面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

ミッドナイトの素敵な面々(石川由美子)

2008年06月28日 | Weblog
 昨年秋のこと、芸能ジャーナリストW氏から「スゥィーツ系アイドルを紹介するから」と呼び出され、赤坂東急のラウンジで初めて石川由美子に会った。僕は御菓子雑誌で有名なのかと思っていたら、それはとんでもない勘違いで、何と、十代のグラビアアイドルでそう呼ばれるジャンルのスターだった。18歳からの2年間で、10枚のDVDをリリースしているという。さすがW氏、顔が広いと感心した。僕に紹介したのだから演劇のレッスンでも受けさせたいのかと思ったら、どうだ可愛いだろうと、只の自慢だった。

 あとで石川嬢に聞いた話だが、演劇に興味を持って、朝倉の稽古場に行ってみたいとW氏に頼んだら、いかなくてよいと断られたらしい。とんだ焼き餅焼きである。ところが先月、W氏プロデユースのアイドルユニット「オレンジミクロ」のメンバーとして、石川嬢が稽古場に現れた。運命の赤い糸は繋がっていたわけだ。「ミッドナイト」のキャステイングの最中だったので、早速石川嬢に打診した。勿論、W氏の承諾は先にとってのことだ。

 「やりたいです」控えめだが芯の通った声で、彼女は答えた。オレンジミクロの10日間の特訓で、彼女の頑張りは見ていた。今度は一ヶ月間の特訓である。石川嬢の役は、幼いころに両親を亡くして強欲な伯父に育てられ、余りに不幸な人生に悲観して雲仙で身投げをしようとしていたところを弁天マリアに助けられ弟子になった自閉症の暗い少女、天神お染めである。台詞は少ないが殆ど出ずっぱりの大変な役だ。6代目のお染めであるが、代々この役は新人に振り当ててきた。まだ、お染をやり遂げた女優はいない。6代目にして初めて、僕は理想の天神お染が生まれるのではないかと期待している。その分稽古は熾烈を極めると思うが、叩くに値する本物だと僕は確信している。

 劇団の新人女優たちが参加する後援会恒例の海合宿にも快く参加してくれる。勿論、石川嬢のファンの方の参加も大歓迎である。(詳しくは劇団HPをご覧あれ)それにしても、スゥィーツ系とは言い得て妙である。確かに、お菓子のような雰囲気を持った女の子である。是非、女優石川由美子の初舞台、ご期待ください。

 

玉ねぎの皮をむきながら(ギュンター・グラス)

2008年06月28日 | Weblog
 駅売りの夕刊紙でギュンター・グラスの新刊「玉ねぎの皮をむきながら」の書評を読んで、紀伊国屋に寄ろうと思ったが、贖う前にTに電話をしてみた。もしかして、の予感通り、「今、読んでいるところです。先に読まれるならどうぞ」の返答。「うん、読ませて」と、即答した。と、いうのも460ページ、2625円もするので、借りて読めるならそのほうが貧乏作家としては助かるからだ。

 「ミッドナイト」の稽古が終わって、Tに借りたグラスを読み始めたが、一晩で完読は無理なようだ。イタロ・カルビーノや泉鏡花なら数倍の速度で読めるが、大江やグラスだと時間がかかるのは実は義務として読んでいるからである。昨今のノーベル文学賞作家の作品は、本当に読後感が苦い。つかこうへい流に言えば、竹を割ったら餅が詰まっていて食ったら砂だらけだった、という感じだ。「恥辱」など、映画にしたらどうなるのだろう。文学や歌が時代を映す鏡だとするなら、僕のメルヘン志向は時代に逆行するマイノリティなのだろうか。歌声喫茶もまた、時代の片隅でひっそりと咲くのが運命であろうか。

 うたごえ喫茶「ともしび」で感じた違和感に、似て非なるこの感触は何なのだろう。大江やグラスの作品に感じる疲労の原因は、もっと身体の奥にあるようだ。聞くところによると、グラスは知り合いを家に招き、得意の手料理を振る舞うらしい。たいていは内臓の煮こみ料理で、供される者はその複雑で苦い味が癖になるか、嫌いになるからしい。僕は招かれた時点で、辞退するべき人間なのだろう。科学も進化論も、幻影師アイゼンハイムには眩しい太陽なのだ。作り物の明かりが揺らめく見世物小屋こそが、心落ち着く桃源郷。僕が捜し求めるそこは、温泉町の場末にあるストリップ劇場の楽屋なのかも知れない。玉葱は何処まで剥いても皮だけである。単行本の帯にある大江健三郎氏の推薦文「すべての矛盾を含み込んで、あるいはさらけだして、彼の小説はある。その点を私は全面的に評価します」もまた、玉ねぎの皮である。人が人を裁くのと同様、人が人を選ぶのも難しいことなのだ。