あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

「元の理」を考える 3。。数から見る(1)

2021年06月06日 11時22分36秒 | 元の理

前回は、「ウオ」と「ミ」が生物の中に入り、生殖によって今の人間の身体へと変化させたのではないかと話をした。

今回はそのようにして生まれた子供である人間が、生きた年数や成長した寸法などの数について考えて見たい。

まず、《教典》第3章「元の理」から数字に関する事項を拾ってみる。その後、これに「こうき話」《16年本》を加えることとする。

1回目の宿仕込みと生み降ろし、そして子供が出直すまでを書きだしてみる。

・宿仕込みは3日3夜。

・宿しこまれた人間の数は、「九億九万九千九百九十九」
(これを算用数字で表すと「
900,099,999」となり、9億と9万の間に相当の差がある事をよく見逃す。)

・ぢばに留まったのは、3年3カ月

・生み降ろしは75日

・生まれた人間の大きさは5分(約1.5センチ)

・出直した人間の大きさは3寸(約9センチ)

・生きた年数は99年である。

【元の理】
 かくて、雛型と道具が定り、いよいよここに、人間を創造されることとなった。そこで先ず、親神は、どろ海中のどぢょを皆食べて、その心根を味い、これを人間のたねとされた。そして、月様は、いざなぎのみことの体内に、日様は、いざなみのみことの体内に入り込んで、人間創造の守護を教え、三日三夜の間に、九億九万九千九百九十九人の子数をいざなみのみことの胎内に宿し込まれた。それから、いざなみのみことは、その場所に三年三月留り、やがて、七十五日かかって、子数のすべてを産みおろされた

 最初に産みおろされたものは、一様に五分であったが、五分五分と成人して、九十九年経って三寸になった時、皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみことも、身を隠された

2回目の宿仕込みと生み降ろしは、

・宿しこまれた人間の数は、元の子数。「九億九万九千九百九十九」

・生み降ろすまでの期間は、10カ月

・生まれた人間の大きさは5分(約1.5センチ)

・出直した人間の大きさは3寸5分(約10.5センチ)

・生きた年数は99年である。

【元の理】しかし、一度教えられた守護により、いざなみのみことは、更に元の子数を宿し込み、十月経って、これを産みおろされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経って三寸五分まで成人して、皆出直した

3回目の宿仕込みと生み降ろしは、

・生まれた人間の大きさは5分(約1.5センチ)

・出直した人間の大きさは4寸(約12センチ)

・生きた年数は99年である。

・将来予想された人間の大きさは、5尺(約1.5メートル)

【元の理】そこで又、三度目の宿し込みをなされたが、このものも、五分から生れ、九十九年経って四寸まで成人した。その時、母親なるいざなみのみことは、「これまでに成人すれば、いずれ五尺の人間になるであろう」と仰せられ、にっこり笑うて身を隠された。そして、子等も、その後を慕うて残らず出直してしもうた

3回目以降は、

・虫鳥畜類などと幾度(八千八度)も生まれ変わる。

【元の理】 その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直し、

虫鳥畜類などの後は、

・めざるが1匹だけ、残る。

・めざるの腹に宿る人数は、男5人女5人の10人ずつ。

・生まれた人間の大きさは5分(約1.5センチ)

・人間の大きさが8寸(約24センチ)で泥海の中に高低が出来かける。

・人間の大きさが1尺8寸(約54センチ)で、天地も日月も区別できるようになって来た。

・人間の体内に宿る人数は、1尺8寸(約54センチ)から3尺(約90センチ)までは、男1人女1人の2人ずつ。

・3尺(約90センチ)以降は、一腹に1人ずつ。

・言葉を話すようになったのは、人間が3尺(約90センチ)になった時。

・人間の大きさが5尺(約1.5メートル)で海山天地世界が出来上がり、人間は陸上の生活を始めた。

・水中での生活は、9億9万年(900,090,000年)

・知恵の仕込みは、6千年(6,000年)

・文字の仕込みは、3千9百9十9年(3,999年)

【元の理】 最後に、めざるが一匹だけ残った。この胎に、男五人女五人の十人ずつの人間が宿り、五分から生れ、五分五分と成人して八寸になった時、親神の守護によって、どろ海の中に高低が出来かけ一尺八寸に成人した時、海山も天地も日月も、漸く区別出来るように、かたまりかけてきた。そして、人間は、一尺八寸から三尺になるまでは、一胎に男一人女一人の二人ずつ生れ、三尺に成人した時、ものを言い始め、一胎に一人ずつ生れるようになった。次いで、五尺になった時、海山も天地も世界も皆出来て、人間は陸上の生活をするようになった。

 この間、九億九万年は水中の住居六千年は智慧の仕込み三千九百九十九年は文字の仕込みと仰せられる。

 

次に、「16年本」を加えて見る。(加えたものは黒字で表示する。無い事項は削除線を記す。)

1回目の宿仕込みと生み降ろし、そして子供が出直すまでの年数を書いてみる。

・宿仕込みは3日3夜。

・宿しこまれた人間の数は、「九億九万九千九百九十九」
(これを算用数字で表すと「900,099,999」となり、9億と9万の間に相当の差がある事をよく見逃す。)

