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私の視点 小沢一郎の野望とナベツネの陰謀

2007-11-08 12:33:04 | Weblog
 福田・小沢両党首会談の仕掛け人の存在が鳩山民主党幹事長周辺から確認できた。

 その仕掛け人とは、マスコミで取り沙汰されてきたナベツネこと、渡辺恒雄・讀賣新聞本社グループ会長である。それに、もう一人、森“Who are you(注)”元総理がかんでいた。私の見方は、この二人がかんでいたにせよ、仕掛けたのは小沢氏であったのではないかというもの。まあ、この際は、どちらが先に仕掛けたかは重要な問題ではない。構想そのものに深刻な問題があるからだ。

 「二大政党の間をフィクサーが取り持つ」…古い政治の典型ともいえる仕掛けであった。だが、これは、単に古狸どもの料亭遊びの一環と笑って済まされぬ面がある。それは、渡辺氏が、1千万の購読数を誇る世界最大規模の新聞社と、これまた放送メディアでは強い影響力を持つTV局を代表する人物だからだ。第4の権力と言われ、政治とは一定の距離を置かなければならないメディアの、それも最高権力を握る人物がこのような一国の根幹に関わる政界工作に出るとは、まさにこの世も末、いや、メディアの終焉だ。

 今回の話を追っていて思い浮かぶエピソードがある。

 1991年1月。ところは、イラクの隣国ヨルダンの首都アンマン。湾岸戦争が始まり、世界はクウエートの500箇所以上の油井が炎上して黒煙が噴き出す惨状に心を痛めていた。アンマンでは世界から集まった数千人ものジャーナリストたちが連日、戦争報道をしていた。

 日本ではその頃、多国籍軍に加わるようにアメリカからの圧力が高まり、自衛隊の海外派遣にまつわる議論が戦わされていた。そのお先棒担ぎをして「世論作り」をしていたのが、讀賣新聞であった。

 その讀賣新聞の特派員の一人が言った。

 「自衛隊問題になると、もうウチは報道機関と言えるかどうか。批判記事は全て水子ですからね」

 その表現方法に問題はあるものの、彼の言いたいのは、反対意見を記事にしようものなら全て東京本社のデスクの手でゴミ箱に葬り去られてしまうという意味だ。

 その頃、日本を牛耳り、自衛隊の海外派遣に熱心だったのは誰あろう、当時自民党の幹事長であった小沢一郎氏だ。彼は、その前から「日本を普通の国」にしたいと公言、憲法を変えて軍隊を持てる国にしようと提案していた。

 だから、1990年8月に起きたイラクのクウエート侵略に始まる湾岸危機を自衛隊の位置づけを変える絶好の機会ととらえ、まずはイラクからの難民を運ぶのに自衛隊機を提供したいと言い出した。その「小沢党」ともいえる自民政権を支えていたのは讀賣新聞であった。

 讀賣はそれまでにも中曽根康弘氏を全面的に支援、80年代後半にリクルート事件などでスキャンダルまみれになり、マスコミで叩かれた中曽根氏をかばい続けたことでも知られる。

 一介の政治部記者から出世の階段を上り詰め、日本の政治に影響を与え続けてきた渡辺氏だが、今回の企みは酷すぎる。こような陰謀に我々国民は腕を拱いていて良いのだろうか。永田町の一部で、渡辺氏を「憂国の士」、「真の愛国者」と評する連中もいるが、とんでもない、私から言わせれば、今回の画策は、民主主義の根幹を脅かすものであり、ジャーナリズムを冒涜するものだ。

 それだけに、民主党の幹部には「小沢氏の『民主党は衆院選に勝てない』などという恫喝」に堂々と対応して欲しかった。ところが、役員の全員が討ち死、小沢氏の軍門に下った。これで民主党は再び万年野党の道に舞い戻り、日本の政治は機能不全に再突入するだろう。それを外から見て喜んでいるのはアメリカと中国だと言うことを我々は忘れてはならない。こんなことをしている日本に明るい未来はない。


筆者注:森善朗氏は首相時代、訪米をしてクリントン大統領(当時)との首脳会談に臨んだ際、「How are you?」と挨拶すべきところを「Who are you?(あなたは誰)」と言ってしまい、赤っ恥をかいた。それに対して、クリントン氏が「I'm Hillary's husband(私はヒラリーの夫ですよ)」と軽妙に返したことで両者の力量の差が際立ってしまった。