面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

浜田山の吉永小百合

2007年09月20日 | Weblog
 姉や妹にかこまれた女系家族に育った所為か、色恋を伴なわない女性の友人が多い。なかでも、浜田山の吉永小百合(自称)こと田中真弓嬢との友情は、彼女がアイドル声優?で、僕がレコードプロデユーサーだった時代から、30年も続いている。正月に雪が2メートルも積もった福井のデパートでキャンペーンを張ったこともあった。僕が劇団を旗上げする前から自前の劇団を持っている芝居が好きで好きで堪らない素敵な女優さんだ。10数年前、彼女の為に「権三物語」を書いて上演したこともあった。アニメやナレーションで超多忙なのにアトリエ公演を観に来てくれるばかりか、劇団の若い女優達を食事に連れていったりしてくれる。
 
 事務所に行くと、その田中真弓嬢から芝居の案内状が届いていた。11月の本多劇場「劇団岸野組」公演で母子共演を果たすという。そうなのだ、彼女も僕と同様、結婚離婚にこぶ付きだった。愛息は20歳、人生の荒波を細腕ひとつで(いや、声ひとつで)乗りきった彼女を思うと胸が温かくなった。

 義理ではなく、僕も観たい時だけ、チケットを買って観に行く。彼女も僕の芝居を只で観た事は一度もない。そう云えば、創立仕立ての頃いちどチケット代を取らなかったことがあった。帰り際、彼女はチケット代の数倍をご祝儀としてスタッフに渡して帰った。

 劇団の女優またか涼は限りなく田中真弓をめざしている。その事を知っている真弓嬢は、またかに会うたび、「私にいつまで少年の声をやらせるつもりだ!」と、愛情こもった檄を飛ばして帰る。

 今回、「男たちの日記」で15年前に死んだガキ大将木村茂の声が幕間ごとに聞こえてくる。是非、その声も楽しんで下さい。初日まであと3日です。

夜が白むまで

2007年09月18日 | Weblog
 直樹役の樋口昇平に付き合って安達竹彦と三人、稽古をしていたら何時の間にか朝の4時半になっていた。今年は短時間で集中する稽古にシフトしているのだが、今回は朝まで稽古が何回もある。特に在団9年目の樋口は何時になくしごいている。入団時80キロあった体重を50キロまで落とした樋口はさすがに体力不足だ。せめて60キロまで戻せと云っているが、いちど落とした体重は貧乏生活もあってなかなか戻らないらしい。

 片や安達竹彦に対しては7キロ落とせと厳命してあるので、三人で食事に行く訳にもいかず、稽古場で解散した。セットのことや、演出の細かいミスを考えていたら自宅の前を通りすぎてしまった。仕方がないので中新まで下りて新聞を買った。

 今日は午後から茂の声の録音、そして定例のボイストレーニング、18時からいよいよ舞台稽古。勝負は体力である。その体力を支えるのは気力、気力を生み出すのは愛である。さらに加えれば、愛は体力なしでは形にならないのです。

恐るべし俳優魂

2007年09月18日 | Weblog
 いよいよ稽古も終盤、今日は昼から延々稽古。
20時を過ぎようかとする時間、男組のクライマックス乱闘シーンの最中だった。英夫役の睦光一君が坂口刑事に一方的に殴られ、正光に助けを求めて叫ぶシーンで、アクシデントは勃発した。
 三発殴られた英夫がよろよろと立ちあがり、正光に、「正光ちゃん、僕は正光ちゃんに背中を向けて云々」が、「まふあみったん、びょきゅはまふあみったんに」と、睦くんの発音がおかしかったのでストップをかけた。崩れる様に倒れた睦くんの手には、たった今折れたばかりの前歯がしっかり握られていた。泣き笑いの顔に前歯は無かった。

 僕が止めなければ彼は芝居を続けていたのだ。何という役者魂、8月のワークショップが俳優人生のスタートだという25歳の新人にしては良い根性だ。

 生憎の休日だが、原宿のデンタルオフィスが21時まで開業していたので予約を入れてタクシーを飛ばした。1時間余で治療が済み、帰りの車中、「殺陣をなめて済みません」と、睦君が謝った。そして、「明日から命がけで稽古します」と、瞳を輝かせた。折れた歯が痛むだろうに、殴った相手にも泣き言恨み言ひとつ言わない。スタッフを惚れさせるのも芸の内だとすれば、彼は立派にその芸を身に付けている。まだまだ、芝居は荒削りだが、将来は有望である。そして、信頼はこういうアクシデントからも生まれる。

 イタリア語から生まれた(パン)を共に食べあう仲間(コン)が語源といわれるカンパニー。今回のカンパニーも最高の結束力です。初日は22日(土曜日)14時。是非、中野坂上のアトリエにお越し下さいませ。

