夫婦で新しい人生にトライしてます~日本編

15年ぶりにカナダから帰国。終の棲家と選んだ北海道美瑛町から日々の生活を綴ります。

昭和の看板絵師

2024-06-17 07:25:32 | 日記

富良野の「喫茶・ギャラリーあかなら」で展示されていたのは、昭和の看板絵師である藤林利朗さんのオードリー・ヘップバーン+大谷翔平の作品でした。

ここで拝見するまで看板絵師という職業や映画の看板について考えたことは一度もなく、しかし私の子供の頃は確かに映画館の看板を見ていたので、そのギャップに少しうろたえてしまいました。私は、映画の看板というものは東京の大手映画配給会社が各地の映画館に貸し出していてそれが全国を回っているのだと勝手に思い込んでいたようで、しかし実際にはあんな大きな看板をしかも全国に同時期に配給することなど出来るはずがないことは自明の理でした。

藤林さんにお聞きすると、昔は旭川にも20軒くらいの映画館があり、それらの映画館の専属と言うわけではないが看板を作成する会社もいくつかあって、そういった会社がそれぞれ受注して手作業で看板を製作していたのだそうです。美瑛町にも最盛期には2軒映画館があったそうですが、美瑛町の仕事もしたのですかと聞くとそれはまた別の業者がいたそうです。

彼は、1959年(昭和34年)からこの仕事を始めたそうですが、その頃最盛期だった映画産業は昭和40年代に入って各家庭にテレビが普及するのと同時に衰退を始め、更に印刷技術が進んだことで大型ポスターも容易に出来るようになったことから映画看板製作という仕事はなくなって行ったということでした。看板は大きなものなのでそれらを残しておくこともなく、若い人たちから見たことがないから見て見たいと言われたことをきっかけに2018年頃から残っていた写真などを見ながら改めて書き直して展示しているということでした。

彼の会社は日活映画の専門のようなところだったので、若いころの石原裕次郎や吉永小百合、浅丘るり子、小林旭らの看板を良く手掛けたそうですが、なぜ今回オードリーヘップバーンなのかは聞き逃してしまいました。昔の映画少年にはあこがれの存在で、思わず目を見張ってしまいました。

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