雨の日も風の日も ららる~♪

気ままな毎日を綴ります。

Aちゃんロス

2022-05-26 | 家族

息子が帰って来たので、Aちゃんのお預かりが無くなった…。
月末になると、来月の予定がママから入って来た。
忙しい忙しいと言いながら、すっかり生活の一部になっていた。
今度は何をして遊ぼうかなあ~と、色々考えるのが楽しかった。
2階の、Aちゃんの工作のためにとってある
段ボールやトイレットペーパーの芯、牛乳パックが淋し気だ。
ママから、今度は夏休みにお泊りお願いしますとライン。
夏休みなんだ・・・。
息子の不在で、嫁のRちゃんとはずいぶん気軽にラインが出来るようになった。
この約2年間、行き来もいっぱい出来ました。
AちゃんもT君もパパにうんと甘えているだろうな。
家族そろって生活が出来るようになったことが何よりです。
朝8時。この時間は、二人元気に登校登園している頃かな。
ばあばは、何だかぽっかりと穴があいたみたいだよ‥‥。



いかが

2022-05-25 | 今日のローラ

犬はやっぱり犬小屋が似合うよね。
居心地いかが。
今朝の散歩からマスク無しです。

いつもいっしょ

2022-05-23 | 今日のローラ

写真が出てきました。柴犬のロッキーです。
何を考えているんだろうね。お人(犬)好しなロッキー。

初代ロッキー14年。2代目14年。
ローラ6年…34年もわが家はいつも犬と一緒です。

*悪口は書かないのが決まり。
 なので、朝一に書いた白いわんこの文は削除しました。
 読んだ方いらっしゃるかも…ですね。

乙仲通りぶらぶら歩き

2022-05-21 | 旅・ぶらぶら歩き

「わあ~お久しぶり」待ち合わせで出会った瞬間のワクワク感。大好きです。Yさんとは、いつも電話で話しているので距離感はありません。でも実際に会ったのはいつが最後…なんでしょうね。昨日はリアルで街歩きとおしゃべりを楽しみました。マスク着用や、入国検査も緩和。感染者数は相変わらず減りませんが、街はかなり落ち着いてきたように感じます。

神戸には明治~昭和の石造りの建物が点在しています。写真は明治33年築の旧三菱銀行神戸支店。しばらく子ども服のファミリア本店だった。耐震工事に費用が掛かるので一部を残して解体されマンションになった。残念なことです。どこかに大金持ちのスポンサーいませんか。

初めに、神戸駅山側にある楠公さん(湊川神社)を散策。海側がハーバーランドです。海側に比べて山側の地味なこと。何にも無い…ここが神戸?と皆さん驚かれます。神戸の中心は三宮なんですよ。丁度お宮参りの赤ちゃんの御祈祷中。巫女さんの舞いと宮司の祝詞を神妙に。

近くには、昭和の民家を再生した可愛いお店がっちょこっと並んでいます。BeBeBe ChocoIatier(ベルギーチョコレート)、コンフィチュール・カジュー神戸(手作りジャム)にカフェ…そこからてくてく歩いて元町へ。乙仲通りぶらぶら歩き。

歩くといろんなことを発見しますね。これが街歩きのいいところ。普通の家に見えたのですが門が開いていて、最中きんつばのみありますと。そっと入ってみたら、「丹波小豆和菓子処 四代目 松川」でした。丹波小豆がぎっしり詰まった蒸しきんつばをひとつお土産に。どっしり重い(笑)。喜助最中をおまけにひとつ頂きました。知る人ぞ知る豆大福が人気のお店らしいですね。売り切れると店じまいだそうです。気づかずに通り過ぎる所でした。

南京町の南にある通り、乙仲通りは注目の通りです。この辺りは海運で栄えた昭和のレトロなビル街。若いクリエーターたちが建物を生かしていろんなお店になっています。神戸大丸界隈のにぎやかさに比べ人も少なく落ち着いています。通りにはそこここに小さなお店が並んでいます。皮革のカバン店では若い職人さんが、オーダーにも応じますよと。色とりどりに染められた皮のカバンや小物。赤いトートバックがかわいい~。見るだけで楽しい。英国の骨董品のお店では、お菓子の古い缶や茶器、テディベアが。Sさん1950年代のミント色のカップに悩んでいました。開けっ放しのオープンカフェ「スクールバス」では、丁寧に淹た珈琲が大ぶりのカップで出てきました。ゆったりしたソファーで時間を忘れておしゃべり。とても丁寧な応対。いつもはミルクを入れるのにブラックで飲めました。珈琲がおいしい!!お気に入りがひとつ出来ました♪ また来ようっと。

小さなレストラン、パン屋、雑貨屋、紳士服、アクセサリーショップ…。のんびりぶらぶら。お店の人たちとの会話も楽しい。雑貨好きの方には、神戸でお勧めスポットです。いっぱいおしゃべりしたYさんとの楽しい一日でした♪ またね~。三宮~元町~神戸はぜひ街歩きしてくださいね。

*見た映画「明日の食卓」(日)「朝が来る」(日)



私が生れた日

2022-05-20 | 日々

ところで私はどこで生まれたのだろう。今となっては分かりません。
結婚した当初、両親は父の実家に住んでいた。兄はそこで生まれた。そこには父の兄と兄嫁も一緒に住んでおり、独身の叔父もいて大所帯。最後にお風呂に入る時はお湯が無かった・・・と母が話していた。井戸から水を汲み薪で焚く五右衛門ぶろ。父の実家は大きな葡萄畑を営んでいた。隣村まで全て祖父の土地だったとか。祖父は後々議員になった。祖母は歌舞音曲好きで外出が多く、義姉は病気がち。母は家事全般をひとりでしていたので大変だったらしい。溌溂とした娘時代の母の写真。村役場に努めていたしっかり者。3姉妹の末っ子で大事に育てられた母。まさかの肩身の狭い新婚時代。年明けの5日、あわただしい中での兄の出産はどんなだっただろう。おまけに兄嫁の出産も重なった。次の子(私です)も年末の忙しい中での出産。私はたぶんここで生まれたのだと思う。きちんと母から聞かなかったので不明ですが。

やがて、祖父が庭のある一軒屋を買ってくれ、そこで夫婦水入らずの生活が始まった。海が見える坂の中腹。どんなにうれしかったかとよく話してくれた。そこで妹は生まれた。近所の子が集まってわいわい庭で遊んでいる中、近所のおばさんたちも手伝いに来ていた。当時は自宅で産婆さんの出産。まだかまだかとみんなで窓からのぞいて叱られた。兄がいたか。父がいたのか。そこは何故かまだら。窓からのぞいたあのワクワク感と初めて見た赤ちゃんだけはしっかりと覚えている。4歳半の記憶は確かです。

ところで、私が生まれた日はどんなだったのだろう。どんな赤ちゃんだったのか。父と母はどんな気持ちだったのか。初めての女の子で父が喜んだそうですへその緒はあります。もっともっといろんな話をきいておけばよかた・・・。今になってそう思う。もう覚えている人も話してくれる人もいません。父が祖父の名前から一字を取って名前を付けてくれた。この字は大好きな字です。早くに亡くなってしまった一族の自慢のお爺ちゃんの一字です。
息子たちにはつれづれに話をしようと思う。大昔のことなのに、昨日のことのように話せます。彼らの知らない彼らの「生まれた日」のことを。