4月16日にはえでづとめが行われた。
東礼拝場前に、パイプ椅子が設置されていたので、ライブ配信してみた。
外にスピーカーがなかったが、よく聞き取れたので、音声が入っていると思いながら、よろづよ八首まで配信してみた。
しかし、詰所に帰って動画を見たところ、自分のしゃべっている声はよく入っているのだが、残念ながら、おつとめはうまく入っていなかった。(削除した)
この日は、夕方から雨という予報であった。夕づとめ後少しぱらついたが、はえでづとめが始まるころには上がった。
そして、よろづよ八首が終わった頃に、また沢山降り始めた。
撮影していて不思議に思っていたのだが、動画配信でおつとめの音色が届けられずにとても残念である。
世界中が、大難は小難に守られますように。。。
12通りの勤めの内、むほんの勤めがされないのが、ざんねんです。今日、コロナが無ければいつ戦争が起こるかしれない状況に心が痛いです。コロナで、経済にそして、資本主義や環境問題・命の経済と言う様に新しい生き方が模索されております。お道の発信は遅れ、内輪の行事や教会制度に即した在り方としか思えません。世界に共鳴する発信・救けの渦が求められていると、私は思います。
はえでつとめは、農事部の願い出によってつとめられていると、数年前に知りました。
ですので、農事部の学生さんたちが、最初から最後まで参拝されています。
その他、おびやづとめは、おびやの御供さんが無くなりそうになると、つとめられるそうです。
毎月つとめられるご本部の月次祭ですが、これはよろづたすけのおつとめとして勤められています。
よろづたすけとは、すべての御守護を願うという意味であります。
世界では、虫によって作物があらされるという事態が起こっているようですが、虫払いのおつとめを願い出る方があれば、つとめられるのではないかと思うのであります。
おつとめは、「あしきはらい」から「あしきをはろうて」と変えられています。これは、甘露台が没収された時に行われました。そしてその没収された2段まで出来た甘露台は、真柱様のお宅の庭に転がされています。
その石には理がないとされています。なぜか、ぢばに親神様がお鎮まり下さり、そこへ据えてこそ、かんろだいだからだと、私は思っています。
「成人次第に見えてくるぞや」とのお言葉がありますが、私も若いころは、大内様のように考えていた時もありました。
今のこのコロナ、その他様々な事情で、親神様はそれぞれの心を見定めて、世界中の掃除をされていると思っています。「善と悪」「うそと誠真実」などなどであります。
それらに気が付くのは、それぞれの心であります。
教会につきましては、今どんどんとお目標様がお戻りになっています。
教会とは元々、人間の方から願って作られたものであります。しかし、代が重なり、当初の思いがつながらず、信者も会長もおらなくなったところが戻っているのです。
これらもすべて親神様の思いの中、人間の成人のための事情と思います。
「事情無ければ治まらん」とのお言葉がありますが、ただ単に形だけ、身上が助かる事だけの思案から、それぞれが心を立て替える思案をする時と、私は思っております。
そうした上に、このような話し合いができる場がある事、また持てる事がありがたいと思います。
しかし、天理教をしている人で、こうした環境を持っていない人々も沢山あると思います。
まとまりのないコメントになってしまいました。許し下さい。
また、どうぞよろしくお願い致します。