・ぢばに留まったのは、3年3カ月

・生み降ろしは75日

・生まれた人間の大きさは5分(約1.5センチ)

・出直した人間の大きさは3寸(約9センチ)

生きた年数は99年である。

・宿仕込みには、2人ずつ(2人宛)宿しこんだ。

・生み降ろした場所は、「今の奈良、初瀬七里四方の間7日」。
          「残る大和の国中4日」。
             ここまで合計11日が「おびやあけ」。
          「山城、伊賀、河内、三ケ国19日」。
             ここまで合計30日を「はんみや」。
          「今の日本中45日」
             すべての合計75日をかけて生み降ろした。「おびや中」

   ※生み降ろした場所は、宮地の地場。

《16年本》
 これなる魚、道具とするを嫌う者を無理に貰い受け、人間を拵える相談を定めて、ぎぎよしやちほこを男一の道具に仕込み、それよりくにとこたちの命との心を入り込み、男神で人間の種なり。みいかめを女の一の道具に仕込み、それにおもたりのことの心を入り込み、女神にして、人間の苗代となして、此の屋敷のかんろたいじばを神体(註:神たい)の中央として、北枕に寝て、九億九万九千九百九十九人の人数三日三夜に南無々々と二人づつ宿し込み給う。此の事を以て、南無とはあうんのことなり。今人間も南無々々として居ることは良ことなり。南無と云うは夫婦のことなり。夫婦とは、天と地を象りて夫婦はじめた事なり。人間と云う名を付けたは、雛形の人ぎよと人間の良き事あれば、これを今にけんと云うことの残り、この二つの理を以て人間と名を付け給う事なり。

《16年本》「13」
 人間拵えたのは此のやしきの中央にて、前の部にある通り、いざなぎの命しやちほこを男の一の道具に仕込み、それに国常立之命を入り込み、どじよふ人間の魂として、いさなみの命かめを女の一の道具に仕込み入れた。おもたるの命を入り込み給うて、人間の苗代として九億九万九千九百九拾九人の人数を南無々々と二人三日三夜に宿し込み、三年三月留まりて居りて、それより今の奈良、初瀬七里四方の間七日かゝり産み下ろし、此のぢばが神かたと云うのは此の処なり。残る大和の国中四日かかりて産み下ろし、これで十(一《補・梶本本22》)日がおびやあけと云う。山城、伊賀、河内、三ケ国十九日かゝりて産み下ろしこれ三十日をはんみやと云う。残る今の日本中四十五日かゝりて産み下ろし都合七十五日の間かゝりて産み下ろし、これ故に七十五日の間はおびや中と云うなり。即ち、産み下ろし毎に親の息をかけて産み下ろしおく。このぢばは今の宮地の地場となりてある処なり。これにていさなぎ様は死亡する。

 此の人間生まれ出しては、五分より生まれて九十九年目三寸迄成長して、皆死亡す

2回目の宿仕込みと生み降ろしは、

・宿しこまれた人間の数は、元の子数。

・生み降ろすまでの期間は、10カ月

・生まれた人間の大きさは5分(約1.5センチ)

・出直した人間の大きさは3寸5分(約10.5センチ)

・生きた年数は99年である。

      ※生み降ろした場所は墓所

《16年本》「13」
又、元の人数を同じ胎内へ宿り込み十月目より、又、諸処へ産み下ろし廻り、この地場は今の墓所なりてある処なり。此の人間も五分から生まれて、九十九年目には三寸五分迄成長して、皆死亡す

3回目の宿仕込みと生み降ろしは、

・生まれた人間の大きさは5分(約1.5センチ)

・出直した人間の大きさは4寸(約12センチ)

・生きた年数は99年である。

・予想された人間の大きさは、5尺(約1.5メートル)

・宿しこまれた人間の数は、元の子数。

・生み降ろしまで、10カ月。※追記

・生まれ出る所は2寸に4寸。死に行く穴も2尺4寸。

    ※生み降ろした場所は、今のはらてらの参り所。

《16年本》「13」
一度教えたる守(護で、元の人数同じ胎《補・梶本本22》)内へ三度宿り込み、又、十月目より、以前の諸処へ産み下ろし
、此の地場は今のはらてらの詣り所なり。これを一みや、二墓、三原(註:三はら)と云う参り所なり。

 此の人間も五分から生まれて、九十九年目四寸迄成長すいさなみ様はこれを見て、こゝ迄成長するならば、五尺の人間になると喜こんで、にいこり笑うて死亡なされ、また四寸の理と、につこり笑うた理を以て、生まれ出るところも二寸四寸、死に行く穴も二尺四寸と云うなり。
 又、此の人間も親の後を慕うて、残らず死亡す

