響かという話もあります。
局地的なテロとは違い、環境汚染はグローバルです。
どこかに演技の臭いのするテロとは違い、環境汚染に演技性はありません。
演技されてないことが広がっていくのは、誰もエエカッコしようのない恐ろしいことです。
グローバルだワールドだなどと、のんきに浮かれていると、とんでもないことになるかもしれません。
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