美術館にアートを贈る会

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市民と美術館の新しい関係の構築をめざしています。

2017 総会・講演会「アートミュージアムは暮らしフィールドの中にある」(講演要旨)

2018-02-28 11:34:17 | Weblog

美術館にアートを贈る会・総会

講演 「アートミュージアムは暮らしフィールドの中にある」
    喜多俊之氏(デザイナー・大阪芸術大学教授)  

日時:2017年11月18日(土)18:00〜19:00
会場:アートコートギャラリー

デザイナーとして

私はデザイナーなんですが、20歳くらいまでは、将来はアートの方へ行きたいなという願望を持っておりました。しばらく社会経験してからアートの方へ行けたらというようなことを思っていたんですね。しかし実社会でデザインの仕事をするようになってかなりの時間が過ぎました。デザインの仕事と言いますのは、アートとは少し違って、いわゆる使う人がいるので、その人に何が提供できるのか、ちょうど料理のシェフや板前と一緒ですね。そこにある素材をまとめて、満足してもらえる何かをクリエイトしていきます。

デザインの場合は失敗は許されません。失敗しますと、企業は倒れてしまいまから。そんなところへあえて飛び込んでいきまして、最初は家庭日用品のデザインの会社でデザイン開発部でした。

 

SARUYAMA 

これは私が初めて椅子のデザインをした作品なんです。1967年に作りました。SARUYAMAという椅子で、1990年にはイタリアのMOROSO社で発売になりました。発売になるまでの間は、小さな20cmくらいのモデルをお守りのように持っていました。それは型でとってプラスチックにしたものなんですね。イタリアに行く時に荷物はほとんど何も持って行かなかったんですが、それだけは持って行っておいたんですね。結果的にはこういう形になりました。

今年の初めに、内藤廣さんの設計で富山県立美術館を立ち上げる時に内藤さんから電話がありました。「喜多さん、SARUYAMA、あれ一つないかな?」ちょうど日本に真っ黒なものが一つありましたので「何色がいいですか?」と尋ねると「赤がいい」とのこと。大慌てで知り合いの椅子張り屋さん、五反田製作所に問い合わせましたら「いけるよ」ということで、赤に変えてオープンに間に合いました。

これは一つに見えますが、三つの部品に分かれるようになってまして、これに座ったり、上で寝っ転がったり、高崎山の猿じゃないですが、上に登っていって一番頂上に座ることもできるみたいな椅子です。いわゆる人間工学的な椅子というよりは、大地のどこかのかけらのような椅子がいいんじゃないかと思いまして、割に素直に当時やりましてね。こんなものができたんです。

これが1990年に発売されまして、そのあとは、色々実社会で出て行くことになりました。

 

SARUYAMA ISLANDというのを後々作りました。この大きなものをかけらにしたのを作ったんですね。

イタリアの企業はブランドの会社が多くて、MOROSO社はインターナショナルで、家具を作ってはコントラクトで家庭用に出しているんですね。それでこのSARUYAMA ISLANDと、SARUYAMAを組み合わせますと結果的に庭石のようになりました。

今年の夏にスウェーデンの友達のところへ行ってたのですが、空港にSARUYAMA ISLANDが使われていました。

今から5年ほど前に、これはヴェネツィアビエンナーレの事務局があるて建物の喫茶店からホールから全部に、SARUYAMA ISLANDとSARUYAMAが入りました。

そんなことで、イタリア、ドバイ、シンガポール、台湾とかで販売されていて、今度は日本でも発売になる予定らしいです。

私は、造形物というよりもむしろ実用品としてデザインの世界の中へ入って行ったんですね。

 

WINK

1980年に、イタリアのCASSINA社から出たWINKという椅子です。これはオーストラリアの砂漠で撮影されたんですが、砂漠の波の中にちょんと置いてあって「これ、どうして運んだの?」と話題になりました。実は影のところに足跡が見えるんですけれど、大変苦労してこの椅子を砂漠で撮影したんですね。