屋根裏部屋に置き忘れたもの

2007年09月17日 | Weblog
 肥後の守(ひごのかみ)という小刀を御存知だろうか?昭和30年代の小学生なら皆筆箱(これも古いなあ、今ならペンケースか)に必ず入れて鉛筆を削ったり工作の竹を切ったりした、刃渡り10センチもない切りだしナイフのことだ。

 ハガネも粗悪で、砥石で研ぎつづけると刃先がどんどん擦り減ってしまう。当時は大量生産されていたのでとても安かった記憶がある。

 今回のアトリエ公演「男たちの日記」では、その肥後の守が重要な小道具となるが、東京ではなかなか見つからないので、捜すのに苦労している。どなたかお持ちだったら是非譲っていただきたい。

 九州熊本の実家に帰れば屋根裏部屋に何本も錆びついて転がっていると思うが、耳の遠くなった93歳の父に電話をかけても埒があかない。

 母が逝って8年、足は遠のくばかりだ。この夏も帰りそびれてしまった。劇団を立ち上げたとき、死に目に逢えないかもしれない親不孝は謝っておいたが、古い慣習の残る田舎町だ。バカ息子を持った父の辛い立場も理解出来る。

 屋根裏部屋に置き忘れたものはガラクタばかりではないかも知れない。時折、ふっと思うことがある。子供の頃の宝物は、今でも大切な宝物なのだ。

友よ

2007年09月16日 | Weblog
 友よ 旅に出たまま40年も帰らぬ僕を待つ友よ
 友よ 君に便りひとつ寄越さぬ僕を責めぬ友よ
 再会出来るのはどちらかの墓石の前だと
 僕はあきらめかけている
 友よ あまりに遠く離れているので助け合うことも
 出来ぬ友よ
 近くにいれば僕はすぐ君に助けを求めただろう
 風の便りに君の無事を知った夜は
 挫けそうな心がまた立ち直る
 友よ 一生の仕事と決めた芝居作りも15年目になる
 今年も小さな舞台を作り続けている
 1週間後に今年5本目の舞台の幕が上がる
 友よ 1度は君に見て欲しい
 僕の命を賭けた舞台を
 それが夢に終わろうとも
 僕は芝居を作り続ける
 
 

空白の1日

2007年09月15日 | Weblog
 毎日のようにブログを書いていると、1日空いただけで何かあったのではないかと心配して下さる方もある。アトリエ公演の稽古と11月国立劇場に立つ日舞の稽古が重なってブログを書く時間がなかっただけです。

 で、前回のダイエット談義で書けなかった続きをひとつ。今回ゲストで参加してもらっているアイドル女優の桜井まり嬢、戯れに体重計に乗ってもらって驚愕、あの均整の取れたスタイルで、何と体重37キロ!この眼でメモリを見たが、いかにプロとしての自覚があるか、劇団員のお手本になった。芝居の方も容赦無く一番難しい役に挑戦してもらっているが、泣き言は一切出てこない。何が成長につながるか良く理解されている。高いこころざしはその人を凛々しくする。

 昨日は朝から下丸子で日舞の合同稽古、終わって坂上で芝居の稽古。さっきまで居残り組の特訓に付き合った。これから稽古着の洗濯。劇団研究生小島君の実家から梨を送って頂いたので、剥いて食べよう。今日は13時から芝居の稽古、特訓の成果がでるといいが。

演出雑記9・12

2007年09月13日 | Weblog
 22日から始まるアトリエ公演「男たちの日記」の稽古も汗と熱気で稽古場がサウナと化しているかのようだ。下手にクーラーを入れると出演者が体調を崩す惧れがあるので、水分補給で乗りきっている。同じ脚本を男女別々の演出で続けて演じるなどという無謀な企画に挑戦しているが、今が踏ん張り処、マラソンで言うなら30キロ過ぎのスパート地点、企画倒れに終わらぬよう、一同命がけで稽古に励んでいる。

 しかし、命を落としては上演出来ないので、健康管理には演出以上にうるさく注意している。俳優もアスリートに負けず体力が勝負の時がある。それに付き合うスタッフも同様だ。ダイエット中の俳優を食事に誘うのは酷かもしれないが、心配で無理矢理誘ってしまう。体重を落とせと厳命したのはこの僕なのに、まったく矛盾している。

 今回劇団公演初主演の安達竹彦が、稽古場に体脂肪が量れる体重計を持ち込んだ。彼もダイエットの最中なのだ。僕も、戯れに計ってみたら10年前に12%だった体脂肪が16%に増えていた。明らかに運動量が減少している。他人事ではなかった。

