・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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わかりたがりはものわかりがよくない

2013年06月29日 | つぶやきの壺焼

聞くは一時の恥、ほとんど廃れた言葉で、「一時」を「いっとき」とすらっと読める人も少なくなってきているのではないかと思う。

ものを聞くのは恥ずかしいこととされていた時代は、世の中のことがわかりやすく、人のすることを見ていれば大体の想像がついて、ひどい見当違いもなかったのだろう。

新しいものや新しい言葉が次々に現れて、世間のことがややこしくなってくると、聞かずに済ませられることが少なくなってくる。
そうなると、なんでもすぐ聞くのが当たり前のようになり、聞かぬは永遠の恥だとばかりに知りたがり屋が増えてきた。

知りたがりが昂じてくると、知るだけでは満足せず、理屈でわかろうとする人がまた増える。
知りたがりよりもわかりたがりが増えると、使ってみなければればわからないことでも、まず先にわかりたがるようになる。

言葉は、意味がわからなくても気持は伝わる。
それが生き物元来の情報伝達手段で、言葉を知るということは、何かを伝えられるようになるということなのである。

言葉は、知る前にわかろうとするのは無理なのに、まず意味はなんであるかを確かめないと不安になるとわかりたがり屋になる。
言葉の意味がわかるには、また別の言葉が必要で、使った経験のない人に意味をわからせるのは至難の技なのである。
言葉に関して、わかることが先というのは、無意味な逆転の発想のように思う。

言葉の話は回りくどくて、わかりたがるとますますわかりにくくなる、困ったものだ。

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