「この場を借りて・・・・申し上げます」というあいさつ言葉がある。
その言葉が聞かれる場合、話す人に場を借りる意識はない。
場を借りるどころか本人は主役のつもりでいる。
スピーチには、場のためのスピーチと、場を借りるスピーチがある。
場のためのスピーチは、その場を盛り上げたり、雰囲気をよくしたり、主体は場にある。
場を借りるスピーチは、その逆だから主体は話し役のほうにあるはずなのだが、場を借りてというスピーチには、「場のための」が多いからややこしい。
どこかがおかしいと思ったら、奇妙のもとは「借りる」という言葉にあった。
借りるという言葉の裏側には、貸すということがあるはずだと考え始めると、どちらか一方が欠ければ、片足だけがしびれっ放しのようで心地よくない。
ここでの「借りる」は、貸借関係という実態のない、ただの言葉のあやだったのだ。
もう少し考えると、場のためのスピーチの主体は場にあるというのは、はずれなのかもしれない。
「場」はかりそめの「ところ」に過ぎないから、主体はそこに集まった人たちなのだ。
議会という貸借関係のない場も、主体は議員一人一人なのだから、居眠りかやじか売名か、そんなことだけをやっていてもらっては困るのである。