生き残れたらの話さ

2007年09月12日 | Weblog
 昨日のブログに大震災が起きた時の待ち合わせの事を書いたが、生き残れたたらの話である。しかし、東京に住んで便利さを満喫しながら生き残ろうと思うのは、贅沢な考えかもしれない。高層ビル、地下鉄、高速道路、昭和30年代、九州の片田舎でSF漫画に胸躍らせた生活も、現実に体験してみるとさほど夢のような便利さではない。携帯電話など、むしろ無かった時のほうが諦めもつく。六本木だって、16分で行けるので、W氏に呼び出されても断り辛い。「すぐじゃない」と言われると、確かにすぐ行ける。が、しかし、その地下鉄に乗っている最中に地震が来たら、一巻の終わりなのだ。

 エピクロスだったかと思うが「死は僕らに無関係である。なぜなら、僕らが存在する限り、死は現に存在せず、死が現に存在するときは、もはや僕らは存在しないのだから」と、はるかむかしに開き直っている。で、東京に住む未来人の僕らは「地震が来たら恐いね」と言いながら、エピクロスを実践している。1999年7月に来るはずだった恐怖の大王は何処で居眠りしているのだ。世紀末でないと、その手の話題は少しも盛りあがらない。

 しかし、あまりにも快楽主義に徹するとドラマは面白くない。死とか、孤独とか、不幸とか、悩むことも必要だ。幸せなんて個々の感情でしか量れないのだから。赤ん坊は幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せなのに「幸せなんていらない、ワクワクしたいだけだ」とうそぶく僕は、ワクワクすることが幸せであることを無視している。

 愛する君よ、例え地球が壊れても僕の愛は終わらない。若者よ、こんな台詞より毎日愛してるとささやいた方がより実践的だということを忘れるな。
では、生き残れたら、あの場所で逢おう。

東西南北、来世で会おう。

2007年09月11日 | Weblog
 劇団女優またか涼は、強度の方向音痴で、何度教えても東西南北が覚えられない。待ち合わせに平気で(当人は必死なのだろうが)60分も遅れてくる。叱ると、僕のナビが悪いと言い出す始末だ。「朝日が昇るのが東、夕陽が沈むのが西、東を向いて左手が北、右手が南だ」と、教えてもキョトンとしている。五百年前僕の一座にいた猿だったことは彼女に内緒だが、「本当に動物の勘を忘れてしまったのか」と、僕が悲しそうに言うと困った顔をする。ますます可愛い猿に思えて笑いがこみ上げるが、悟られない様に我慢する。

 今、乞われてテレビプロデユーサーM氏の演出する舞台の稽古に参加しているが、感心な事に、出かける前と終わった後に必ず報告の電話をかけてくる。が、3回に一回は迷子で遅れている。稽古場は毎回同じで3週間も通えば眼をつぶってでも行けるだろうと思うのは甘い。ある時は地下鉄の出口を間違え、ある時はビルの角を曲がり損ねる。公演は芝のブティストホールだと聞いているが、引率をつけた方が良いかも知れない。と、M氏に言う訳にもいかず困っている。

 明石家さんまさんが、病気になったことがないので病気の相談をされてもこまる、と、言っていたが、確かに、動物並みに方向感覚の良い僕には、またか嬢の勘の悪さが理解出来ない。大地震が起きたら必ずここに集合するんだと劇団員に伝えているが、またか嬢だけは無理かも知れない。残念だが来世で会おう、と言ってある。

バースデイイベント2連続

2007年09月10日 | Weblog
 劇団女優櫻井智毎年恒例の後援会イベントが13時から、同じく劇団女優西本早希イベントが17時から、劇団アトリエで開催。大掛かりなイベントではないが、手がかかるのは一緒で、気心の知れている後援会とは云え、気は抜けない。手伝ってくれた北原マヤ、幕田美子と共に、お疲れ様、と息を吐いたのは21時過ぎだった。

 僕は主宰なので、手が足りなければ構成演出といった自分の仕事から、司会進行、歌伴奏、料理まで何でもやるのは当然だが、北原嬢や幕田嬢が自分の事の様に懸命に手伝ってくれる姿には頭が下がる。特に北原嬢は入団から11年、本当に陰日なたなく後輩にも慕われている。今日も、後輩の西本嬢の為に見かけも味もプロ級のケーキを作ってきてくれた。

 明日からアトリエ公演の稽古もいよいよ本立ちに入る。舞台にはセットが組まれ、音響照明の打ち合わせにも熱が入る。全てが22日の初日に向かって動いている。衣装、小道具、メイク、俳優の髪型、僕の妄想から生まれた物語がみんなのエネルギーをもらって形になる。ワクワクする。毎日が子供の頃の夏休み状態だ。だから朝から事務所の雑事を片付けてしまうぞ!ああ、唯一の憂鬱。劇団員に個人的にも家計簿をつけろと言われてしまう僕は、経済的観念が小学生並みらしい。悔しいが、反論出来ない。