書物は同じことしか言わないから安心と言った人がいます。
いまは種々雑多な情報が乱入してくるので制限が必要だろう、それには取次ぎ効率のよすぎる電波情報に頼らず、情報源を書かれたことの変わらない本に限ってしまうのがよかろうという説です。
もっともらしく聞こえましたが、そうかなあという思いもどこかに残ります。
本の読み方は、名著と呼ばれるものでも人さまざま、自分自身の読み方も、そのときによって変わります。
読み方が変われば、書かれていることが変わって読み取られるのではありませんか。
人間はいろいろなツールを考え出しますが、ツールが変われば人間も変わっていきます。
読みながら読む人間も変わっていくのです。
書物なら大丈夫というのは、米や豆なら安心、肉より魚のほうが体によいという珍説とあまり変わりがないように思います。
GMOという変な大豆もありますね。