今日は、広島に原爆が落とされて、75年が立った日である。
朝、NHKで記念式典を放映していた。
私は、広島の布教の家に一年間置いて頂き、原爆資料館にも足を運んだ。
そして、式典に対して良く思わない人の意見も聞いた。
人の心は様々である。表に立つ人々の日常を見て、表立って行う事に対して、良く思わない人もある。
そうした人でも、陰の場所から、御霊に手を合わせて、平和を願っている。
そうした陰の声があろうとも、75年という長い間、世代が変わっても、受け継がれて続いている事を思うと、これは真実だと思う。
自分の利害だけを考えたならば、そんなに長く続くだろうか?一代限りで終わるのではないか。と思ったりする。
これだけ75年という長い間、原爆廃止、平和をとなえていても、世界は変われない。それ以上に、陰から様々な争いを仕掛けている事が、今、この新型コロナの時に次々と現れている。
SNS,インターネットの時代で、次々と情報が流されて、その検証作業によって暴かれてしまうのである。
うそをつくと、そのうそがばれないようにと、又うそをつかなければならなくなる。
特に、厳しい法律を作ってあれば、一つのうそがばれる事で、自分の命どころか、家族、縁者さえも巻き込むことになる。
そうなれば、そのうそを隠すための、うそをつく事になってしまう。ひょっとしたら、そのうそを隠すために、人を殺める事もあるやもしれない。
誠真実を望まれる親神様からしたら、このような事は、絶対に許されることはないだろう。いずれ、そのかやしは行われる。
それまでに、改心して、生きながらに生まれ変われたならば、違うだろうが、先の核廃絶・世界平和の話ではないが、頭では理解できても、それを実行する事が出来ない。
この元は何か。という事が、とても大切な事だと思う。
その元は、言わずに知れた「ほこりの心」。
これがあるために、石の甘露台を立てる事を取りやめて、応法の道へと切り替えられたのである。
と私は思っている。
そして、こうした事を思案せずに、ただただ「おさづけ」のみに頼っていては、どうなることかと思ってしまう。
(倍化運動の元となった、増野道興先生の伝記 を読んで、さらさらに思う。)
今、新型コロナが市中感染当たり前になりつつある時に、人任せ、政治任せにするのではなく、しっかりとそれぞれが、自分の心から、対策をする事。これが大切なのではないかと思う。
身上(事情)について、心の立替について、『先人の遺した教話(4)教祖より聞きし話・高井猶吉』より掲載しておく。
34頁~ 身上(病気)と事情
174頁~ 心の立て替え
先日、ガラケーからスマホに代えて、スマホからこのブログをはじめて見た。
アップした文字がとても見にくい事が分かった。
そこで、スキャンする解像度を300DPIから600DPIに上げた。
親神様のお心は、原爆廃止のようになかなか世界には伝わりにくいと思うけれども、少しでも分かる人が増える事を願っている。
今日も一日、新型コロナに気を付けて、つとめたいと思う。
これを読んでくださっている皆様、どうぞ、ご自愛くださいませ。
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