この椅子は1975年に作りました。実は粘土細工で本当に手のひらくらいのものを作ってまして、それを見たCASSINA社が「日本という遠いところから来てるから、イタリアのデザインと違うものをやろうよ」と言われましたが、その時はまだいったい何がイタリアのデザインで何が日本のデザインかわからなかったんですね。結果的には、イージーチェアみたいなのができました。これはカバーを取り外して洗濯できます。世界中のお家に大体洗濯機が普及したから洗濯できる方がいいかなというアイデアからそのようにしました。

ヒンジがあちこちに付いていまして、このヒンジが動いて形が変えられるので、造形的に表情ができる椅子にしました。1970年代は自動車産業が世界中で盛んで、特にイタリアでは大きく花咲く時代で、その部品を一部使いました。あとはCASSINA社の内部の技術者たちがこの耳の倒れるところと腰の部分だけがルノーの部品を使いました。膝のところは全くヒンジだけにして、最終的には後ろから見ますとこんな形もできたんですね。これは当時あまりない椅子でした。

イタリアの場合、こういうものを撮る時のカメラマンはアートの心で撮ってくれます。なんとなく造形物のように見えるのですが、実際は全てが実用的にできています。

この筋はチャックの筋ですし、曲がるところの感触とか、頭のあたり具合とかをしっかり考えます。具合が悪かったら金型を変えてでも達成するように半年くらいかけてやります。とにかく使えるものに仕上げていきます。

ニューヨークで発表会をしたことがあるんですが、しばらくしたら電話が鳴りました。メトロポリタン美術館の専属カメラマンから「僕に撮らしてくれる?」ということで、彼に任せたんですね。この写真は1979年に撮った写真です。さすがに日頃アートを撮っているカメラマンなので、とても凝った写真を撮ってくれましたが、実は大変実用的な説明の写真になっているんですよ。

構造もそうですし、どういう風な座り方や座り心地までも伝えました。カメラマンの力ってすごいなと思います。陰影のつけ方、色彩の置き方、こういうやはり私はもののデザイナーですけど、こういう表現とかはやはりそれはそれで大変素敵な方が一生懸命やってくれて、結果的にはもう30年以上の時間が経った今でも、そんなに古い感じはしません。

この椅子は実はもう20万台以上作りました。今も生産ラインに流れています。掃除機でおなじみのDysonさんが15台くらい持っていてくれまして、会う毎に「喜多、僕のデザインコンセプトは君のWINKチェアだから」ととても親しくしてくれています。おかげでうちには彼が作った掃除機と扇風機がたくさんあるんですね。

そんなことでお互いにものづくり同士の友達ですが、彼は彼で、やはり日常の中に単なる機能的だけじゃなくて、どこかアートの心をということを感じてくれていたし、自分もそうしたいと思われたんでしょうね。

これはニューヨーク近代美術館(MoMA)でパーマネントコレクションになりました。アメリカの多くの美術館の後に、ポンピドーセンターもこれはパーマネントコレクションにしていただきました。

 

デザインとアートの違い

デザインとアート。アートの場合は本当に作家がこれでいいと言ったらそれで時間が止まって、ずっといつの時代でも蘇っていくんですが、デザインの場合の多くは、時が過ぎたら古くなって捨てられるところにあります。テクノロジーが変わったり、時代が変わりますと、もうそれは次の世代に譲っていくという宿命があります。そういう中で、こういうものがどれだけ残っていけるか。特にメカニズムが入ったものは残ることはないんですね。ほとんどが古くなって、古道具屋へ行っていつか見えなくなってしまうという宿命があります。アートの場合は、いつでも出来たてのような形が残っていきます。この違いはすごいなと思います。

 

テーブル

あの椅子ができた時に、テーブルもいるよねとクライアントから要望がありました。CASSINA社の開発には、鉄・プラスチック・カバーリングとか部品とかそれぞれの専門家がいまして、みんなが寄ってデザイナーを囲んでどうしようと話し合います。マーケティングの話から、機能性の話から全部やるんですね。

