夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十一節[理性としての道徳律]

2022年12月30日 | ヘーゲル『哲学入門』

ヘーゲル『哲学入門』第三章 宗教論 第七十一節[理性としての道徳律]

Dritter Abschnitt. Religionslehre.

§71

Das moralische Gesetz  in uns ist das ewige Vernunftgesetz, (※1)das wir unwiderstehlich achten müssen und durch das wir uns un­auflöslich gebunden fühlen. Wir sehen aber eben so unmittelbar die Unangemessenheit unserer Individualität zu demselben ein, erkennen es als Höheres, als wir, als ein von uns unabhängiges, selbstständiges, absolutes Wesen.

 

第三章  宗教論

第七十一節[理性としての道徳律]

我々の中にある道徳律は、永遠の理性法則 であり、抗し難く我々が畏敬しなければならないものである。また我々はそれに固く結び付けられていると感じている。しかし、同時に我々の個性はそれ自体と直接に一致しないことも 我々は認めている。それは我々よりも高く、我々からは独立し自立する絶対的な存在(本質)であることを知っている。

 

※1
Das moralische Gesetz in uns ist das ewige Vernunftgesetz.
「我々の中にある道徳律は、永遠の理性法則である。」

ここでも明らかなように、ヘーゲルの理性概念は、宗教的な道徳律と関係している。というよりも、キリスト教の道徳律は理性概念そのものであり、我々から独立して客観的に存在する崇高な絶対的本質として捉えられている。性悪な人間の個性はそれに一致しえない。

 
 
 
 
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2022年クリスマス

2022年12月25日 | 日記・紀行

2022年12月25日夜、ベランダから写した比叡山麓の夜景。雪曇の切れたわずかな晴れ間に星々が美しく輝いています。

今年もクリスマスの夜を迎えました。クリスマスおめでとうございます。今年もクリスマスの宵を共に過ごすことのできなかった方々に平安な一夜の幸をお祈りします。

 

ながき道を ひとりあるきて

罪多き 過ぎし日よ

すくいぬしの み声を聞きて

こころうごき  わき立ちぬ   (讃美歌Ⅱ-140)

 

 

Präludium Und Fuge in E-Moll (Bwv 548)

詩篇第百三篇註解 - 海と空 https://is.gd/hr0wXw 

 
 
 
 
 
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ヘーゲル『哲学入門』目次1

2022年12月14日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』目次1

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』目次2

2022年12月14日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』目次2

 
 
 
 
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ヘーゲル『哲学入門』目次3

2022年12月14日 | ヘーゲル『哲学入門』
 
 

ヘーゲル『哲学入門』目次3

 

 
 
 
 
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ヘーゲル『哲学入門』目次4

2022年12月14日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』目次4

 
 

 

 
 
 
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ヘーゲル『哲学入門』目次5

2022年12月14日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』目次5

 

 
 
 
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ヘーゲル『哲学入門』目次6

2022年12月14日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』目次6

 
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ヘーゲル『哲学入門』目次7

2022年12月14日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』目次7

 

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第七十節[礼節について]

2022年12月13日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第七十節[礼節について]

§70

Die Höflichkeit (※1)ist die Bezeugung von wohlwollenden Gesin­nungen, auch von Dienstleistungen, vornehmlich gegen solche, mit denen wir noch nicht in einem näheren Verhältnisse der Bekanntschaft oder Freundschaft stehen. Sie ist Falschheit, wenn diese Bezeugung mit den entgegengesetzten Gesinnungen ver­bunden ist. Die wahre Höflichkeit aber ist als Pflicht anzusehen, (※2)weil wir wohlwollende Gesinnungen gegen einander überhaupt haben sollen, um durch Bezeugung derselben den Weg zu nähe­ren Verbindungen mit ihnen zu öffnen.

