面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

出来れば売れたくないでしょう?

2008年07月09日 | Weblog
 頼まれた仕事で打ち合わせに出掛けた会社で、社長に「出来れば売れたくないでしょう?」と、真顔で訊かれた。「そんなことはない」と、言いながら不安になった。
 社長曰く「フォークソングを歌っていた奴が売れるとなると抜けぬけとラッパーに変身する時代に、ストリッパーがヤクザに刺される話?、いや、僕は観に行きますけどね。時代とか、メジャーが要求するものって、違うんじゃないですか?アキバの事件とか、もっと、大衆が要求するものを書けば売れますよ。才能が勿体無い」
 となりの部長がうなづく。「地球環境問題とか、老人問題など、よろしいんじゃないですかね。才能が勿体無い」

 確か、16歳くらいから「才能が勿体無い」という言葉を嫌と言うほど聞いてきた。「まだ言われるか」と、ウンザリして黙った。すると社長、「Mくん、朝倉さんの才能を金に替えるのが僕たちのしごとなんだから、よろしくたのむよ」僕は図に乗って「そのとおり!」と、ハッパをかけた。社長、頭を抱えた。十歳以上若いこの社長が、僕はだいすきである。しかし、売れたくない才能を売るのは、至難の技に違いない。

 別れて稽古場に向かいながら、考えてみた。売れたくないわけではない。実際、売れて忙しい時期もあった。今も、沢山の方に僕の演劇を観てもらいたい気持ちでいっぱいだ。その反面、本当に僕の演劇を愛してくださる方に観てもらいたいという我が侭な気持ちもある。
 しかし、売れなければ貧乏は続き、劇団員にも苦労をかける。応援してくださるかたの心配も重なる。

 現在、売れるとはテレビに取り上げられることを言うのだと、社長は断言する。そのとおりかも知れない。「小人プロレス」がテレビから消えたとき、僕のテレビ幻想は終わっている。原子力の発見が最大の効力を発揮したのは広島長崎だったように、いずれはテレビも「市民」に牙を剥くだろう。いや、すでに「テレビ脳」の犯罪は氾濫している。知恵遅れを装ったタレントをもてはやす「テレビと大衆」とは、何なのだろう。テレビか…

 わかった!「出来れば売れたくない」のではない。「売れたくない」のだ。困ったものだ。こういう事は売れてから発言するものだ。でないと、負けいぬの遠吠えでしかない。「社長!僕は納得のゆく作品を作るから、是非、売っていただきたい。お願いします」と、言うべきだった。