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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

100万回生きた?オレ

2007-12-25 10:30:04 | Weblog
クリスマス・イヴを横浜で過ごしてみようと京浜東北線に揺られること一時間。

 窓外の景色を見ながら、丁度この辺りを歩いていたなあ、と隣で「白河夜船(辺り構わず寝てしまうこと。でも、本来の意味は、何も知らないくせに、いかにも詳しく知っているような言動をする事だそうな)」の直子を尻目にそう思った。私は、40年前の年末、日本橋から東海道を歩いて故郷岡崎まで帰ったのだ。最初の夜は、横浜・戸塚の寺に泊めていただいたっけ。確か、その寺の名は善了寺だった。

 石川町駅から直子に引かれて善光寺参りならぬ山手の洋館巡り。だが、そこに向かう時、元町商店街から素敵な歌声が聞こえてきた。路上パフォーマンスが大好きな二人は、迷わず歌声に向かって進んだ。

 商店街に50人の若者達が歌い上げるゴスペルが木霊していた。我々がこれまでに聴いた日本人が唄うゴスペルの中では最高レヴェルの歌声であった。感涙しながら歌う歌手もいた。それにつられて直子の目にも光るものが…。

 洋館巡りは今ひとつ。しかし、その雰囲気だけは味わった。そそくさと坂を下りて中華街に向かった。やはり、「花より団子」派夫婦だ。食べることになると、目の色が変る。

 肉まんが、ナントカ団子が、と言っていた直子が中華街に向かう途中、突然、北京ダックが食べたいと言い出した。

 ナヌ?ビンボーな我々が北京ダックだと?

 最初は難色を示した私だが、時間が経つにつれて舌が、胃壁がこんがりと焼き上げられたアヒルの姿を思い浮かべてよだれや胃液を全開状態にさせた。

 中華街に入ると、これまでになく直子が真剣に店のメニューと写真を見比べて歩き回った。そして、安くて感じの良さそうな店に入った。

 「巻き方はお分かりになりますか」とウエイターに聞かれたが、随分昔にしか食べたことのない私の記憶にあるはずはない。直子も同様だ。彼に巻いてもらうことにした。

 手際よく巻かれた北京ダックに私たちはむしゃぶりついた。

 美味い!二人は揃って中国4000年の歴史にひれ伏した、てなことはないが、美味しく戴いた。

 ひと息ついて店内を見渡すと、どのテイブルにも我々の何倍もの品数の皿が並べられている。アヒルの4分の1を二人で分け合っているのは我々だけだ。だが、俯瞰してみれば、満足度ではどのテイブルにも負けていないはずだ。

 店を出る時、我々とすれ違うかのように若いカプルの男性が「セットメニューはありますか?」と言いながら入ってきた。我々と同じ格安お得メニューだ。彼らが微笑ましく感じられたのは言うまでもない。

 レストランを出た後、急に中華料理に目覚めた私は、家でも何か作ろうと、北京ダックと共に胃袋に納められた甜麺醤(テンメンジャン・中国味噌)とXO醤を食料品屋で手に入れた。そして、腹ごなしにと我々は山下公園に向かった。

 だが、好事魔多し。一寸先は闇といった古人の教え通りだ。人生、幸せに浸っていると必ずナニかが起こる。

 夜も更け、寒風に冷たさが増してきたからと、私はコートの前を止めようとして手荷物を直子に渡した…はずのつもりが、嗚呼、きちんと渡してないのに手を離してしまったのだ。すると、先ほど買った「中国の旨味」はニュートンの説に違(たが)うことなく地面に落ちた。

 ガシャという鈍いガラスの割れる音。

 袋の中を見ると、2つのガラス瓶の底は無残にも砕け散り、4000年の歴史の一部がビニール袋の中に哀しげにへばりついていた。

 一瞬表情が固まった二人だが、「マ、いいか」と直ぐに気を取り直して山下公園に向かった。

 埠頭にはイヴというのに多くの人影はなかった。そりゃ、そうだ。寒風吹き荒ぶ中、鼻水をグチャグチャしながらのデイトでは白けてしまう。

 氷川丸(かつて、南極探検隊を乗せて大活躍した砕氷船が引退後埠頭に固定されている)の近くで明かりを灯してなにやら準備に勤しんでいる若者がいた。聞くと、彼は大道芸人で、これから「ファイア・ショー」を始めるという。

 大道芸の大好きな我々は、近くで時間つぶしをしてショーの始まるのを待った。

 ショーが始まると、どこにいたの?というくらいの人たちが周りを囲んだ。

 だが、残念なことに、風が強いのと寒さで手がかじかんでしまったのだろう。大道芸人は、パフォーマンスのほとんどを失敗した。火をつけた棒を何度も受け取り損ねると、音楽をかけることも忘れてしまった。

 我を失って焦れば焦るほど彼は無様になっていった。一回転して火の棒を受け取る演技をしていた時、最悪な事態が起きた。マイクを壊してしまったのだ。

 最期には、そんな自分に苛立ち、今風に言えば、マジ切れをしてしまった。

 彼は失態を謝り、投げ銭は要らないと言った。

 芸に対して厳しい私だが、この夜は違った。このまま家に帰れば、彼は散々なクリスマス・イヴを送ることになる。何か声を掛けてやりたい。

 そんな気持ちになった私を見越してだろう。直子が、「いくら上げる?」と聞いた。

 千円札を渡そうとした我々よりも前にひとりの若者が千円札を持って芸人に近付いていった。私も彼に「来年期待しているよ」と声を掛けて握手をした。その後も10人近くの見物人(ほとんどが若者)が、投げ銭ならぬカンパを彼に持ち寄った。芸人は照れ笑いをしながらも嬉しそうであった。そんな若者たちを見ていて、私はなぜか嬉しくなってきた。

 心温まる光景であったが、身体は芯から冷えた。私たちは元町の小洒落た喫茶店に入り、それぞれアプル・シナモン茶とエスプレッソを飲んだ。

 南浦和に戻ると、時計の針は11時を過ぎていた。自転車にまたがり、満月の夜を家路に急いだ。

 帰宅してしばらくすると、直子が一冊の童話を読みながら鼻を詰まらせていた。本の名は、「百万回生きたねこ」。彼女が、自分が苦楽を共にした愛猫をそこに重ねて何度も泣いている名作だ。

 だが、昨夜はそれを読んでいて、私ははたと気付いた。主人公の猫は、私そのものだったのだ。目頭が熱くなり、それを直子に見られまいと隠したが、見つかってしまった。

 私は神の領域にいないので、これまで何回生きてきたかを知る由もないが、今生きているこの人生が一番であることに違いはない。この本を読みながら、一日いち日の大切さを思い知らされた。