面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

孤独な作業

2007年07月12日 | Weblog
 自分の脚本で演出をしていると、どうしても書いているときの
興奮に近づけようとしてしまう。俳優にうまく伝わらないのは、
無理な演出を押しつけているのではないかと思うことがある。
 特に、10年で5回も上演している今回の作品など自分の
頭で空回りしてしまう。
 映画ではもっとも効率が悪く気の利かないフラッシュバックに
よるバックストーリーを、一景と三景の間にまるまるひと景入れたり
して、押しつけがましい脚本なのだが、それがメインストーリーの
流れを止めない確信があった。
 Tに指摘されるまでもなく、演出の力で乗りきれる問題なのだ。
帰宅して今、脚本を読み返している。
 明日は、新宿ブルドッグさんの芝居を阿佐が谷のひつじ座へ観に
行く。僕の劇団から、浅川、高倉の両君が客演しているので、純粋に
は楽しめないかも知れないが、煮詰まった脳が解れると嬉しい。
 考えるまでもなく、演じる事も書く事も、そして観る事も、それぞれ
孤独な作業なのだ。その三者の満足感を満たしてやるのが演出家の仕事
である。明日は自分の脚本である事を忘れて演出に没頭してみよう。
 少し光明が射してきた。