面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

北沢5丁目の思い出

2008年07月31日 | Weblog
 都心から西へ向かう2本の道路(甲州街道と井の頭通り)に挟まれて世田谷区北沢5丁目がある。京王線笹塚駅から徒歩5分足らずで「松本荘」に着く。40年前、2年ばかり住んでいた。上京したばかりの青春真っ只中だったからか、今でも時々夢に見る。夢の中では道に迷ったり知らない通りに出たりで、なかなか辿りつけないことが多い。ようやく辿りついても、訪ねる人がいなかったりする。

 文学、歴史、演劇、むさぼる様に勉強した。夕暮れ時、遊びに来た近所の子供達に台本を書いて寸劇をやらせて遊んだりした。子供たちの親から、そんなことより勉強を教えてくれと、苦情をいただいたこともある。「下町チャペル」や「桃のプリンセス」の原案はそのころ生まれた。

 劇団四季、天井桟敷、そして未来劇場、創立10年目あたりの劇団はいずれも勢いがあった。勿論、老舗の俳優座、文学座も輝いていた。東京には演劇が溢れていて、紐育、巴里、倫敦にも負けず劣らず活気があった。文学の原点が九州の田舎町にあるとすれば、僕の演劇の原点は北沢5丁目の「松本荘」であろう。原宿にあった劇団稽古場と北沢のアパートを僕は井の頭通りを歩いて往復した。ポケットにある硬貨が全財産の日もあった。それでも、1968年は未来に向かって輝いていた。

 2008年夏もまた、未来に向かって輝いている。そして、僕は更なる演劇の旅にでる。