この時は突然「この場で描いてくれる?」と言われて、段ボールにバババッと原寸で描いたものがこれの元になりました。天板については、ここでコカコーラをこぼしてもこぼれないようにするにはこれくらいはいるよねとかそんな話をしながら、縁にゴムが巻きました。クルクル回るようになっていまして、コマが2つついて、実は真ん中の中心はキャスターがないんですね。ですからそこで止まったまま2つがクルクル回るからこれを中心にぐるぐるっと回るようになってるんですね。それで、テーブルの下の丸いレバーを下ろすと、テーブルが上がったり、下がったりということで、全部が使うところを中心にしてあるわけです。

 

KICK

デザイナーは料理人みたいもので、どう料理するかみたいなことでできたものがこのKICKテーブルです。このKICKはスケッチ書きながら名前も考えました。なぜこの名前にしたかと言うと、2本足で蹴るようにしたら面白いかなと思って。それでできたものがこのテーブルになりました。

これもポンピドーセンター、MoMA、ドイツの工芸美術博物館とかにパーマネントコレクションにしていただきました。現在もこれは作られていますけども、もうこれも35年を越えました。

 

竹という素材

これは3つの味の白タケノコなんです。竹というのは、地中にある時は食材になり、顔を出し始めると3年から4年しますと100年使えるものになるという大変素晴らしい素材なんですね。

国際シンポジウムで竹のことをお話しすることがありまして、どうしてもこの写真を撮りたいということで、あえて京都の錦水亭まで筍料理を食べに行きました。

もともとはこの孟宗竹は中国から来たらしいんですが、日本は日本らしく、盛り方から味から和風に仕上げてあります。

この竹を眺めて、美味しそうだというだけでなくて、アートの心を感じてもらえる、そういう料理人の思いがわかりますよね。何気ない山椒の葉っぱもバランス良く盛り付けてあり、日本料理はアートの世界に入るような、そういうすれすれのところで実用品としてあるわけです。

今年ミラノで竹の展覧会をしました。丸い竹を平たくのばす技術を島根県で6年ぐらい前に開発しました。そこから何かそれを使ってやろうよということになりましてできたのがこの椅子とテーブルです。この椅子はスタッキングできるんです。座り心地も良く、そして軽い。特色は丸い竹を半分に切って、それで平たくしたというだけで新素材に突然変わってしまったんですね。今年のミラノのINTERNIという雑誌から「新素材の展覧会するけど、何かない?」と問い合わせがあったとき、ちょうど出来た試作がありましたので、これを発表しました。

これが発表したところの会場で、ミラノ大学だったんですが、これは全部竹です。この構造も面白いものができまして、平たくしました。ここに大人が2人ぐらい座ってもビクともしません。木ではできないくらいの強度のあるものができたんですね。

この上の椅子も竹でして、これはスタッキングできません。少し構造が違います。デザインというのは常に理由があって、人間が使う実用品として落とし込みますので、ここに機能性とか安全性とか、コストのこととか色々ある中に美しいアートの心をちょっと挟むのが私たちデザイナーの技でもあるわけなんです。

 

HOTEI

タイでは水草を使って何か商品開発をしようということになりました。これはホテイアオイという水草。それが川や池にいっぱい一面になりますと、太陽が届かないので水が傷んでしまうんですね。そのホテイアオイを乾燥させて、それを使って椅子を作りました。この椅子の足はあえてアルミニウムにしました。

4つ角が生えているのはクルクル回ることができますね。2つのものは倒れ止めです。これをどう造形的にまとめるかというのはこれはデザインの力でもあるんです。

インテリアの中に、これがポンと置かれた時に、その空間が変わるという力を持つ必要があるということですね。

先ほどのSARUYAMAも赤いものを1つ置くだけで空間が一変するという力を発見したんです。

 

SENSHU

このタオルは泉州タオルです。泉州タオルと今治タオルは業界で競争していますが、元々は泉州タオルがオリジナルなんですね。しかし今治タオルがよく売れていて泉州が遅れを取っているのでどうしたらいいだろうというテーマをいただきました。

ミラノで、泉州タオルを国際見本市に出した時の写真です。この写真のようにふわふわでガーゼのような感じで欲しいなと思うようなタオルなんですけれども、これをどうまとめるのか。この写真は30枚くらい撮った中のうちの1つで、他にも色々あるんですが一枚だけご披露しました。

