雨の日も風の日も ららる~♪

気ままな毎日を綴ります。

私が生れた日

2022-05-20 | 日々

ところで私はどこで生まれたのだろう。今となっては分かりません。
結婚した当初、両親は父の実家に住んでいた。兄はそこで生まれた。そこには父の兄と兄嫁も一緒に住んでおり、独身の叔父もいて大所帯。最後にお風呂に入る時はお湯が無かった・・・と母が話していた。井戸から水を汲み薪で焚く五右衛門ぶろ。父の実家は大きな葡萄畑を営んでいた。隣村まで全て祖父の土地だったとか。祖父は後々議員になった。祖母は歌舞音曲好きで外出が多く、義姉は病気がち。母は家事全般をひとりでしていたので大変だったらしい。溌溂とした娘時代の母の写真。村役場に努めていたしっかり者。3姉妹の末っ子で大事に育てられた母。まさかの肩身の狭い新婚時代。年明けの5日、あわただしい中での兄の出産はどんなだっただろう。おまけに兄嫁の出産も重なった。次の子(私です)も年末の忙しい中での出産。私はたぶんここで生まれたのだと思う。きちんと母から聞かなかったので不明ですが。

やがて、祖父が庭のある一軒屋を買ってくれ、そこで夫婦水入らずの生活が始まった。海が見える坂の中腹。どんなにうれしかったかとよく話してくれた。そこで妹は生まれた。近所の子が集まってわいわい庭で遊んでいる中、近所のおばさんたちも手伝いに来ていた。当時は自宅で産婆さんの出産。まだかまだかとみんなで窓からのぞいて叱られた。兄がいたか。父がいたのか。そこは何故かまだら。窓からのぞいたあのワクワク感と初めて見た赤ちゃんだけはしっかりと覚えている。4歳半の記憶は確かです。

ところで、私が生まれた日はどんなだったのだろう。どんな赤ちゃんだったのか。父と母はどんな気持ちだったのか。初めての女の子で父が喜んだそうですへその緒はあります。もっともっといろんな話をきいておけばよかた・・・。今になってそう思う。もう覚えている人も話してくれる人もいません。父が祖父の名前から一字を取って名前を付けてくれた。この字は大好きな字です。早くに亡くなってしまった一族の自慢のお爺ちゃんの一字です。
息子たちにはつれづれに話をしようと思う。大昔のことなのに、昨日のことのように話せます。彼らの知らない彼らの「生まれた日」のことを。