あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

桃太郎の話から。。。新型コロナ。。神のざんねん。

2021年04月30日 23時12分07秒 | 思った事

桃太郎の話には、「おじいさんは山へ柴刈りに。おばあさんは川へ洗濯に。」というくだりがある。

この「柴刈り」をどのように理解されるだろうか?

「柴刈り」と「芝刈り」の違い・柴刈りの道具・時期|桃太郎 - 言葉の意味を知るならtap-biz

「しば刈りと聞くとどのような作業をイメージするでしょうか。柴刈りは、野山で行う柴木の伐採や枝集めなどのことをいいます。芝生の手入れをイメージする方もいるかもしれませんが、近年日常生活に無縁となってきた柴刈りについてご説明します。」

と記されています。

私も初めは「芝刈り」だと思っていて、「山にどうして芝が生えているのだろうか?」と思っていたのであった。

ある時、柴というのは、雑木で、すぐに生える小枝のような木々だと知った。

そこで合点がいったのである。

 

なぜ突然このような事を書き出したかというと、先に、「オール電化」という話しから、環境問題についての話を書いたからである。

昔から、燃料とした木々は、すぐに生える木々を用いていたのである。

ところが、現在映画などでの燃料は、太い丸太を建ち割って、燃料にしているものをよく見る。

太い木々を次々と燃料にしては、育つまでに年限がかかるのだから、自然破壊が起こる事は当然である。

本来はそうではなかったのである。一年で伸び育つ木々を使っていた。

そこが正しい知恵のはずである。

 

少し前に、山の杉やひのきをすべて切り出して、中国へ輸出していた。それも他人の山で。

というニュースがあった。

本来日本の植林は、間引きをして、段々と太い木々を育てていく予定だったはずである。

けれども、木々の値が下がり、植林したままの山が増えて、困っている状態である。

そうした中に、中国でひのきなどのブームが起こり、お金目当てで日本の木々を買う中国人が増えたとの事である。

山を丸裸にしては、水に困るのである。

良い水を確保するために、山の木々は必要なのである。

けれども、そうした事には全く関心がない。その時だけの考えで行動をして、自然破壊をしているのである。

アマゾンもどんどん森林が破壊されている。日本もどんどんと山や田畑をつぶして住宅を作っている。

そんな中に、何が「脱炭素だ!」と思ってしまう。

綺麗ごとだけを口にして、行動には移さない。つまりうそばかりついて、人々をだましている。

これはアメリカ大統領選挙でまざまざと見えた事である。

そうした事を止めるための法律を作り、実行する事が、政治家の務めのはずだが、実行がない。

つまりは、うそつきという事となる。

これでは、神様の御守護はなくなる。

 

今、新型コロナの変異株が増えていると聞く。

せっかく第一波の時は、人々の協力で、少ない罹患者ですんだのに。。。。と思ってしまう。

 

「おふでさき」に、このような疫病は、親神様のざんねんの現れと記されている。

それも「ぜひなくおもて あらわしたなり」と「仕方なく思って、現している」言われているのである。

自然が神なのである。

神に守られて初めて私たちは生きる事が出来る。

その神の守りを、自分勝手の心で、おごり高ぶる心で、無くしているのである。

 

山の木々を無くして伝染病が広がったという話しは、ヨーロッパにある話である。

森の木々が次々と切られて、住処を無くしたネズミが街に入り込み、そのネズミがペストを流行らせて、多くの人々が亡くなったことは有名である。

これも同じである。

人間には上の人と、下の人がある。

下の人は、上の人を慕い、従い、暮らしを立てる人々である。

上の人の「上」は「かみ」と読める。「神」も「かみ」である。

上の人は、下の人々の暮らしが良くなるように導き、その恩恵を受けたならば、神には何も文句はないはずである。

ところが、自分の思うがままにしようとして、下の人々を苦しめたならばどうなるのか。

それこそ「神」からの「ざんねん」が現れて来るのである。

 

これを歴史上で何度も繰り返して来ているのである。

これまでは、生活する地域が狭く、蔓延する疫病も狭い範囲だけですんでいた。

影響を受けないところもあったのである。

けれども、これだけ人間の知恵が発達して、地球全体に人々が交流できるようになった今では、地球全体が一つの国と同じなのである。

この地球で、上に立つ人々の心次第で、どのようなことも起こるのである。

 