第七十節[礼節について]

礼節 とは善意の心の、またとくに、いまだ知人や友情といった親しい関係にない人に対して尽くそうとする気持ちの表れである。もし、この態度がそれとは反対の心情と結びついているのなら、それは 偽善 である。しかし、本当の礼節は義務と見なされなければならない。というのも、私たちが一般的に思いやりの気持ちをおたがいにもたなければならないのは、善意の心情を表すことによってたがいにより親密な結びつきへと道を開くためである。

(Einen Dienst, eine Ge­fälligkeit, etwas Angenehmes einem Fremden erweisen, ist Höf­lichkeit. Dasselbe aber sollen wir auch einem Bekannten oder freunde erweisen. Gegen Fremde und solche, mit denen wir nicht in näherer Verbindung stehen, ist es um den Schein des Wohlwollens und um nichts als diesen Schein zu tun. Feinheit, Delikatesse ist, nichts zu tun oder zu sagen, was nicht das Ver­hältnis erlaubt. — Griechische Humanität und Urbanität bei Sokrates und Plato.)(※3)

(見知らぬ人のために骨折ったり、好意を示したり、何か喜ばしいことを行うのは礼節である。しかし、知人や友人にも同じことを私たちはしなければならない。見知らぬ人や、そして、私たちが親しい関係にないこうした人に対しては、善意の外見が大切であって、この外見より大切なことはなにもない。優雅さ、上品さとは、他者との関係で許されてもいないことを、行ったり言ったりしないことである。─ ソクラテスとプラトンに見られるギリシャ的な人間性と雅やかさ。)

 

※1
die Höflichkeit
好意、親切、礼儀、慇懃、礼儀作法、礼節、愛想、丁寧さ、思いやり、当たり障りのない、いたわり、礼儀正しさ ── などの訳語が思い浮かぶが、「礼節」と訳した。
こなれた日本語としては「思いやり」があるが、それでは外への現れ、外見の面がはっきりしない。

die wohlwollenden  Gesin­nungen  善意の心情
wohlwollenden
慈悲の、善意の、哀れみの、情なさけ、思いやりの
Gesin­nungen
心情、節操、信条、心根
「die wohlwollenden  Gesin­nungen 思いやり 」は内心で、それが態度に、外に現れたものが「die Höflichkeit 礼節」である。

※2
Die wahre Höflichkeit aber ist als Pflicht anzusehen,
本当の礼節は義務と見なされねばならない。

ソクラテスやプラトンの生きた古代ギリシャ世界における人々の人間関係は、平安貴族社会のように雅びやかなものであったのかもしれない。この礼節の外見が大切である。

※3
本節第七十節でもって、Ⅳ.他者への義務、 および「第二章 義務論、もしくは道徳論」は終わる。
他者との関係において、私たちが関与する権利も義務もないときには、すべて他人の自由に任せ、善意の心情と礼節をもって接すればたりるとしている。
義務論としては  Ⅰ 自己に対する義務、Ⅱ 家族への義務、Ⅲ 国家への義務、Ⅳ 他者への義務、として論じられた。つづいて第二章 宗教論 へと進む。
「道徳」や「倫理」に対するさらに詳し考察はもちろん『法の哲学』にまたなければならない。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第七十節[礼節について]

2022年12月13日 | ヘーゲル『哲学入門』

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第七十節[礼節について]

§70

Die Höflichkeit (※1)ist die Bezeugung von wohlwollenden Gesin­nungen, auch von Dienstleistungen, vornehmlich gegen solche, mit denen wir noch nicht in einem näheren Verhältnisse der Bekanntschaft oder Freundschaft stehen. Sie ist Falschheit,  wenn diese Bezeugung mit den entgegengesetzten Gesinnungen ver­bunden ist. Die wahre Höflichkeit aber ist als Pflicht anzusehen, (※2)weil wir wohlwollende Gesinnungen gegen einander überhaupt haben sollen, um durch Bezeugung derselben den Weg zu nähe­ren Verbindungen mit ihnen zu öffnen.

第七十節[礼節について]

礼節 とは善意の心の、またとくに、いまだ知人や友情といった親しい関係にない人に対して尽くそうとする気持ちの表れである。もし、この態度がそれとは反対の心情と結びついているのなら、それは 偽善  である。しかし、本当の礼節は義務と見なされなければならない。というのも、私たちが一般的に思いやりの気持ちをおたがいにもたなければならないのは、善意の心情を表すことによってたがいにより親密な結びつきへと道を開くためである。

(Einen Dienst, eine Ge­fälligkeit, etwas Angenehmes einem Fremden erweisen, ist Höf­lichkeit. Dasselbe aber sollen wir auch einem Bekannten oder freunde erweisen. Gegen Fremde und solche, mit denen wir nicht in näherer Verbindung stehen, ist es um den Schein des Wohlwollens und um nichts als diesen Schein zu tun. Feinheit, Delikatesse ist, nichts zu tun oder zu sagen, was nicht das Ver­hältnis erlaubt. — Griechische Humanität und Urbanität bei Sokrates und Plato.)(※3)

