軽かったのではないか自民党の読み
参議院での野田首相への問責決議の通過で、いよいよ総選挙が近づいてきた感じだ。
今回の問責決議は、自民党にとって実に説明のつかない重荷で訳の分らぬものになってしまった。自民・公明が民主党に注文をつけ、大幅修正を認めさせた結果の消費税アップの提案を可決させたことを最も大きな野田首相問責の理由とした決議案だ。その修正でほとんど自民党の提案を受け入れさせた自民党が同意したからできたので、私から見れば、これは自民提案のようなものになっていり。これまでは脅していうことを利かせてきたのだが、散々言うことを聞かせたらもう、利用価値がないと切り捨てたような形だ。
これまでの国会での駆け引きに、自民党と同調していた公明党はさすがに自民党よりも辻褄合わせを考慮していたのだろう、この動きには一緒に動かずに棄権に回った。
この結果、先の増税案にかかわる具体化へ必要な法案なども積み残し、いままでの積み上げは、このままで解散すれば、実効を上げにくいものになってしまった。どうしてこんな結果に自民党は転んで乗っかって行ったのだろうか。
「一日も早い総選挙を実現させる」
と谷垣自民党総裁は語っている。その辺から私には今の自民党議員たちの腹が見えて来てしまう。そうだ、はっきり言って自民党は、いま、政府が出している選挙法の改正案を潰そうとしているのだ。
なぜつぶすのだ、それが議員の総数を40人以上も減らす内容になっているからだ。比例代表での当選議員を減らす。それは選挙区選挙では当選できなかった個人としては選挙区で力の弱い多くの立候補者を救う手段が大幅に小さくなる。そんな線上にいる選挙に弱い議員たちの危機意識に配慮しなければ、今の自民党執行部は、党内の議員たちをまとめきれないと判断したのではないか。自民党の総裁選挙は目の前だ。そう見られても仕方があるまい。
国民の声にもっとも反応しない部分
行政改革など、政治にかかる経費の削減は国民にとって当然の要求である。だが経費を既得権だと思っている公務員や議員たちにとっては、国民に不満があっても、自分らの地位を危なくしたり経費を絞られることは必死に抵抗して封じ込めたい問題である。お陰で議員たちが消極的でなかなか実現しない。そのなかで、もっとも合理化が遅れているのが国会など立法府の合理化なのだと指摘されている。
これは議員たちが、国民の要望に反してでも守り続けたい、いままでに積み重ねてきた「お手盛り」の累積である。今回の自民党の、自分が工作して実現させた政府を、敢えて問責するのに賛成した動きには、自民執行部が党内のこんな動きに負けた結果だと私は見たい。
「お手盛りは削れ」「議員総数も減らせ」「無駄な立法経費は減らせ」というのは国民の一致した声であると言ってよいだろう。加えて議員一人当たりの選挙区での有権者の数が、憲法違反になるぐらいに違いすぎているとの最高裁の司法判断も示されている。
違憲判決に応ずるためには、議員の定数を調整して違憲状態に対処する新選挙定員案を作る以外にはない。その方法は議員を増やすか減らすかの二案しかない。そこで民主党は国民の受け入れやすい選挙区調整をやり、加えて比例区を大幅に削るこれも国民に受けのいい選挙区改正案を提出した。その背後には国民の声を利用しようとのしたたかな野田内閣の計算がある。野田氏の計算はすでにこの問題には触れたことがあるので繰り返さないが。
首相は新しい事態まで読んでいるのか
問責決議は参議院での決議だから、法的には野田首相の進退を拘束しない。さらに衆議院での内閣不信任案はつい先日に提出されたが、これには自民党も賛成できず、否決されているのだし、「何で首相任免の権利を持つ衆議院が不信任案を否決したのに、その直後に参議院の議決で政権を投げ出す必要があるのか」。これも野田内閣にとっては政権を存続させる根拠になる。
結果として残るのは、最高裁から憲法違反といわれた選挙制度の改革案が残る。だが、いままで国会が何をやってきたのかも御破算にしても、ただ議員定数を減らさずにそのままの状態で選挙をやれと自民党が主張しているだけのような格好となってしまった。だが総選挙になったら、こんな恰好でどう戦うのだ。憲法違反をなぜ黙認しようとしたか。議員定数をなぜ減らさないのか。これに答える責任があるのは与党ではなく、どうやら自民党にされそうな気配だ。
こんな国民心理を計算して野田内閣は動いている。野田政権の支持勢力は弱体だ。だが総選挙までの数日に、どれだけこのような環境を積み重ね、自派に有利な状況を作り出すか、野田氏は着々と動き、成果を積み重ねているように見える。
総理に就任した時、「自分はドジョウのような総理を目指す」と言った野田首相は、なかなか執念深い活動をする。その先には既成政党が国民に飽きられて、新しい時代がやってくるかもしれないその場面に対しても、布石らしきものを持っているのではないかとさえ思えてくる。