昨日、9日 お隣の韓国で、収束していた新型コロナの集団感染が起こり、感染対策の再開が報道された。
今現在日本では、休業要請解除、また休業要請保障について、多々意見が交わされている。
韓国のようなことは、この新型コロナの特性(感染していても無症状で、人に感染させる。症状が出ても風邪と区別が付けにくい。)そして、抗体検査なども議論されているが、この抗体もどれだけの持続力があるかもまだ不明の状態である。を考えれば、現状の生活様式(政府がこの言葉を使っている)では絶対に避けられない事である。
この生活様式とは、どのように変えていけばよいかということを考えた方が良いと思う。
そのためには、まず現在の生活様式を知る事。そしてそれがどのように影響をするのかという事を考える事だと思う。
もう一つは、感染しても発症しない人はどんな人かを知る事も大切だと思う。
昨日、
として書いたが、これまで法律で定めて規制してきた事も、自分たちの都合でどんどん変化してきている。
自由と人権を尊重する日本だからこそ、法律がありながらも、それをうまく利用しながら、自分の好き勝手をしてきている風潮もあると思う。
こうした疫病は、そうした事への、親神様のメッセージだと私は思う。
先日、看護師の妹と話をしたが、もし疫病に感染した時には、家庭でそれを防ぐことは無理だ。医学的にどれだけの予防をすればよいか。考えただけでも鬱になりそうだという話になった。
「だから、親神様にお願いをするんだよ」と話をした。
医学や物理またその他研究者という人々は、得てして、神の存在を否定する。
中には「サムシンググレート」何か偉大なものという表現を使う人もあるが、その神からのメッセージを読み解こうという感覚はないように思う。
(あったとしても、今の世の中の風潮から、そうした事は発言できないのかもしれないが・・・)
先日、かしもの・かりものからの思案を中心にとして書いたが、何を基準として思案するかで、生き方も喜び方も変わってくるのである。
私たちお道のものは、おさづけを戴いている。これは人助けの上に使わせて頂くものである。
このコロナ騒動が始まる直前に、おさづけで不思議を見せて頂いた話も、書いておいたが、おさづけは親神様がちゃんと見ているという証拠である。
まず、このおさづけは親神様・教祖を信じた上の話であること、そして別席を9回運んだということは、「かしもの・かりものの思案」「八つのほこりの思案」「誠真実の思案」「いんねんの自覚」が出来ており、教祖のお心を自分の心として人が助かる心を使う事を定めた。その上に戴き、使えるものである。
だから、ご本席様当時は、本当に心の定まった人しか頂けなかった。しかし現在はそうではく、一定の形上の基準を満たせば頂ける。
形の上には、真柱様から「さあさあ・・・」とお許しを戴いて頂戴していても、それぞれの心を親神様は見ておられるので、先日の肥のさづけの話同様に、十分丸々頂いている人もあり、半分頂いている人もある。年齢や経験を考えたならば、今はまだまだだが、将来を見越して下さっている場合もある。(おかきさげに30歳未満の人には、付け加えられている言葉から思案できる)
おさづけを戴いた後の仮席の話で、「おさづけのお願いは日限を切る事。その最長は3日間というお話がある。」もし「3日間で変化が現れなかったら、それは心定めが親神様の思いと違うので、またねりあいをして心定めて、願う事」と教えられる。ここで注目しているのは、完全なる御守護という事ではなく「変化」という事である。
実際にこれまで数多くのおたすけの話が本になっているが、この「変化」に気が付き、そして喜んだ中に、どんどんと良くなり、しまいには医者もびっくりする御守護につながったという話はいくらでもある。
いんねんならば通らなければならないのである。果たさなければならないのである。今世に積んだほこり・いんねんならば静かに思案すれば思い当たる。しかし前生からの持越しのいんねんはそうは行かないのである。このことは教典に書かれてある。
そうしたいんねんの現れは、実際には自分の癖性分として表れているのだが、それに気が付きにくい。それに気が付くためのねりあいであるのだが、人は認めたくないのが、普通である。
そんな中でも、ちょっした誠真実を親神様は受け取って、果たさねばならぬ深いいんねんも、軽くみじかくしてくださるのが、おさづけである。
こうした理の筋道がある事を教えられているのが、ダメの教えと言われる教祖のお話である。
こうした話を元に、今の生活様式・心の様式を考え直して行くことが大切だと思う。
表統領先生が、教えられたとおりの歩み方に戻すことを話されていたわけだが、この「教えられた通り」の、この「教え」を知らなければ、考えなおす事も、戻すこともできないのである。
この教えを知らぬ人は、ゴールを知らない。ゴールとは人間の生きている目的である。この目的を言えるのは、神すら作った親神様だから言える事である。
「おふでさき」に「もうさとりないぞや」という言葉がありながら、「さとりばかりや」と相対する言葉が出て来る。
前者だけを思案する人は、「さとりは必要ないから、言われるままに通ればよい」というように解釈する人もある。
今はこれについての話はやめておく。
今だからできる事を、考えられる人から、自らを省みて、親神様の思いにかなった思案の仕方、生活様式に変えて行きましょう。
親神様・教祖、お導きありがとうございます。皆の心に悟りが付きますように。
以下に、思案のきっかけになった記事をコピペしておく。
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韓国・ソウルで40人規模集団感染 クラブ訪れた客や関係者
5/9(土) 17:51配信
FNNプライムオンライン
外出自粛要請が解除されたばかりの韓国・ソウルで、40人規模の
新型コロナウイルスの集団感染が発生した。
ソウル市によると、市内の繁華街・梨泰院(イテウォン)にあるクラブを5月1日深夜に訪れた客やその関係者、あわせて40人が、新型コロナウイルスに感染していることが確認され、感染者はさらに増える見通しだという。
当日、クラブに来ていた客およそ2,000人のうち1,300人余りと連絡が取れておらず、ソウル市は警察と連携して客を特定し、検査を受けさせる方針。
また、クラブなど夜の遊興施設について、罰則付きの営業禁止命令を出した。
感染者が減少していた韓国では、6日に外出自粛要請が解除されたばかりだが、首都ソウルでの集団感染発生を受け、再び緊張感が高まっている。