(見知らぬ人のために骨折ったり、好意を示したり、何か喜ばしいことを行うのは礼節である。しかし、知人や友人にも同じことを私たちはしなければならない。見知らぬ人や、そして、私たちが親しい関係にないこうした人に対しては、善意の外見が大切であって、この外見より大切なことはなにもない。優雅さ、上品さとは、他者との関係で許されてもいないことを、行ったり言ったりしないことである。─ ソクラテスとプラトンに見られるギリシャ的な人間性と雅やかさ。)

 

※1
die Höflichkeit
好意、親切、礼儀、慇懃、礼儀作法、礼節、愛想、丁寧さ、思いやり、当たり障りのない、いたわり、礼儀正しさ ── などの訳語が思い浮かぶが、「礼節」と訳した。
こなれた日本語としては「思いやり」があるが、それでは外への現れ、外見の面がはっきりしない。

die wohlwollenden  Gesin­nungen  善意の心情
wohlwollenden
慈悲の、善意の、哀れみの、情なさけ、思いやりの
Gesin­nungen
心情、節操、信条、心根
「die wohlwollenden  Gesin­nungen  思いやり」は内心で、それが態度に、外に現れたものが「die Höflichkeit 礼節 」である。

※2
Die wahre Höflichkeit aber ist als Pflicht anzusehen,
本当の礼節は義務と見なされねばならない。

ソクラテスやプラトンの生きた古代ギリシャ世界における人々の人間関係は、平安貴族社会のように雅びやかなものであったのかもしれない。この礼節の外見が大切である。

※3
本節第七十節でもって、Ⅳ.他者への義務、 および「第二章 義務論、もしくは道徳論」は終わる。
他者との関係において、私たちが関与する権利も義務もないときには、すべて他人の自由に任せ、善意の心情と礼節をもって接すればたりるとしている。
義務論としては Ⅰ 自己に対する義務、Ⅱ 家族への義務、Ⅲ 国家への義務、Ⅳ 他者への義務、として論じられた。つづいて第三章 宗教論 へと進む。
「道徳」や「倫理」に対するさらに詳しい考察はもちろん『法の哲学』にまたなければならない。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十九節[他者の好意を得ること]

2022年12月06日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十九節[他者の好意を得ること]

§69

Insofern der eigene Nutzen nicht unmittelbar im moralischen Betragen liegt und von dem besonderen, im Ganzen zufälligen Wohlwollen Anderer abhängt, so befindet man sich hier in der Sphäre der bloßen Zuneigungen (※1)zu einander und die Klugheit besteht darin, die Neigungen der Anderen nicht zu verletzen und sie für sich zu erhalten.

第六十九節[他者の好意を得ること]

自己の利益は、道徳的な行為に直接的にあるのではなく、むしろ他者のさまざまな、全体として偶然の善意に依存するものだから、ここではお互いにいわゆる好意の及ぶところに我々は身を置くべきであるし、他者の気分を損なわず、かつ他者の気持ちを自分の方に振り向けるところに知恵もある。

Aber auch in dieser Rücksicht ist das, was Nutzen bringt, eigentlich auch dasjenige, was sich an und für sich gehört, nämlich Andere darüber frei zu lassen, wo wir weder Pflicht noch Recht haben, sie zu stören, und durch unser Betragen ihre Zuneigung zu gewinnen.(※2)

しかし、またこの反省において明らかになったことは、また利益をもたらすものは本来的に自分しだいだということ、そのことである。すなわち、私たちが他人を妨害する義務も権利ももたないところでは他人の自由に任せて、私たちの行動によって彼らの好意を手に入れることである。

 

※1

in der Sphäre der bloßen Zuneigungen いわゆる好意の及ぶところに

bloß 単なる、むき出しの せめて〜だけ

※2

自分の利益を手に入れることが、分別心の目的とするところであること、そして、それは自身の倫理的な行為によって、つまり自身の他人に対する行為によって、かつまた、それが目的ではなく結果として手に入れることのできるものであること、このことが前節の考察において本質的に経験的に明らかにされた。

本節ではさらに、したがって私たちの権利も義務もないところでは、他人の自由に任せて、彼らの好意を手に入れるようにしなければならないこと、私たちの利益は、他人に対する私たち自身の行為、態度しだいであることが明らかにされる。
ここにも明らかなように、ヘーゲル哲学は世情にも通じた、一面において世俗的な哲学でもある。

 

 

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