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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

平和に架ける橋

2007-12-17 11:27:28 | Weblog
 昨日は、直子が主宰する「Bridge for Peace(日本とフィリピンをつなぐプロジェクト。略称BFP)」の集まりに顔を見せた。

 BFPは、日本軍に国土を命を蹂躙されたフィリピンの人たちと、侵略側にいた旧日本兵の橋渡しを目的とする活動をしている。具体的には、旧日本兵の証言や謝罪といったものをヴィデオに記録して、それをフィリピンに持って行き、各地で上映会をしている。ヴィデオを見た現地の声をヴィデオに収録して日本でも上映会を行なっている。日本における上映会の場所は様々で、活動に共感する教員たちの計らいで学校や大学で行なう場合もあるし、様々なグループに呼んでいただくことも多い。また、自主企画をする場合もある。

 昨日の会は、その日本で行なう上映会、しかも自主的に行なう上映会の一環として行なわれたものだ。場所も少々ユニークなところで、メンバーのパートナーである英国人の紹介で外国人の多くが集まる東京・下北沢のパブを借り切って行なった。

 ヴィデオ上映に続いて、フィリピンで戦った旧日本兵がその体験を参加者に披瀝した。狭いパブに集まった40人近い参加者の多くが20代30代で、質疑応答の時間になるとそれぞれの感想、想いを熱く語った。

 外国人も、韓国、フィリピン、英国、米国、それに外国籍ではないが、インドネシアに生まれて現地で育った日本人の若者も参加した。

 そのインドネシア育ちの若者が、恐らく現地で様々な言われ方や感じ方をしたのだろう。旧日本兵に怒りをぶつける場面もあり、同席した多くの参加者が肝を冷やす場面もあったが、旧日本兵は冷静にその怒りを受け止めて返答してくださり、事なきを得た。

 在日20年というアメリカ人男性が、たどたどしい日本語で最大級の賛辞を述べた。彼は後ほど私をつかまえ、「この活動は素晴らしい。こんな活動はこの国で初めて知った。国際機関の財政支援を得られるように尽力したい」と言ってくれた。

 上映会の後は、所を変えて近くの店で交流会を行なうことになった。会場を出ると、外にニューズィーランドの友人がいた。彼は会への参加を表明していたが姿を見せていなかった。聞くと、3歳の幼子に手間取り欠席しなければならなかったとのこと。しかし、律儀に会の終わるのを見計らって一家全員で寄ってくれたのだ。

 私はBFPにあまり姿を見せないようにしている。それは、どうしても私の戦争特派員としての履歴などを含めて私の“濃いキャラ”が、活動を邪魔しかねないと思うからだ。この活動が着実に日本に、そして海の向こうにも根を張っていくことを心の底から願っているが、昨日の集まりを見ていると、間違いなくその根は広がりを見せている。

 このサイトをお読みの皆さんも、お時間のある時、いや時間を作ってでも彼女の活動に興味を持ち、できれば活動そのものに関わっていただければ幸いである。

 為政者や高級官僚は世を問わず、我々市井を欺き、私利私欲に走り、自分の方に利益を誘導する。それは、汚職や今世を騒がしていることだけでなく、戦争に国を導く場合もそうだ。そんな流れにこの世の中を任せないためにも我々は何をしたら良いか。

 そんなことを考えながら集まりで交わされる議論を聞いていた。