美術館にアートを贈る会

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芦屋市立美術博物館訪問(6月10日) レポート

2023-06-20 14:33:36 | Weblog

芦屋市立美術博物館
リニューアルオープン記念 特別展 訪問レポート

 “美術館にアートを贈る会”では、美術館をもっと深く理解し身近に引き寄せる活動の一環として、定期的に美術館を訪問し、お話を伺っています。

 今回は、改修工事のために2022年7月から休館し、4月15日にリニューアルオープンした芦屋市立美術博物館に伺いました。リニューアルで展示壁が全て塗り替えられ、照明も全て色調調整可能なLED照明に更新されていました。 

 講義室とリニューアルで明るくなった展示室で、オープン後初の展覧会「芦屋の美術、もうひとつの起点ー伊藤継郎」について、担当学芸員の川原百合恵さんからお話を伺いました。

 日時:2023年6月10日(土)14:00〜15:30
 会場:芦屋市立美術博物館 講義室、展示室
 参加者:7名

1)いまなぜ「伊藤継郎」展なのか

 リニューアルオープン記念特別展として伊藤継郎を取り上げた企画主旨について説明して頂きました。

 芦屋市立美術博物館のコレクションの軸は、近現代の洋画家の小出楢重と彼を起点として、芦屋に縁をもった近代以降の洋画家のコレクションと、芦屋在住の吉原治良をリーダーとする具体美術協会のコレクションです。具体作家としては、元永定正、嶋本昭三、白髪一雄などの作品を所蔵しています。

 リニューアルオープン記念として、この二人の代表的な作品をピックアップするのではなく、あえて伊藤継郎に焦点を当てた特別展が企画されました。

 伊藤継郎は1907年(明治40年)大阪生まれ。21歳のときに芦屋に移り住み、1994年(平成6年)に亡くなるまで山芦屋の地に自宅とアトリエを構え制作を続けた画家です。

 伊藤は、絵を学び始めた大阪から芦屋に移り、長く芦屋で制作をする中で、幅広い交友関係を結びました。伊藤の画業を追っていくことで、関西の洋画の歴史、芦屋の美術の歴史を追うことができると考えられ、さらに伊藤に焦点を当てることで、本館のコレクションを違った視点で切り取ることが出来ることにも注目されました。

 

 

 

2)伊藤の画業の歴史について

 第一展示室では、第1章「学び 大阪の洋画界を背景に」、第2章「研鑽 美術団体での活躍」、第3章「開花 新制作派協会」、第4章「再出発 芦屋の地で」と伊藤継郎と交友関係のあった画家たちの作品とその歴史をたどることができます。

 大阪時代では、1923年(大正12年)に松原三五郎の天彩画塾に通い始め、その後、初めて師匠となる赤松麟作の赤松洋画塾(のちに赤松洋画研究所)で絵を学び、そののち、信濃橋洋画研究所では講師もすることになります。1930年(昭和5年)に二科展に初入選、1936年(昭和11年)には二科会会友となりますが、その後、新制作派協会に移りました。

 戦時中には満州へ出征、終戦後シベリアに抑留され、満州での絵が1枚残っています。所属した部の隊長に進呈した絵を、隊長が亡くなる直前に日本の家族の元に届けて欲しいと部下に託した絵で、伊藤は額装して死ぬまで大事に持っていたそうです。

 空襲で焼けた家が多い中で、伊藤のアトリエは奇跡的に無事でした。伊藤のアトリエには、伊藤の温厚な性格から幅広い年齢層の多くの画家たちや絵を学ぶ人々が集まってきたそうです。

 戦後3年経った1948年(昭和23年)には、吉原治良ら芦屋市在住の芸術家たちと芦屋市美術協会を結成し、芦屋市展や童美展の審査員を務めました。初代会長は吉原治良で、1972年(昭和47年)に吉原が亡くなってからは伊藤が会長に就任しました。

 

3)伊藤絵画の内実

 第二展示室は、第5章「伊藤絵画の内実」として、伊藤継郎の作品を「モチーフ」と「技法」という切り口で紹介されていました。

 伊藤は日常の一画面や身近な人物、動物のほか、日本各地、世界各地を旅して、その土地の人たちを描きました。展示には、ギリシャの老人や風景、インドの風景などもありました。

 紙に描かれた素描では、日本画の素材である岩絵具の方解末や水晶末を膠にまぜて使っているのでキラキラと輝いていました。下地を塗って、そこにモチーフを描いて、さらに背景に手を入れるといったように、モチーフと背景(図と地)の間のせめぎ合いがあります。伊藤の絵画は、その厚塗りされた画面とモチーフの捉え方によって、奥行きを消したかような独自の平面表現が感じられました。

 

< 感想 >

 2階のガラスケースに展示されていた集合写真や記念写真、1階のモニターに映し出されたスライドショーからも、伊藤継郎の幅広い交友関係には驚かされました。関西の美術団体の歴史とともに、芦屋の美術の歴史を知ることができました。

 「ものを見て、絵の具で描く」というシンプルでオーソドックスな画家、伊藤継郎の交友関係や内実に触れてもらえれば、という学芸員の最後の言葉に、思わず納得の展覧会訪問になりました。

 

 


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