今日は4月11日、明日の月次祭の準備の日である。
早いもので、もう4月である。
桜の季節が終わり、新緑の季節に移り変わる。
桜の花はとても美しく、その桜色の濃くも無く薄くもない色合いが何とも好きである。
それも一輪では色がとても薄いのだが、沢山の花が集まるとしっかりと桜色が見えるのである。
その花が散ると、その木は暗く、汚く見える。
すぐに新緑の葉が出てくるのではない。
先日、神殿奉仕を終えて、息子の寮へ立ち寄ったところ、豊田山(教祖のお墓地)から規律訓練の声が聞こえる。
新入生恒例の行事である。
新入生にとってはとても辛いものであるが、共同生活をする上には大切な一つの儀礼だと私は思っている。
その声を聞きながら、先ほどの桜の花が散った姿を思い出したのである。
名古屋へ帰るので、神殿へ参拝に行きながら、先日ライトアップされた枝垂桜を思い出した。
いつもならば南礼拝場へ上がり、参拝をするのだが、南礼拝場前の駐車場が一杯だった。
本部駐車場へ停めて、東礼拝場で参拝をして、別席場前の枝垂桜へ行く。
途中に、天理託児所の保母さんが、子供と遊びながら世話をしている。
枝垂桜は案の定、とても暗く寂しいものとなっていた。
「こんな状況を撮影するのは自分だけだろうなぁ」と思いながら動画を撮る。
世界の状況から、いよいよ日本も戦争状態になるかという話が持ち上がり始めている。
「不安な人々も多いだろうなぁ。」と思った時、
「ここはこの世の極楽や わしも早々参りたい」とのお言葉が浮かんだ。
そして「黒門前に。。。」という話も頭をかすめた。
先日の当番で、ある会長さんが「世間の常識を知らずに。。」と話を聞かせてくれた。
その世間の常識が今変わろうとしている。
新型コロナ・ワクチン、そしてウクライナとロシアなどなど、多くの情報が飛び交う。
情報を消すことが出来なくなって来たので、平然とウソをつきまくって自分を正当化しようとしていると見える。
初めて情報を知った人は戸惑うだろうが、以前から情報を知っている者にとっては、またか。と思うばかりである。
そして、いざという時の備えは個人個人でするしかないと思うのである。
お道の常識・理想には、教祖・親神様の常識である「陽気ぐらし」へはまだまだであるが、この今の状況もそれに向かう一歩である。
ようやく「沈黙していてはダメだ。自分から声をあげねば」という声も聞かれるようになった。
原子爆弾という事が言われるが、宇宙人が存在するという話の中では、すでに過去に原子爆弾で、人間は一度一からやり直しているという話があった。
これを見た時、親神様が教祖に入り込まれた時、「これがこの世の始まり」と言われた事を思い出した。
人間の身体が出来て、知恵文字と仕込まれたが、心がまだまだ陽気ぐらしが出来るまでに成人していないのである。
その仕込みの段階が、今であろう。(どこに書いてあったかなぁと思っていたら、山田伊八郎文書、教祖様御言葉にありました。)
陽気ぐらしが出来るためには、互いに思いやれる心が必要なのである。
そのためには、自らが傷つき、自らが悲しい思いもしなければ分からない事もあるのである。
そして自らが、自らを律する事が大切なのである。
教祖が貧に落ちきられた。
貧に落ちきらねば難儀する物の心が分からないと。。。
そして、親神様の御言葉に沿って歩まれた。
天の理に沿って、自らを天の定規に合わせて、律して通られたとも言えると思う。
どんなつらい事があっても、それはそれぞれの心の学びのために必要なのだと、ひながたは教えてくれていると思う。
すぐにほこりを積む人間には、切りなし普請である。
まなびは。。。(^^)