私たちが日常の中で喜びを感じたり、嬉しさを感じる物の存在を伝えるということはデザインの世界にあります。

 

PEWTER COLLECTIONS 

30年くらい前につくったんですが、これナツメなんですよ。素材は錫です。上に茶杓が置けるようにくぼみを付けました。

できた写真を見たら宙に浮いているので、カメラマンに「どうやって撮影したの?」と聞いたら「秘密」って教えてくれないんです。今も。これがほぼ30年前の写真と思えないように、これをアートの方でピタッと止めてくれたというのは感謝しています。

 

AQUOS

これは皆さんご承知の世界で初めての量産液晶テレビ。そこの会社の隣が私の出身の長池小学校だったんですね。小学校時代の友達がその会社の資材にいまして「売れない。喜多くんこれなんとかならへんかな?」と、持ち込まれました。その時のテレビは本当に単なる四角いモニター。まだ当時は斜めから見たら真っ黒けで映像が見えないような、まだ技術が途中だったんですね。スピーカーも付いていないから、後ろから小さく出るくらいのものを20万円くらいで販売していました。これでは売れないはずです。これをどう料理するか。私はまずは音を大きくしようということで、立派なスピーカーを2つつけたんですね。それから回転する装置をこの足につけました。ちょっと見にくかったら、手で押すだけで、見えるようになると。あとは後ろに取っ手をつけたんです。吉永小百合さんが宣伝した時にぶら下げていましたよね。未来に持っていくものみたいな。そういう手をつけまして。このアイデアをデザインということでつけたんですね。それから誰が使うかというと、お店で使うのと、高齢者の人が随分使ってますので、そしたら赤いボタン、それからチャンネルはグリーンで音はブルーでっていうことでこういうものも造形的に考えたんですね。結果的にこれがヒットしたんです。これがAQUOSの始まりだったんです。名前も私がつけたんです。デザインというものは総合力です。

 

AWABI

これは立体に漉いた和紙です。AWABIという名前をつけました。私はずっと和紙の照明器具を1970年くらいからイタリアでやり始めました。

始まりは1968年に1人の美濃の紙の職人と出会ったことです。工房に興味があったので見に行ったら、「もう今年で辞めるんですよ」とおっしゃったんです。この方は素晴らしい紙を漉いてる無形文化財の人だったんですが、機械漉きに負けて手作りは売れない時代になっていました。「じゃあ、イタリアにこれから行って、もし使うチャンスがあったら何か使いますね」って半分冗談でそんな話をしていたんですね。

これはもっと後で作ったんですが、これは鳥取県の人が技術を持っていて、20年くらいの技術でなんかできることはないですかと、立体でこんな和紙を作りまして、LEDと組み合わせて、大阪にある八紘電機さんでこれを今作っています。和紙ルーチェという名前でイタリアで販売しています。

これが古田さんという職人が当時漉いていた紙です。長崎の出島から束で輸出してたんですね。ベルギーの友達の友達が出島から来たものを展示する小さい私設ミュージアムを持っていたんですが、そこへ行った時にこの紙の束と出会ったんですね。5cmくらいの束でして、それが全く傷んでなかったんですね。すごいなと。伝統の力はすごいなと感激したことがあります。

その古田さんが作ってる仕事場で撮った写真なんですが、こういう長良川の上流で板取川というのがありましてね。今ももちろんありますが、そこで400戸くらいが紙を漉いていたんですね。私が行った1968年にはもう4戸くらいしか漉いていませんでした。その古田さんという職人がきれいな水が20cmくらいの深さの澄んだ水の中に楮という紙の原料ですね。木から剥がして、煮るんですね。煮たものを24時間水の中につけて、アク抜きをしているところなんですね。それで白い紙になります。紙漉きの作業の1つです。

なんとなくこの石と澄んだ水とこの楮と職人魂みたいなものを感じてパチっと写真を撮った当時のものです。

 

