繰り返し上映、再放送、何度も同じものを見て愉しむ人がそんなにいるのかと思っていました。
ところが、実際に再放送のドラマを見ていると、およそこんな話かぐらいしか覚えていないことがわかります。
TVのCMでもまったく同じことを二度続ける安手のものと、またかと思っても少し違ったところが見つかるものと、同じに見えて全然違うものとがあり、繰り返しにもあの手この手があって、なかには違いだけ見ていて何のCMなのかはっきりわからないのもあります。
購買意欲は不思議なうごめき方をしますから、わからないCMに惹かれることもありそうです。
人間の活動には、支配者型と服従型があって、支配者型の特徴の一つに、繰り返しを強要するところが見られます。
繰り返しの強要は、服従型の実行者にとっては、興味激減の材料なのですが、繰り返しであることに無頓着でいるうちに、支配者型行動が、いつのまにか繰り返しの壺底に落ち込んでいるという、奇妙な現象が見られます。
言葉を覚えることから始まって、人間は絶えず繰り返しを演じながら育っています。
嫌々ながらでも、繰り返しをすっかりやめることはできないでしょう。
演説の壇上で朗読を始める人が多いのは、覚え込みという手順を省きたくなるほど、繰り返しを嫌っているのです。
演説の中身のしらじらしさが、繰り返しを厭うようなものであれば、それも仕方がないのでしょう。
いったい何を言いたいのか、その説明には、嫌な繰り返しをまた始めなければならないので、ごめんこうむります。