運が欲しい

心の貧しさが運を下げる。もしもこんな方程式があったとしたなら。
知恵と勘を磨きながら、心の動きを探求。

死んだらおしまい、ではなかった

2019年04月08日 20時00分00秒 | 日記

宗教ではなく、シンプルに人が死んだらどうなるのだろう?と思い検索。
こちらの本が目に止まった。

死んだらおしまい、ではなかった
大島 祥明
PHP研究所

内容紹介
「成仏するんでしょうか?」 その一言が、心に深く突き刺さりました。
――まえがきより
遺族から受けたその質問に、確信を持って答えられず、 言葉を濁してしまったことを激しく悔やんだ著者は、それから10年以上かけて 故人の霊魂を感じ取るべく訓練に励む。 その間執り行った葬儀の数は、実に二千四十六件にのぼる。 本書では、遺族に「よくそこまでわかりましたね」と言われるほどに 故人のことがわかるようになった著者が、怒った故人・呆然とする故人・すっきりとした故人など、 様々な「故人」との出会いを明かし、そこからわかった「死んだらどうなるのか」、 「本当の供養とは何か」「今をどのように生きれればいいのか」を教えてくれる。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
大島 祥明
 昭和19(1944)年、大阪市中央区大念寺に生まれる。東平小学校、上町中学校、高津高等学校卒業。佛教大学卒業、同大学大学院修了、文学修士。慶應義塾大学大学院東洋史聴講。大念寺副住職、浄土宗嘱託勤務、四天王寺学園非常勤講師などを歴任。現・浄土宗僧侶、大念寺(千葉県)住職、僧正(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


その人なりの感じ方、とらえ方、応じ方

2019年04月08日 13時00分00秒 | 日記

知人から「親の認知が進んで今入っている施設を出る事になった。正月は外泊も出来、多少の物忘れはあったけど、これほど早く変わるとは…」と、メールが来た。

「うちはレビュー小体型で夜中に『部屋に知らないオジサンが座っている』等の幻視、処方された薬が合わなく今は漢方薬と睡眠薬。病院に何度か入院したこともあり、あの閉鎖感が嫌だと、入院、施設はお断りだと。」と、我が家のありのままを返信。

私の場合はマイドクターが、脳神経、心療内科、精神科の先生を紹介して下さり色々な話を聞く事が出来、その中でフト思ったのが「親孝行出来る貴重な時間を頂いている。家で看取る事を基本にしよう。」
この思いが過ってからは、親の症状がどんなに変わってもそんなに動揺する事がなくなった。

最近驚いた事と言えば、車を売ってくれた営業マンが店長になっていたこと。
その営業マンが異動になり疎遠になっていたのですが、デイーラーで値引き交渉をしていると出世して帰って来た営業マン、店長さんが来て「○○さんじゃないですか?今、見積書のお名前を見て思い出しました。その節はお父さん、お母さんに、お世話になりました。」と。

父母のお蔭に感謝して、今日も恩返しに精を出そうかな。

認知症についてこちらの記事がありましたので。

認知症、理解するヒントに くまもと南部広域病院・高松淳一さん、診療通じた“つぶやき”出版
2019/04/03 09:38     熊本日日新聞
(前略)
タイトルも内容も普通の医学書とは異なり、冒頭に「医学が認知症の科学的な解明を推進する一方で、認知症者への人間的なかかわりを再考するため」と記されている。その中には、こんな“つぶやき”がある。

 〈認知症者は、認知症という病理を受け入れながら、その時々の、その人なりの、感じ方(知覚)、とらえ方(理解)、応じ方(感情、行動)により、もうひとつの生き方として、その人の精神を表現しているように思われる〉

 多くの認知症者と向き合う中で、著者は認知症者の中に「自分」を発見する。たどり着いたのは「認知症を患いながらも、自分と同じ生きている人間である」という境地。認知症者と非認知症者の間に存在する差異ではなく共通性を知ってもらうことで、両者の距離を縮められたらとの思いに至る。

 認知症は、家族療法に近いものが必要だと高松さんは言う。患者は病が進行するほど柔軟性がなくなるため、家族側が「変化していく患者」を少しずつ受け入れていくことで、関係性がスムーズになる場合があるという。

 「家族にも現実や日常生活があり、患者にすべて合わせて変わるのは難しいが、完璧な人間や家族はほとんどなく、変われる余地はあると思う。食事でもドライブでも時間を共有することが大事。どこかで気持ちが一致し、同じ人間の部分があることが分かってくると思う」 (以下略)


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