神社にお参りするというごく自然な行為は、日本人特有のものです。
他の国の人が、理屈ではわかったような顔をしても、それは理解であって、感覚のまん中のところに響いてはいません。
そんなことは出来ない相談なのです。
どこか特定の神社に、誰かが参拝すると、他国の人間が難癖をつける、この変てこなことが、外交手段に使われます。
人間の知恵のなさを、神様は笑っていらっしゃるでしょう。
神社参拝は、する人が宣伝することでもなければ、周りでことさらに騒ぎ立てることでもありません。
それをさも珍しいことのように、わいわい言い立て書き立てるメディアも、どこかが狂っています。
神社参拝に、公人とか私人とか、立場を説明することもありません。
閣僚が参拝するとき、私人としてなどとわざわざ言えば、そのとき既に売名行為になっているのです。
その場に押しかけて、そのことを問い質すような、ばかげたメディアの質問も、売名のちょうちん持ちでしかありません。
折角行ったのだから、昇段してお参りしたいと考えるのも、タカビー感覚がそうさせるのでしょう。
普通の人間のお参りなら、普通のお参りの仕方をしてくればよいのです。
一般の人の邪魔になるから、一緒にかたまって行くというのも変な言い訳です。人は3人以上集まれば、他の人の迷惑になることが何か起こります。
玉ぐし料を積み立ててあると、わざわざ言うのもおかしな話です。
一人一人参拝するのに、なぜ積み立てが必要なのか不思議ですが、積み立てと言えば個人の支出と聞こえるだろうと、まさかそうは考えていないでしょう。
あれやこれや、明晰な頭脳をゆがんで見せてやろうという、神様のいたずらでしょうか。