7番目の末っ子が、天理高校2部に入学した。
4月6日が入寮、入学式
4月7日が勤務場所の発表とその説明。
無事に終えて、昨日できなかったWEBへの投稿作業などをして、ようやく落ち着いた。
明日は本部の神殿奉仕。
世界の動きは目まぐるしくて、ほこりがいっぱい立っている。
そのほこりをよけて通れるように、人々がそのほこりに気づくようにと、
入学式で思った。
すべてはいんねんの上から成ってくること。
それを知っているか知らないかで、その先は違ってくる。
この教えは、単なる一宗教の教えではない。
この世界で、人間が生かされている理を教えてくれているのである。
例えて言えば、
出産できるのは、親と子の縁が切れる働きがあり、子供が出てくるための引き出す働きがあり、そして親の身体が元に戻るつなぎの働きがあっての事。
この理由を知らないで、右往左往しているのが人間である。
この働きを十分に頂ければ、自然の動物のように楽々に安産させて頂けると、おびや許しを教えられて、安産の許しを頂く事が出来るのである。
しかし、この理を知らない、また知ろうとせずに、ただただご利益だけを求めようとするのが人間で、それをまた親神様はざんねんと思われている。
我われは、親神様・この地球の不思議な働きがあればこそ、ここに生きておれるのである。
人間は知恵を頂いた。
その知恵があるからこそ、色々な事を考えて、色々なものを作り、便利になって来た。
その知恵に、神様の働きの元、心と神様の働きのつながりをも教えたいというのが、この教えでもあろう。
動悸が起こる事について、「胸が分からんと神様が笑っておられる」と教祖の言われた言葉が記録されている。
これも一つの理である。
人は不安になったり、驚いたりすると、胸が苦しくなったりする。
心臓に異常がなければ、神経によるものと医学的には言われるが、その神経が働く元は心にある。
不安が無くなれば、胸は落ち着くのである。
恐怖に青ざめるというが、これも同じだろう。
心ひとつ、「心臓」。
心の臓器。。。
心澄まして、心明るく通りましょう。
今日も一日お疲れさまでした。