昨日発売の週刊文春に「ミャンマー銃撃死 長井さんを喰い物にする通信社代表」と題する記事が掲載された。
このサイトでも事件直後に「長井さんの葬儀に列席しなかったわけ」と題する一文を書いたが、他にも長井さんが所属したAPF通信の山路代表のやり方に疑念を抱く人がいたようで、文春に取り上げるよう働きかけたのだろう。タイトルから推察されるように、記事の内容は相当山路氏にとって厳しい内容だ。
記事では、長井さんがミャンマーに自らの意志で取材に出かけたのではなく、山路氏の指示で仕方なく応じたものだと、長井さんと親しかったバンコク在住の日本人A子さんの言葉を借りて山路氏のやり方を批判している。
長井さんはA子さんに、「一度は(山路氏の指示を)断ったのですが、行かざるを得なくなりました」と言い残してミャンマーに発っていったとのコトだ。
なのに、それが山路氏の手にかかると、“民主化のために命を捧げたヒーロー”になる。それが事実ならば、山路氏は、長井さんの死をマスコミが喜ぶ形に祭り上げたことになる。
遺品についても、A子さんの話では、APF通信社員が彼女のもとを訪れ、長井さんが拠点としていたバンコク市内のアパートの鍵を差し出すように求めたと言う。
それに対して、A子さんが、遺品は遺族に渡すべきと言うと、「遺族の了解を取っています」「権利はAPFにある」と言うので仕方なく鍵を渡すと、室内に入ったその社員は、長井さんが遺したジュラルミン製のスーツ・ケイスを壊して中身を持ち去ったとのことだ。A子さんの話では、中には長井さんが撮り貯めた取材テイプ7本が入っていたそうである。
長井さんの撮影したテイプは正に「金のなる木」となり、TV各局で繰り返し放送されている。それも、それに日本での取材を付け加えて「長井さん物語」仕立てにして“商品価値”を高めている。
TV業界では、取材した素材も“味付け次第”で商品価値が変わる。だから、商品価値を高めて対価を求めること自体に私はあえて口を挟むつもりはない。だが、そこから得られた収益がどこに行くかが問題なのだ。それが正当に長井さんのご遺族の元に届けられれば何も言うことはない。だが、山路氏の「過去」を知っているだけに、また今回の彼の動きに胡散臭さを感じているだけに心配でならない。
週刊文春の記事に「戦場カメラマンから大ブーイング」という副題がついていることから、この記事のネタ元が私ではないかと言う人がいたが、私は一切無関係であることをこの場で明言しておく。
記事を読んでの印象だが、山路氏が「外車を乗り回し」という部分については、彼は随分前からそうしており個人の趣味の範囲である。どんな車に乗っていようと他人がとやかく言う問題ではない。 また、民放プロデューサーの「10分枠で最低200万円が支払われている」という指摘も、最近のTV局の実情から言えば、少々金額に誇張が過ぎる。視聴率の取れている番組であれば、事件直後はその位、いやそれ以上の条件を出しただろうが、特に報道番組などでは一般的な金額ではない。
長井さんが殺されて2ヶ月近くが経とうとしている。ミャンマーの政治状況を日本国内に知らしめることにつながったとはいえ、長井さんの死がいつの間にか忘却の彼方に忘れ去られるようとしている。長井さんの「遺志」を継ぐと宣言した山路氏もマスコミも今一度長井さんの遺した写真を前に事件直後に発言した内容と自らの役割を再確認して欲しい。
山路氏に関してマスコミに対して長井さんが私に言った言葉を忘れてはいない。
「(山路氏に対する)不満はありますよ、いろいろね。特にお金については不満だらけです。でも、だからといって、マスコミがこんな僕をが雇ってくれるわけじゃありません。マスコミは契約すらしてくれませんよ。だったら、APFにいるしかないじゃないですか」
長井さんのこんな“弱み”につけ込んで利用してきた面々に対して私は言いたい。「散々長井さんを鉄砲玉として利用してきて今さらキレイ事を言うんじゃない」と。そして、マスコミは、社説やコラムで遺志を継ぐとあれだけの宣言をしたのだ、必ずやその約束は守ってもらいたい。それは、フリーランス・ジャーナリストの地位向上だけに止まらず、そういった志ある若者を養成する機関の設立を含めての話だ。
朝日新聞も社説で「長井さんの遺志を継ぐ」と宣言したが、そのやり方についての具体的な提示はない。他社も同様でどこも動きを見せていない。
「遺志を継ぐ」とは、そこまでのことをして初めて、意味を成すと考えるのだが、果たして私は間違っているのだろうか。
山路氏には、長井さんの遺志を継ぐことなど期待はしていない。それよりも、今回荒稼ぎした多額のカネを遺族にきちんと渡すようお願いしたい。私が長井さんへの支払いを心配することなど「そんなの関係ない」と今流行のセリフがどこかから聞こえてきそうだが、これまでの彼の金銭トラブルを考えると、最悪の事態が心配される。御両親は、葬儀や引越しなどの面倒をみてもらったことからAPFを感謝しているようだが、そんなことで終わらせてはならない。
長井さんが生前、「田舎の両親が心配」と言っていただけに、私はその点に関しては、最期まで見守っていくつもりだ。