早く上に立つ人々が、神の教えを思案して、反省し方針転換する事を願う。

 

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りくださいませ。

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オール電化ということから。。。

2021年04月30日 05時35分13秒 | 思った事

突然の事だが、オール電化を推進する話が眼に入った。

即座に「まだまだ推奨は出来ないと」反応してしまった。

その理由について書いておきたいと思う。

オール電化とは、全てを電気に頼るという事である。

冷房はクーラーなどの電気製品でしか現在可能ではないが、暖房までもという事になる。

中国で、オール電化が推進されて、この冬寒波が来た。

オール電化という事でとても高い電気料を支払う事となり、それまでお金を必要としなかった人々までお金に縛られることとなった。またそれを推進するために、それまで使っていたオンドルや暖房器具も強制的に排除された映像が流れていた。

暖房で、石炭や木々を燃やすことは、電気毛布を使うよりもとても安価なのである。またとても温まりやすいのである。

電気毛布では、その場で包まる事しか出来ない。部屋中を暖めて部屋で活動をする事は出来ないのである。

昔ながらに自然の中で生きて来た方がとても自由で、豊かな暮らしをしていたように思えた。

さらには、エネルギーの事を考えたら、電気は作らなければ使えないのである。

その作られた電気によって発熱をさせて暖を取るのである。その発熱をするものは、簡単には出来ないのである。

それに比べると、石炭や木材などは、直接燃やして暖を取ることが出来る。

これは、複雑な道具がなくても出来る事で、そうした知恵や道具を無くすことにつながると思われるのである。

安易に便利だけを追い求めると、自分たちの知恵や知識を失う事にもつながる。

そして、電気を供給されなくなった時には、生活できなくなり、電気を供給する人々の言いなりになる事にもなりかねない。

そうしたリスクを考える事が大切だと思うのである。

また、エネルギーの事から考えると、

電気を使うという事は、石炭などの原料を燃やして、電気を作り、その電気で暖を取るという事で、この間にエネルギーのロスを伴うのである。

また、以前、ビニールなどを燃やすと有毒物質が空気中に広がるので、燃やしてはならないという事が言われて、焼却炉を作り替える事を余儀なくされて、街中で物を燃やして廃棄する事が出来なくなった。

この焼却するという事には、多大なエネルギーを使っているのである。ただ単に燃やせないのである。

二酸化炭素排出量を減らすという事が叫ばれているが、クリーンエネルギーの開発や、無駄なエネルギーの使用についての議論が行われない限り、無理な話だと思われる。

バックトゥザフューチャーという映画があったが、それの中で、未来から来た博士が、車のガソリンの代わりにバナナの皮をエネルギーの元としている場面がある。

不要なものをエネルギーに変える事。この技術が必要と思われる。それが、自動車にエンジンがあるように、それぞれの家々に取り付けられる事。これがあってこそ、オール電化は推進されるべきと思うのである。

トヨタの社長が、「車を日本で作れなくなる」と発言したニュースを見たが、そうした企業に、このような技術開発を促した方がずっと良いと思う。

そして、そうした技術を開発するについても、今はまだまだ化石燃料が必要なのである。

それを考えないで、中国のような対応はすべきではないと思う。

しかし、私個人としては、街中で電気にしばられて生きるよりも、自然の中でゆっくりと農作業などをして暮らすことにあこがれる。来生はそんな風に生きたい。

 

ともかく、人間の欲には切りがないもので、人を助ける心・助け合う心が十分に行きわたらなければ、誠の心、その上に神様の働きがある事を知らなければ、悪に誘われてしまうようにも感じる。

慎みが大事である。苦労が物種である。

徳がなければ、徳を積まなければ。。。これはとても大切な事だと思う。

 

新型コロナ、中国共産党、その外様々な事が表に出てきている。

けれども「のど元過ぎれば熱さ忘れる」でそれが解決しないうちに、他の事へ意識を誘導されてしまっている。

これも情報操作の一つである。

しっかりと思案する事。思案するために意見を言う事。大切な事だと思っている。

 

親神様、教祖。どうぞ、大難は小難にとお守りください。

 

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