TAKO 

古田さんとの約束が叶ったのは1971年のこと。イタリアの照明器具メーカーのビルーメンというところから古田さんに漉いてもらった紙を使った照明器具が出ました。上下に糊をつけて、鉄の細い線材を通してぶら下げる構造にしまして、後ろのアルミニウムも造形的にして、実際は平たい板をクルクルと手で倒していくとこのようになる、キットのようなものを作りました。リナシェントというデパートで結構ヒットしたんですね。そうすると何が始まったかというと、当時はプラスチック全盛の時で、試作を作ってもらって会議にかけましたら、そのビルーメンという会社の社長の奥さんが「これいい〜」って言い出したんです。「この光はなんとも言えない。プラスチックではでないから、これはいい〜」その奥さんの一言で製品化して、それがこの美濃紙の再生の役に立ったんですね。その時に大量に注文が入りまして、その職人は辞めないで継続することで、死ぬまで紙漉きをしておられました。

これはフランスのミュージアムにパーマネントコレクションされたり、フィンランドの大学の教授にもひとつプレゼントしたことがあります。それから20年も経った時に会ったら「朝起きたら喜多のTAKOにスイッチ入れて、晩はスイッチを消すのが僕の役割だ」って言っていました。そうして暮らしの中で使ってくれたんですね。

 

KYO

それと並行しましてシワをパターンにしたKYOランプと言うのも同時に商品開発しました。

これもイタリアの製品だったんですが、今は全部東大阪市の八紘電機さんがこれを一手に日本発でLEDと組んでこれから世界に出そうということで今再出発している最中です。

東京の友達が、軽井沢の別荘をやっていまして1軒建つ毎にこれを使ってくれまして、35年くらい前からずっと使っていただいてました。

日本の伝統文化というのは職人芸だけでなくて、暮らしの中の心とのバランスでものづくりをしています。

 

WAJIMA

1960年代の後半に古田さんと出会ってから、現在も日本の伝統工芸の再生のことをずっとやっています。

これは1985年に作ったシリーズのひとつなんですが、輪島塗です。溜塗のなんとも言えない奥ゆかしい光ですね。これを撮ったイタリアのカメラマンが、「こんな仕上げのものは今まで写真に撮ったことがない、この光はなんだろう」とずっと言ってました。そういうことが漆の持つひとつの良さでもありますね。これは食べ物を入れたりする器です。これにお寿司を盛ると大体10人分くらい乗るようにしてあります。

 

二畳結界 

それからこういうちょっと奇抜なものも当時作りましてね。その当時輪島塗もほとんど息も絶え絶えで衰退してましたので、これを活性化するにはどうしたらいいだろうということで輪島の方から私に話がありました。何かできないかということで、即興で茶室にしたらどうだと。2畳を作って、一寸角の枠の組み立て式にしました。中は桜材を使って、そこに輪島塗を塗りました。これは12本の角材を組み立てるだけで、15分くらいで立派な茶室ができます。ガラスも何も入れないで私たちの心の世界で内と外を表現しました。これは日本の伝統的な鳥居と同じですね。

 

Nouvelles tendances」展

 パリのポンピドーセンターで「Nouvelles tendances」展というのを、1987年にスタルクさんらと一緒に展覧会をしました。7人の建築家や作家たちと10か月の展覧会をやったんです。ハイテク空間も出しまして、これはコンピューターと将来使われるであろう有機ELの元になったELのパネルを使って、電気を通すと生きてるような空間です。電気を通すとコンピューター仕掛けで生きてるような空間。炎の映像を石の中から出したりですね。もう1つは、このなんにもない空間。

色々なことをやりましてそれが私たちが住む今の現代の姿なんですね。これは過去からのひとつの空間意識ということで、これは年をとらないような感じでして、結局テクノロジーがありませんから、これはもうずっと年をとらないで、今も使っています。

15台くらい作りましたけれども、裏千家にも使ってもらったりしました。

 

RENOVETTA

これに障子を入れて組み立て式の和室を作りました。リノベッタと言います。檜で作りまして、その障子を全部閉めてしまうと、全くの和室になるような空間なんですが、二畳結界の副産物で作りました。

そういうことで、デザインというのは色々の素材を料理しながら、暮らしの中でそういう空間を作っていくことですね。

これは京都の昔からある古い小学校でお茶会をやる時に使いました。部屋をお庭に見立てて、2畳の大きなやはりしわくちゃの紙の下にLEDを入れて、こういう空間を作ってお茶会をやる会とか、色々やりました。