3回目以降は、

・虫鳥畜類などと幾度(八千八度)も生まれ変わる。

・この生まれ変わる年限は、9千9百9十9年目に死する。※

《16年本》「13」
それより、鳥類、畜類、虫螻(註:むしのら)異形の者と八千八度生まれ替わりた。故に、今人間は何もの真似でも出来る事なり。

 此の年限は、九千九百九十九年目に死亡す

虫鳥畜類などの後は、

・めざるが1匹だけ、残る。(このめざるは、「カメ・クニサヅチ」)

・めざるの腹に宿る人数は、男5人女5人の10人ずつ。

・生まれた人間の大きさは5分(約1.5センチ)

・人間の大きさが8寸(約24センチ)で泥海の中に高低が出来かける。

・人間の大きさが1尺8寸(約54センチ)で、天地も日月も区別できるようになって来た。
 この時、子供が親になり、元の子数が揃うようになった。

・人間の体内に宿る人数は、1尺8寸(約54センチ)から3尺(約90センチ)までは、男1人女1人の2人ずつ。

・3尺(約90センチ)以降は、一腹に1人ずつ。

・言葉を話すようになったのは、人間が3尺(約90センチ)になった時。
 この理由として、人間は3才になると言葉を話し始める。

・人間の大きさが5尺(約1.5メートル)で海山天地世界が出来上がり、人間は陸上の生活を始めた。
 この時、9億9万9千9百9十9人の人間の内で、大和の地へ生み降ろした人間は、日本の地へ上がり、それ以外の地へ生み降ろした人間は外国の地へ上がった。

水中での生活は、9億9万年(900,090,000年)
 9千9百9十9年の間水中の住まい。

・知恵の仕込みは、6千年(6,000年)地上での生活の内6千年は、神が入り込んで教えた。

文字の仕込みは、3千9百9十9年(3,999年)

・46年以前までの年数9千9百9十9年が地上での生活。

《16年本》「13」
又、さるが一人残りいる。これはくにさつちのみことなり。此の胎内に、男五人、女と十人づゝ生まれ此の人間も五分から生まれて、五分々々とだん/\成長して、又、八寸迄成長した時に、泥水、高低出来かけ一尺八寸迄成長したに、子が親(となりて、元の人数生揃ひ《補・梶本本22》)水土分かりかけ、これより男一人女一人二人つゝ生まれて三尺迄成長した時に、天地海山分かりかけ、人間物を言いかけ、それで、今人間は三才で物を言いかけるなり。五尺成長する迄は水中に住ま居五尺になる迄に、人間の成長に応じ、天地海山、水土速やかに分かりあり

 人数九億九万九千九百九十九人の内、大和の国へ産み下ろしたる人間は日本の地に上がり、外の国へ産み下ろしたる人間は食物を食い廻り、唐、天竺の地上がり行きたものなり
此の年限九千九百九十九年之間水中の住まいす地に上がりたるより四十六年以前迄の年限九千九百九十九年なり。此の内、六千年の間人間に神が入り込み、何事も教え来たる事なり人間のする事を神が教えたる事は誰も知りたる者はない筈の事、人間を拵えても、これ迄人間に入り込んで、口を借りて教えたことは今初めの事故に、実に承知する者少なし。虚言(註;きよふげん)と思えば虚言となる。真(註;まこと)と思えば真なる。神の言う事は真実と思て願えば、拝み祈祷や、薬飲まいでも、話一条で皆たすかる事、これ証拠なり

以上列記してみた。

皆様方はどのように思われるだろうか。

もう少し思案を重ねるために表にして見たいと思うが、親神様がお教え下された話の中で一番重要なのは「かしもの・かりもの」である。

人間の魂・心に体を貸し与えて、魂は生まれ変わり出変わりしているという事である。そして、この魂・心は生まれかわる度に様々な事を経験して、良い事も悪い事もしてほこりを積み、徳を積み、良いいんねんも悪いいんねんを重ねているのである。

本来の親神様の目標は「陽気ぐらしをする人間を見て、共に楽しみたい。その人間を作りたい。」というものである。

「16年本」の最後に次の事柄が記されている。

「かんろだい」」を建てる意味合いと、建ててからの事柄である。さらに、病気・薬・毒についても記されている。

《16年本》[14] 
 又、かんろだいを建てておくは、人間宿し込みたるじばの証拠に、元の十柱の神の謂うわれ形を以て建ておくなり。又この先は、世界中の心澄みたるうえは、かんろふだいの上に平鉢に食物を供え、それにかんろふを与え、これは人間の寿命薬となる、との御はなしなり。
 人間には病なく、薬なく、毒もなくして、此の元は皆心から。人間は死に行くと云うていれども、死に行くでなし。身の内は神が退く事なり。死ぬると云うは、衣服を脱ぎ捨ているも同し事なり、神が教え給うなり。
(終わり)

また、「教典の元の理」と「こうき話」の違いは、「こうき話」は、当時の先生方が聞いたままに、また感じたままに書かれているもので、その書き留めた人々によっての差があるものである。「元の理」は「こうき話」以外の資料も加味して、書かれたものである事、表現も世界に合わせて書かれてあることを改めて確認をしておきたい。

次回は、これを表にして、思う事を書いてみたいと思う。

 

親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りください。

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