ものぐさ日記

ひとり遊びが好きな中年童女の日常

知られざる魯山人

2007年11月11日 | 


知られざる魯山人 山田和:著 文藝春秋社:刊

 

 茄子のヘタまで料理しちゃう人、というのは、魯山人でした。

 魯山人といえば、書家、篆刻家、画家、陶芸家、料理人、美食家と、いろいろな面で、その才能を知られた人ですが、私にとって、一番印象的なのは、「タニシを食べて死んだ人」だということ。子供の頃、近くの山の沼でタニシを捕って、酢味噌で和えて食べていたので、「タニシで死んだ」と聞いたときは、ショックでしたし、一流の芸術家なのに、食い意地が張った死因で、おかしかったせいもあります。正確な死因は、ジストマ虫による肝硬変で、タニシが、ジストマ虫の原因と特定はできません。

 懐石料理店に勤めていたことがあり、魯山人作の器も見ましたが、盛ってある料理がおいしそうに見えるという点では、他の器と同じで、魯山人作の器だけが、とりたてて優れていると思ったことはありませんでした。きれいなものがそこにあっても、気づくか気づかないかは、その人次第、ということでしょうか。でも、頒布会用の写し食器などを見ると、それがどんなにひどいものか、ということはわかります。赤坂のビジネスホテルの朝食に、まずいご飯が出てきたとき、それまで、特別に思っていなかった、新潟県・魚沼産のコシヒカリが、どれほどおいしい米だったのか、初めて気づきました。

 著者は、現存する魯山人関係の資料にはほとんど目を通し、約80人の関係者に取材してるだけでなく、子供の頃、魯山人作の器を日常的に、愛着を持って、使っていた人です。著者のお父さんは魯山人と親しく、魯山人のエピソードを直接、家族から聞いて育った人です。そういう人が、思い入れや記憶に邪魔されず、膨大な量の資料を、客観的に分析し、検証していったということは、すごいことだと思います。

 それに比べ、単なる読者の私は、自分のことと重ね合わせ、なかなか読み終えることができませんでした。懐石料理屋の店主のこと、里子に出された家のこと、ほめられた料理、いろいろな食べ物の思い出、タニシを捕った沼…。随所に引用されている魯山人の言葉にも動揺し、先日、インドの布を見に、日本民藝館に行ったときも、思い出しました。高い物とか安い物とかではなくて、一番もったいないのは、使わないで無駄にしてしまうことだな、なんて思ったり、「料理はもてなしの心だ」、と言った魯山人が、なぜ、フランス料理を、認めなかったのか、とか、芸術って、そんなに大事なのか、など、何日もかけて読みながら、考えがまとまりませんでした。

 そんなわけで、読み終えたばかりですが、また読み直しています。


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