そんなことで、とても大切な空間に漆を使うというふうなことで、漆の重要さや面白さ、素敵さを暮らしの中に取り入れることで造形的にもまとめていくというようなことをしてみました。

 

篠山ギャラリー

丹波篠山に100年くらい前の家がありまして、「もう潰すからいらない?」と持ちかけられまして、そこの家を手に入れて大改造しましてこんな空間を作りました。ここで伝統工芸のギャラリーショップのようなものを作りました。そこのこけら落としの時のお茶会の席を作りましてね、こういうところにもさっきの紙や漆を使うようにすることで、これからの暮らしの中でのこういう空間とか価値観なんかを表現したんですね。

もう潰すという100年前の家に杉の柱がありましたので、この杉の柱がとても面白かったので、それを黒くしてあとは白の漆喰にして100年前の天井を外して、こういう空間にしました。

そこにやはりAWABIとKYOランプが付いています。時間が止まったような、大変豊かな雰囲気を得ることができました。

 

テーブル

これは友人のピエール・ジギャンダというイタリアの有名な木工作家が、日本に来た時に、静岡県にある建具屋さんに行ったんですね。そこの建具屋さんを見て彼はインスピレーションを感じてテーブルを作ったんですね。このテーブルが大ヒットしたんですね。ニューヨークやドイツで。このもとは日本の建て具でした。洋の東西は関係なく、デザインの世界は面白いです。

これはその彼の作品です。これもどちらかというと実用性と品質。それから例えばこの黒い上に電気スタンドやら、ちょっとした物を置いたり、二段で使って、これよく見るととても実用的にできてまして、私もこれ欲しいなと思いながらまだ手が出ないんです。接ぎ手も丁寧にできてます。

 

寄木

これは木工ですね、箱根小田原細工の寄木です。そこの若い作家が作ったものです。

 

HANA

1600年代の有田焼からヒントを得て作った食器です。もとは三つの大きい大輪の菊の花が描いてあったものなのですが、料理は三つ乗せられるのがいいかなということで作りました。

去年と一昨年イタリアのピエモンテ州で、私の個展があったんですね。イタリアの場合は結構ふんだんにデザイン展をやってくれたりしまして、ここに先ほどの器も入っています。

この一枚の皿から、こうして有田焼というものを次々と展開しています。現在はシンガポールやあちこちで日本でも売られています。

これは有田焼でアメリカのカメラマンが撮り、場所はミュンヘンで撮ってます。そういう風に日本の伝統的なものを世界の人が使えるような、そういう風に料理するのもデザイナーの役割なんですね。

 

WAKAMARU

あとは、高齢者用のロボット。一番苦労したのはこの目なんですね。なんとなく可愛い目なんですね。これは種明しすれば、私のところにいた紀州犬の一代目のゴロウくんの目をもらったんですね。ワンちゃんの目なんです。今はペッパーくんっていうのがいますけども、それの前身です。

お年寄りのためのロボットなんですが、物も言うし人の顔も覚えるように三菱重工が作りました。実用品で造形の大事さというものがありまして、この光は厚み7mmくらいのLEDの照明器具です。光は和紙の光のような照明にしました。

 

SASUKE

 これは何かというと、高齢者を介護する人たちの補助機です。セミロボットです。これで上下したり、寝ている人をそっと抱きかかえて車椅子に乗せたり、お風呂場へ連れて行ったりするようなもの。先週ドイツでも発表しまして、これは日本の150くらいの病院に入りつつあります。これもデザインの役割なんですが、この時に怖いという印象でなくて、なんとなくインターフェイスというのが大事でしてね。これも造形とか素材とか色とかはデザイナーの役割ですね。

 

