あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

『別席教話の古記録』(書き換え)2。。「復元」1号。

2021年08月20日 11時05分22秒 | 復元 別席教話の古記録

前回第1稿 

『別席教話の古記録』(書き換え)1。。「復元」1号。

 を投稿したが、どうして、PCのデスクトップにファイルがあったのか思い出した。

昔、ホームページに出していたのは、字だけを新字体にしたもので、今回出したのは後2年半ほど前に、書き換え始めたものの、意味がつかめずに書き換えが途中で止まっていた物であったのだった。

その意味が分からなかった所は、今回の『第2稿』に出てくる。そして今回見直したところ、理解できて書き換えをしている。

一応、そうしたところや、特段気になったところには下線をつけておいた。

また、註1では「社」について削除とされているが、「おふでさき」を考えると、教祖のみならずつとめ人衆などの体を社と考える事も可能と思われて、そのままで書き換えをした。

【第二稿】(25頁まで)

 どなたもこの別席のお話はお聞きの方もございましょうが、前に変わった話でございません。心定めのお話を段々代わり代わりさしてもらうのでございます。

 所々でご奔走下されて心定めのお話を申します。その心定めのお話は何分一時にはゆかん。

それぞれに私心を沸かして日々に知らず知らず心を沸かす、そこでまた日々に我がと我が心から招いているようなもの、その招いている事を知らず刷らずで、その場で起こったように思う。なるほど「その場で起こったという、成るという」は、これを神様はどうもいじらしくて見ておられんと仰る。

 日々に知らず知らず暗がりを走り歩いているような者を、黙ってはおられないと仰る。この理をどうもいじらしくてならん。人間を創ってから、何不自由無いようにしてあるこの人間である。

 身上が壮健であっても日々に与えがなくて難儀不自由する者もあれば、日々与えがあっても身に不自由不足があって難儀する者もある。これはどちらも不自由でならない。これを勝手気ままな心を持って通るから、元々無い人間・無いところを初めた元なる親で、元なる親が元人間初めた屋敷へ天下りたので、ただ一名一人の真実の心を受け取りってどんな働きもする。

 身の内は神様がご守護下されているから社(1)は神様の物。人間が日々支配をさして貰っているには違いない。成程という、かりものの理も分かる。日々理が分かればいかなる守護もしよう。

この度の道をつけるのは、心通りという神の望みという、この度の思惑があって道をつける。人間の真実これが望みや。真の心の理を受け取って自由用をする。

これまで神が人間に入り込んで教えてきた事を知らずに、面々が考えてしたように思って、はびこっている(のさばっている)。これが残念でならん。

教をする者が、教を外すようになって来ているから入り込んで自由用が出来ない。この度これまでの教えと言えども、今の教えと言えども皆目(別段に)変わった事を教えるのではない。けれども今までの教えは慣れっこになってしまって、神が入り込んで教える事が出来ん。

皆よい心を持って暮らす者が無くなったから、余儀なくこの度元の屋敷へ天下った。教祖が第一のひながた、教祖を(2)神の社と貰い受けた。元々人間初めた時の深き理があって、真心が天に通じて天より神の社に貰い受けてのお話、ほこりがつもっているような者に神様が入り込みそうな事はない。この話は無理にどうせこうせと言うのやない。

 今まで人間の通って来たあり様も、証拠なくして用いはしない。今度の証拠も話し通りに致したら、いかな自由用もする。これが証拠。無理にどうせと言うのではない。

自由自在に出来たのなら、人に助けの理を力だけやるのやで。今までの道とは違う。この度は言葉の理を守ったら、力と助けと共にやるのやで。お道はお助けいただけば、自分の助けの段取り(助かった方法)を人に伝える。助かった話を聞いて人がまた助かる。助かった話をすれば助けるだけの力が出来ている。

 なかなかどんな結構なお話を下されても、長く容易な(たやすい)事で人が用いなかった。元人間初めた結構な屋敷が現れても、皆敵(かたき)のようにする者が多い。お道は苦労の道を先に通らにゃならん。

