面白草紙朝倉薫VS安達龍真

夢と現実のはざまで

梅雨らしき日々

2007年07月03日 | Weblog
 心配された空梅雨だったが、ここ数日雨が降り続いている。
頚椎に爆弾を抱えている身としては、好ましくない季節だが、
我が侭は云えない。農作物や、自然界にとっては必要不可欠な
営みなのだ。
 蒸し暑さも、湿気も、風情有りの一言で片付けよう。
 50年も昔の話だが、雨の降り続く日の午後、4歳下の妹に
詩集を読んで聴かせたことがある。
 それを思い出したのは、大掃除を終えて何処からともなく出て
来た一冊の詩集「青い小径」(竹久夢二著・野ばら社刊)を手に
したからだった。奥付けをめくると1957年11月の発行と記
されている。確かに50年前だ。記憶が甦る。あの頃、僕は漠然と
絵描きか小説家になるだろうと思っていた。
 芝居を書き、演出している今、あの頃の無垢な思いを忘れては
いないだろうかと、思い返している。妹は僕の話しにいつも目を
輝かせて聞き入っていた。6歳上の姉が学校へ行っている時間の
何と平穏だったことか。大勢の級友を引き連れて姉が帰ってくると
僕はワンピースを着せられ、口紅を塗られ、髪を二つ結びにさせられ
ウサギのダンスを踊らされるのだ。梅雨の季節になると思い出したくない
記憶まで甦る。60歳をとうに過ぎた姉は、「あなたが可愛かったからよ」
と、嘯く。50年も昔のことが、こうも鮮やかに甦るのは、梅雨の所為に
しておこう。

今昔物語

2007年07月03日 | Weblog
 今は昔、相撲というスポーツがあった。国技ではあったが
君臨するのはモンゴル人力士で、ある年の夏、ついに日本人
の入門志望者が途絶えた。…笑い事ではないかもしれない。
能狂言、歌舞伎も国家の援助で命脈をつないで来たが、その
複雑な作法から、幼少時からの厳しい伝承が必要な為か、外人
が学ぶとしても、精々学術的な分野か趣味に留まっている。
 厳かな神事から体力と気力をぶつけ合う格闘技へと変貌した
相撲を、国技と呼ぶのは酷なのではないだろうか。
 演劇的に相撲を見れば、八百長は脚本ありの一番、怪我の心配
はないので、派手な技も披露出来よう。
 相撲取り組み脚本家が、テレビの構成作家並みに活躍したりして、
「Yちゃんのホン、よかったねえ、ほら、白鳳の首投げをさあ、朝
青龍が堪えて、徳俵に親指一本、切り返して下手投げだよ、それを
白鳳がまた…」などと、ね、体力、気力に、演技力が必要となれば、
歌舞伎役者がテレビの大河ドラマの主役を張るように、横綱がドラマ
で活躍したりして、収入も増え、ギャンブルで廃業などと哀しいことも
無くなるかもしれない。
 20年前、プロに転向したばかりの若貴兄弟が、早朝僕の家の前を
毎日走っていた。大袈裟ではなく、ドスドスと地響きが近づき目覚めた
ことが幾度もあった。其の頃、僕の家から高校に通っていた櫻井智も、
朝食前に走っていたので、僕はドスコイ3兄弟などと呼んでからかったり
した。若貴も櫻井智もそれから一世を風靡して、夢のような時代が過ぎた。
 あの絶頂期から、相撲がここまで凋落するとは誰が考えただろう。
鎖国から近代国家を目指したわずか百年で、世界に戦争を仕掛けた国家だ。
 何が起こるか、誰にもわからない。脚本ありを楽しめないのかなあ。
本気で闘わせて、殺し合わせて楽しむのは悪趣味だと気付かないのか。
 血が騒ぐのだろう。芝居で見せよう、楽しい世界。