・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

調べるということには前提があった

2014年02月24日 | つぶやきの壺焼

「取調べとは、調書の書き方の交渉の場である」  村木厚子談
 ⇒ http://jump.cx/mura

ものごとを自分の思惑通り、あるいはそれに近い結果が出るように、相手を言いくるめるのが交渉です。
望む結果が出るには、相手の心変わりが必要です。
もともと同じ考えなら、交渉とは言えません。必要のないところに目的行為はありえませんから。
はじめから結果がわかっていて「俺が交渉してきた」などというのは偽渉です。

「調べる」とは、未知のことを探ってわかるようにすることと思っていました。
ところが辞典をあらためて調べてみると、これは「しらぶ」の口語体で、「しらぶ」は
(1)音律を合わせととのえる.楽器の調子を合わせる.
(2)音楽を奏する.弾じる.ひく.
(3)言葉に調子をつける.図にのって話す.
(4)かれこれ照らし合わせて考える.
  
(イ)点検する.調査する.研究する.
  
(ロ)尋問する.糾明する.
となっています。(広辞苑第二版)

最後の(ロ)尋問する.糾明する.には、「罪人をしらべる」という用例まで付いています。

これを見ると、「調べる」対象は未知のことではなく、調べられる人はそのときすでに罪人で、事件について口頭で罪状を問いただし明らかにすることが取り調べであるとされていたようです。
取調べという行為の解釈がこうなのでは、冤罪などという言葉も取調官のあたまにはまず浮かばないでしょう。

取調べが交渉の場と考えるには、その場に置かれているわが身と、取調べに当たる人との関係を壁際のカメラを通してでもあるかのように見つめられるほどに、肝が据わり頭が冴えていなければかなわないものと思います。

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