子供がこの屋敷へ寄り来て、何も知らずに、魂の内へ無理やりに帰ったようなものであるその者には、心にたんのうさして返すのやで。寄り来る者は四方正面という。

 どんなに悪く言って来ても一寸もその者の事を悪く言うのやない。この事を詳しく聞いたならばどんな者でも着いて来なければならないようになる。知らないのだから、これは無理はない。

この話をどんな者でも小口から守れば何にも言う事ない。

神が入り込んでどんな自由用もし、段々年がたつその上に、色々勝手気ままの事をして、生れ替わり立ち替わりして難儀不自由で通らねばならん。又そこそこの心を持って通っている者もある。

 そこで人間には、高い低いが出来たけれども、神の目には高い低いはない。我がと我が心より難儀の道へ入ればどうもしようがないと仰る。

 教祖をあちらこちらへ連れて行って懲らしめるという。色々様々な圧力の中を、教祖がなされた数十年のご苦労は、ご婦人の身の上であるのに、監獄のアラムシロの上でご苦労下されたのは一度ではありません。又夏の炎天にご苦労下された事も度々である。人間の浅はかな姿をかるしめた(軽く見た)のや。誠といえば一時守る者はない。そこで無理はない。

 人間が我が子を育てるのも同じ事。親が苦労艱難と言えば、言うに言えん苦労もしなければならん。親が着なくても着せて通る、その親の苦労を子は何と思うか。子供は何とも思いはしようまい。子供は親を恨むであろう。

親の心によって子供に物芸(習い事の意味だろうか?)を仕込むについては、親が食べずとも食べさせて、苦労するであろう。これは親のためか、子のためかよく思うて(考えて)見よ。これも同じ事やで。10人育てても10人すべてが思うように行くものではない。

 身の不自由、難儀。今来て今なったように思う事が、どうもいじらしくて(けなげであわれで)ならん。親の家を、尻向けて出るような者もある。親のいう事を用いる者は杖柱として何時いつまでも親が付きまとう(連れ添う・寄り添うという意味だと思う)

その子供が成人の後、人の中で踏みつけにされてから思い出す、親の事を。これは後の間(後の祭りの意味に思える)であろうがな。

親さん(教祖の事と思われる)が艱難苦労された時に攻撃(3)した人は、今は、真実の人と、これをあほという人とがいる。なれども、なれどもその中を、日々年々月々と教祖が身の行いをしてお通り下さるから、世界が関心をして世界の教えといえども、話は良いが行が出来ん。

そうすると今度は自分が楽どころではない人によっては、「あれだけの教えをして」と自ら日々教えの行をする理を感じて、道についた人もある。

なお言うに言われない事は、今日では教会もあり、職もあり、心は安心で通れる。なれどその自分(教祖の当時)は何の名所も無きゆえ、なかなか(人が)寄り付く事も出来なかった。その中の苦労艱難を思ってみよ。道すがらとなった教祖のその道中を暗がりの道という。

 「この度、身を隠して道を早くするで」と仰る。教祖が、人間の目に見えないけれど、「存命より一層厳しく早く道をつけたい」と仰る故に、本部も直ぐに出来、より来る人も心懸かりない(心配ないの意味と思う)。またそれぞれお助けに出るのにも教職を拝命して、公然と出来る段々の道がついて(出来ての意味と思う)来ました。

 この屋敷はどんな事も人間心でしてはならん。この屋敷は神のさしづより外に理はない。

・・・・・・

ここから先の書き換えをしていたのだが、どうもブラウザの調子がおかしい、折角書き換えをしたものが消えて、やり直しとなる。

そこで、今回はここまでとする。

この後は、別席の事について、応法の道について、おさづけについて、おたすけについての話と、今の私たちが聞いているような安易な話ではない。

教祖がお付け下された、誠の道を受け継ぐために必要な事が言われているように私は感じた。

医者が見放した身上を御守護頂く事は、親神様・教祖のお働きを頂くしかない。

そのために必要な事、必要な精神を培う事も大切な事だと思う。

 

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