40年ぶりの『ポーの一族』の新作!ということで、「月間フラワーズ」を予約お買い上げ。漫画の雑誌を読んだのは何年ぶりになることやら。
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う~ん?
これはエドガーではない?
「残酷な紙が支配する」とか、「フラワーフェステイバル」の登場人物のようだ。病気で弱々しいアランも、滋養のあるチキンスープくらいは飲んでいそう。
背景の描き込みも、昔に比べると黒塗りや影が少なくて、健康的な感じがするような気がしちゃう。昔はバックが黒っぽかったのでいっそうエドガーが青白く(白黒だけど)思えたのか。
萩尾望都の絵柄が変わったのだといえば、それまでですが、絵の力量があがったからこそ描けなくなるものもあるんですね…。今なら、前よりもっといい「百億の昼と千億の夜」が描けるかもしれませんが、14歳の吸血鬼はいなくなってしまいました。
同じような違和感を、2013年にハイドパークライブでミック・ジャガーが歌った「ルビー・チューズデー」にも感じました。なんちゅーか、声質と音量調整のかテクニックとか、画力とか、筆圧とか、そういうものって、作った本人でも過去のものは再現できないというか、計算外の美というか、受手が同じものを求めちゃいけないというか。イノセントの意味は純粋だけじゃなくて無邪気で無知っていうか。何か得ると失うものもあるというか。いやいやそれは発信者だけじゃなくて受け手の我々も同じというか。
目で見たり耳で聞いたりするもの、舌で味わうは、想像力を働かせる余地が少なくて、イメージが固定しちゃうのかも。小説なら、過去に思い浮かべた情景や主人公の風貌を、自分の想像力で、違和感なく過去のストーリーにつなげることができたような気がします。
中高年ともなると、年々体にもいろいろガタが出てきて、健康・健全なものがすばらしく思えてきます。モーさまがいま、14歳の少年に描きたいものは、青白い顔ではなくて、生命力なのかも。特にエドガーは、キング・ポーの濃い血を受け継いているし。
「春の夢」の後編は今年の冬に掲載とのこと。なんだかんだ言いながら、また読んでしまいそうです。
うーん、エドガーという雰囲気ではないですよね…。
あの時代に奇跡的に存在した、絵だったのだなあとあらためてしみじみ思いました。
あの後、ずいぶん絵のタッチが変わって、オスカーもなんだか健康優良児という感じになってしまったのが個人的には悲しいっす。
でも、たぶん次(冬ですかね)も読むと思います。
今回、困惑したエドガーの頬から冷や汗が出ているコマがあり、(こりゃエドガーではない!)と確信しました。
山岸凉子との対談は、プロ同士の話らしくおもしろかったですが、付録の小冊子は意味不明。
U子ちゃんの感想も聞きたいですね。
flower私は買えませんでした。
気づいた時が再販日だったのですが、どこも売り切れで…
電子版ではなく本で欲しかったのであきらめました。
悲しかったので、「王妃マルゴ」を買いました。
何ヶ月もブログを放置していて、コメントの返信がすっかり遅くなってしまい、申し訳ありません。
「ポーの一族」第2話は今月発売のフワラーズに掲載され、なんとその後連載されるとか!
「王女マルゴ」もおもしろいですよね~。現代のフランスではユグノーはかなり少数派だと思いますが、当時はかなり大きな勢力だったのですね。