このサイトでも事件直後に「長井さんの葬儀に列席しなかったわけ」と題する一文を書いたが、他にも長井さんが所属したAPF通信の山路代表のやり方に疑念を抱く人がいたようで、文春に取り上げるよう働きかけたのだろう。タイトルから推察されるように、記事の内容は相当山路氏にとって厳しい内容だ。
記事では、長井さんがミャンマーに自らの意志で取材に出かけたのではなく、山路氏の指示で仕方なく応じたものだと、長井さんと親しかったバンコク在住の日本人A子さんの言葉を借りて山路氏のやり方を批判している。
長井さんはA子さんに、「一度は(山路氏の指示を)断ったのですが、行かざるを得なくなりました」と言い残してミャンマーに発っていったとのコトだ。
なのに、それが山路氏の手にかかると、“民主化のために命を捧げたヒーロー”になる。それが事実ならば、山路氏は、長井さんの死をマスコミが喜ぶ形に祭り上げたことになる。
遺品についても、A子さんの話では、APF通信社員が彼女のもとを訪れ、長井さんが拠点としていたバンコク市内のアパートの鍵を差し出すように求めたと言う。
それに対して、A子さんが、遺品は遺族に渡すべきと言うと、「遺族の了解を取っています」「権利はAPFにある」と言うので仕方なく鍵を渡すと、室内に入ったその社員は、長井さんが遺したジュラルミン製のスーツ・ケイスを壊して中身を持ち去ったとのことだ。A子さんの話では、中には長井さんが撮り貯めた取材テイプ7本が入っていたそうである。
長井さんの撮影したテイプは正に「金のなる木」となり、TV各局で繰り返し放送されている。それも、それに日本での取材を付け加えて「長井さん物語」仕立てにして“商品価値”を高めている。
TV業界では、取材した素材も“味付け次第”で商品価値が変わる。だから、商品価値を高めて対価を求めること自体に私はあえて口を挟むつもりはない。だが、そこから得られた収益がどこに行くかが問題なのだ。それが正当に長井さんのご遺族の元に届けられれば何も言うことはない。だが、山路氏の「過去」を知っているだけに、また今回の彼の動きに胡散臭さを感じているだけに心配でならない。
週刊文春の記事に「戦場カメラマンから大ブーイング」という副題がついていることから、この記事のネタ元が私ではないかと言う人がいたが、私は一切無関係であることをこの場で明言しておく。
記事を読んでの印象だが、山路氏が「外車を乗り回し」という部分については、彼は随分前からそうしており個人の趣味の範囲である。どんな車に乗っていようと他人がとやかく言う問題ではない。 また、民放プロデューサーの「10分枠で最低200万円が支払われている」という指摘も、最近のTV局の実情から言えば、少々金額に誇張が過ぎる。視聴率の取れている番組であれば、事件直後はその位、いやそれ以上の条件を出しただろうが、特に報道番組などでは一般的な金額ではない。
長井さんが殺されて2ヶ月近くが経とうとしている。ミャンマーの政治状況を日本国内に知らしめることにつながったとはいえ、長井さんの死がいつの間にか忘却の彼方に忘れ去られるようとしている。長井さんの「遺志」を継ぐと宣言した山路氏もマスコミも今一度長井さんの遺した写真を前に事件直後に発言した内容と自らの役割を再確認して欲しい。
山路氏に関してマスコミに対して長井さんが私に言った言葉を忘れてはいない。
「(山路氏に対する)不満はありますよ、いろいろね。特にお金については不満だらけです。でも、だからといって、マスコミがこんな僕をが雇ってくれるわけじゃありません。マスコミは契約すらしてくれませんよ。だったら、APFにいるしかないじゃないですか」
長井さんのこんな“弱み”につけ込んで利用してきた面々に対して私は言いたい。「散々長井さんを鉄砲玉として利用してきて今さらキレイ事を言うんじゃない」と。そして、マスコミは、社説やコラムで遺志を継ぐとあれだけの宣言をしたのだ、必ずやその約束は守ってもらいたい。それは、フリーランス・ジャーナリストの地位向上だけに止まらず、そういった志ある若者を養成する機関の設立を含めての話だ。
朝日新聞も社説で「長井さんの遺志を継ぐ」と宣言したが、そのやり方についての具体的な提示はない。他社も同様でどこも動きを見せていない。
「遺志を継ぐ」とは、そこまでのことをして初めて、意味を成すと考えるのだが、果たして私は間違っているのだろうか。
山路氏には、長井さんの遺志を継ぐことなど期待はしていない。それよりも、今回荒稼ぎした多額のカネを遺族にきちんと渡すようお願いしたい。私が長井さんへの支払いを心配することなど「そんなの関係ない」と今流行のセリフがどこかから聞こえてきそうだが、これまでの彼の金銭トラブルを考えると、最悪の事態が心配される。御両親は、葬儀や引越しなどの面倒をみてもらったことからAPFを感謝しているようだが、そんなことで終わらせてはならない。
長井さんが生前、「田舎の両親が心配」と言っていただけに、私はその点に関しては、最期まで見守っていくつもりだ。