勤務先で『重複』を「ちょうふく」と発音したら、「じゅうふく?」と返されました。
しまった。最近は、『重複』は「じゅうふく」だし、『早急』は「そうきゅう」と読むのであった。…と思いつつも、なかなか長年の癖は抜けなくて、別の日にも「ちょーふく」と発音したら、「じゅーふく」と直されちゃいました。
「本当はチョーフクって読むのよ!」なんて10年前なら言い返したかな?亡くなったヒンディーの先生もよく、「昔は『著者』はショシャと読んでいて、チョシャなんていうと、百姓読みと笑われたもんだ」と言っていましたっけ。
私より前の世代の方でも、「じゅうふく」と言う人が多いので、今は「じゅうふく」の方が一般的になったような気がします。『貴重』、『丁重』とか『早速』は、今でも「きちょう」「ていちょう」、「さっそく」と発音するようですが、『重複』と『早急』だけが、どうして「じゅうふく」・「そうきゅう」になったのかな?
私が中学~高校で習った英語の発音はアメリカ風だと思いますが、長年「コンシューム」と発音していた単語consumeが、最近のアメリカ英語では「こんすーむ」の方が一般的だと知り、軽いショックを受けました。suという綴りに引きずられる形で変わったのか。それともどこか一地方のアクセントが一般化したのか。
五線譜で表す音は、半音高さが違っても、音楽家ならはっきり区別して別の音と認識すると思いますが、発音、とくに母音の区別は、ことばの意味優先なので、ひとつひとつの音を明確に発音/認識するのはなかなか難しいような気がします。
コーラン(クルアーン)は、教義は変化しないように、アラビア語以外に訳すことが禁じられていますが、詠唱の発音にも基準があるのでしょうか。イスラム教徒には、アラビア文字で表記するペルシャ語、ウルドゥー語、スィンディー語などなど様々な言語を使う人たちがいると思いますが、それぞれの言語のくせがコーランには反映しないように気をつけているのでしょうか?
インドのヴェーダ詠唱など、口承で伝えるものは、複数の人が厳格に守る気がないと、続いていかないでしょう。音を文字で表記するようになると、いつの間にか、音が文字に影響されて、音そのものが変わっていくことがあります。バベルの塔は文字なのかなぁ。
なんてことをつらつら考えているうちに、「歌詞」と「菓子」の違いを明確に発音できた母を懐かしく思い出しました。
言われてみると早急も「そうきゅう」と発音してる人も多いですね。
うちの母は「馬」「梅」を「んま」「んめ」(んは小さく)と昔は発音してたんだよ~と言ってましたが、私の記憶にあるかぎり、表記どおりの発音(「うま」「うめ」)をしてました。
学校でそういう指導を受けたのかも??
今となっては確かめようもないのですが。
> うちの母は「馬」「梅」を「んま」「んめ」(んは小さく)と昔は発音してたんだよ~と言ってましたが
おお~!
ことばって、思っていた以上に短い間に変化するものなのですね。「うま」「うめ」になったのは、やっぱり表記に会わせたのでしょう。鼻濁音がなくなったのも、表記で区別がつかないからかも。
地面を「じめん」、お爺さんを「おじいさん」と書くようになりましたが、「鼻血」は今でも「はなぢ」なんですよね。そのあたりの基準がよくわかりません。