様々な事柄がある。
その事柄の善悪もあるが、その善悪の中に親神様の受け取られる誠真実があるという事だと思っている。
郡山大教会初代の平野楢蔵先生が「屋敷の常詰」となられた事から、昔聞いた事で覚えている事がある。
それは、本部の境内係の事である。
私は今から40年近く前、第2専修科という所に入って、一年間境内係をさせて頂いた。
その頃の境内係は、神殿内で立っている時には必ず靴下を脱いでいた。
寒い冬の中でも必ず靴下を脱いだ。
それは、いざという時に靴下では滑って走りにくいからである。
実際に、裸足で走るのと、靴下で走るのとでは、特に畳の上では初動が違う。
おぢばはどんな人が来るか分からない。
聖地だからよい人ばかり集まると思う事は間違いである。
いつも書いているが、人間は知らず知らずにほこりの心を積むのである。
そのほこりを払うために、おぢばへ足を運ぶのである。
ほこりが払えればよい心で善い行いとなるだろうが、払いきれていなければ、どんな心を使い、どんな行動をするか分からないのである。
そうした時に、大切な方々、大切なかんろだいを守らせて頂くという事、そのためには多少冷たくても、裸足で30分立つことが、とても誇りに思えていた。
青年会歌に「教祖の右翼」という言葉が出てくる。
この「右翼」という事がには、教祖をお守りし、教えを守るという意味があるように思っている。
右翼という言葉が出たので、左翼という事にも触れておく。
世の中には左翼「リベラル」という事も言われている。
そうした団体が、自由・平和などという事を言いながら、右翼団体に化けたり、特定の団体を使って暴動を扇動する姿を、アメリカ大統領選挙の暴動の真相について個人が発信する実況を見ながら感じた。
自由という事を自分の都合の良いように解釈して、長年親神様が作り育てた秩序を破壊しているように私には見える。
これまたいつもの話になるが、「八つのほこり」の後に、「うそと追従これ嫌い」と教えられているのである。
うそをついて、人をだまして、自分たちの思いのままにしようとすることは、親神様の教えの中では、大罪であろう。
「うそをつかない」という事も一つの秩序であるはずである。ところが「うそをつくのも」自由という言葉で肯定して、進めているように思われる。
先日「自由民主党の総裁選挙」があったわけだが、あの時のマスメディアの報道が、完全に誘導する報道であった事は、ネットで冷静に情報を集める人々には明確になったことだと思う。
テレビしか見ない人には分からない話だが、ネットと両方から情報を得る人には見えたはずである。
これが事実であり、真実である。
これまたいつも書く事だが、すべては「かしもの借りもの」で、それぞれの心通りに、与えられているのである。
そうした事実を見て、どのように思い、どのように行動するかを親神様は受け取られて、それぞれに返して下さるのである。
ユーチューブがワクチン関係についての批判的な報道は削除すると公表した。
世界中でワクチン接種によっての障害の事例が報告されているが、マスメディアは報道しない。
治療薬についても、「イベルメクチン」が大変有効であるとの、北里大学の治験報告も名古屋で行われたと、ユーチューブ配信された動画に巡り合った。
ともかく、親神様のお受け取りは、それぞれの誠真実である。
誠をどのように出すか。
それに尽きるだろう。
親神様のお導きという観点から見ると、私の周囲は親神様の御守護だらけである。
今日は、昨日の支部長会議から、支部例会の資料を作らねばならない。
10年以上使ったICレコーダーが壊れたので、このために買って来た。
新型コロナ対策で自由に会えない中だから、よけいにこうした文書での連絡が大切だと感じている。
長々と思うままに書きました。どうぞお許しください。
そして、何か皆さまの参考になれば幸いです。
親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。