夫婦で新しい人生にトライしてます~日本編

15年ぶりにカナダから帰国。終の棲家と選んだ北海道美瑛町から日々の生活を綴ります。

アメリカ横断引っ越しドライブ~第4話

2024-04-17 08:02:42 | 旅行

(2017年、7年前の今の時期にアメリカを引っ越しドライブしていた時の回顧録です。)

4月20日ルイビルのハッチャー家を辞した後は、高速65号線を南下しテネシー州ナッシュビルで右折し高速40号線を同じくテネシー州のメンフィスへ向かいました。アメリカの高速道路は65号線のように末尾に5が付くものは南北に走り、40号線のように末尾に0が付くものは東西に走るルールのようです。高速道路は概ねフリーウェイと呼ばれ無料です。ただ時々有料道路に出くわすこともありました。

ナッシュビルはカントリーウェスタンソングの聖地でプレスリーもここに通っていたそうですが、息子の交換留学先を訪問した20年前にアトランタで車を借りてルイビルに向かう際に立ち寄っていたのでこの時はパスでした。何せアメリカは広くこの日の目的地であり宿泊地であるメンフィスへたどり着くには無駄な時間は取れませんでした。

メンフィスはエルビス・プレスリーの生まれた町として有名で、今でも彼を偲んでたくさんの人が訪れる観光地です。彼の住んでいた広大なお屋敷が「グレースランド」というテーマパークになっていてプレスリーファンにはたまらない場所でしょう。

到着した日は時間がなかったため見学は翌日にして、この日は確か街中のチャイニーズレストランで夕食を食べた記憶です。メンフィスは20年前のアトランタやこのドライブで後ほど出かけるニューオリンズ同様黒人が多い印象の町でしたが、彼らはアジア人である私達に声をかけるようなことはなく、ただ世界中どこでもしたたかに生きている中国人の末裔達は同じアジア系と見てレストランで話しかけてくることが良くありました。この時も「どこから来たの?」といった会話がありました。プリンスエドワード島などと言っても絶対に分からなかったでしょうけど。

翌日はお目当ての「グレースランド」観光でした。エルビス・プレスリーは1950年代にロックンロールの王様として世界中を沸かせたわけですが、私達の世代よりはちょっと前だったので同時代で痺れていたということではありません。ただ、彼の当時の歌声やルックスは格好良いの一言で、70年代にラスベガスで復活しますが出来ればあれは忘れたいという思いもあります。

広大な屋敷には彼の半生を偲びピンクキャデラックなどたくさんの展示がありました。家族との写真や当時の関りなどを見ていると意外と家族思いの良い奴だったという感じで改めてファンになりました。

メンフィスで時間を取ってしまったので、次の目的地ジャズの街ニューオリンズへ行くにはその前にミシシッピー州ジャクソンという町での前泊が必要でした。

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