黄金コンパス賞

イタリアでは黄金コンパス賞を2年に1回ずつやるんですが、そこにデザイン関係者とか、企業とか、皆さん集まってるんですが、そのときなんとなく撮った写真をあえて持ってきたのは、デザインというのはハッピー産業でしてね。やはり使う人が優しくなたり、嬉しくなったりするものを作ろうとしてますから、使いやすく安全なね。そういう職業の人っていうのはみなさん穏やかなんですね。なんか知らないけど、みんなニコニコしているところがありまして、新聞で凶悪犯がどうのこうのと話題になりますが、デザイナーや料理人にはあまりいないような気がすします。なんかやっぱり人のためにみたいなところがあるんでしょうね。

これは私は審査員をしましてね。今度はフェラーリが通りました。フェラーリというと、高いし、ガソリンも食うし、今までデザインの賞はあげられないとばってました。しかしこれは、1人の職人が1週間で組み立てるんですね。それでこの部品全部が職人芸なんです。この職人芸でものを作るということに与えようじゃないかということで今回通ったんですね。

それからエスプレッソのアレッシのコーヒーメーカーもこの中に入りましてね。これも大変造形的にも使い方もひねってしてありますので通りました。

 

大阪の事務所

私の事務所から窓を見たところをあえて今日持ってきました。大阪の中心で中央公会堂が見えたりします。

この黄色い椅子もMoMAのパーマネントコレクションに入ってます。これはセビリア万博で500台だけしか作らなかったんですが、終わったらどこ行ったのかな?5台くらい欲しかったのにと思ってもなかったんですよ。後々、スイスのオークションで出てきまして1台買いました。そんなことで、世界にはあぁいうものをパッと買っていく人がいるんですね。あるとき機内で見たマイケルジャクソンの音楽の映像の中で、宇宙船の扉が開いた途端にこれが10台くらいズラーッと銀色にして使ってあって「こんなところに行ってる!?」と思ったことがありました。

 

そんなことで、私はすっかりアーティストになるチャンスを逃してしまいましたけれども、一生デザインのところでやっていこうかなというふうに思っています。70歳を過ぎる頃にここの事務所に移ってきまして、さぁもう一回深呼吸してやり直そうと思って今やっているところでございます。

デザインという仕事の中に少しだけアートの心というのを忍ばせながら、日常と戦ってるみたいな、そういう職業をしております。今日はどうもありがとうございました。

 

 

【事務局のまとめ】

暮らしの中に素敵にデザインされたものがあるというのはとても心が豊かになります。喜多さんの作品はとても暖かい印象をいつも受けます。喜多さんのお話に、デザインとアートとの違いは、デザインされたものは消え去る時間が早いという話がありましたけども、喜多さんのデザインされた作品は、30年40年と作り続けられて今も生き続ける作品がたくさんあります。私たちの美術館にアートを贈る会も、同時代性のある作品の中から長く持ってもらえるような作品を美術館に贈っていく活動を続けていきたいと思います。
(記録:鈴木・奥村) 

  

<喜多俊之氏 プロフィール>
 

1969年よりイタリアと日本でデザインの制作活動を始める。
イタリアやドイツ、日本のメーカーから家具、家電、ロボット、家庭日用品に至るまでのデザインで多くのヒット製品を生む。
作品の多くがニューヨーク近代美術館、パリのポンピドーセンターなど世界のミュージアムにコレクションされている。
シンガポール、タイ、中国など、デザイン活性化の政府顧問をつとめた。
また、日本各地の伝統工芸・地場産業の活性化、およびクリエイティブ・プロデユーサーとして多方面で活躍する。
国際見本市「Living & Design」ディレクター。暮らしのリノベーション「RENOVETTA プロジェクト」を提唱。
近年は、日本だけでなく、ヨーロッパ、アジアなどで、セミナーやワークショップを開く等、

教育活動にも力を入れている。大阪芸術大学教授。

1990年、スペイン「デルタ・デ・オロ賞(金賞)」受賞。
2011年、イタリア「ADI黄金コンパス賞(国際功労賞)」受賞。
2016年、イタリア「第24回ADI黄金コンパス賞」の国際審査員を務める。
2017年、イタリア及び日本との友好とデザイン活動に対してイタリア政府より「イタリア共和国功労勲章コンメンダントーレ」授与。

著書:「デザインの力」、「地場産業+デザイン」、「デザインの探険」などがある。


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