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夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

憲法裁判所の条項を削除する

2025年07月17日 | 国家論

 

憲法裁判所の条項を削除する

 

先に提起した【令和日本国憲法草案】の第四章第九条、「(憲法裁判所)憲法秩序を守るため、憲法裁判所を設置し、違憲立法・行政措置を審査する。」
の条項を削除しました。

理由は、民主的な選出を十分に保障されない憲法裁判所の裁判官よる憲法判断の専制を防ぐためです。一方で「憲法裁判所」をいかにして「理性的な組織、制度」たらしめるかについて、いまのところ決定案がないからです。
裁判官の任命・人事制度に国会関与や国民審査を強化し、司法の透明性を高めながら、最高裁に 違憲立法審査権を付与して、判例の蓄積によって憲法秩序を守るようにしていく方がいいと思います。

【令和日本国憲法草案4】


【前文】

日本国民は、悠久の歴史と文化に根ざす共同体の一員として、天皇を国家統合の実体的存在と仰ぎつつ、国民一人一人の自由と尊厳、伝統と創造の調和を重んじ、自由で責任ある民主国家として、内に道義と秩序を保ち、外に独立と平和を全うする国家を建設することを宣言する。


【第1章 天皇】

第1条(国体の継承)
日本国は、万世一系の天皇を戴く国家である。天皇は日本国の元首であり、国家統合の中核的権威として尊崇される。
第2条(統治機能と象徴機能の調和)
天皇は、国の儀礼と象徴的行為を司るとともに、国家的危機においては議会と内閣の要請により特別に国家再統合の宣言を行うことができる。

【第2章 国民と共同体】

第3条(国民の義務と権利)
国民は、自由と権利を有するとともに、国家と共同体への奉仕、教育、納税、防衛の義務を負う。
第4条(家族・地域共同体の尊重)
国と地方自治体は、家族、地域社会、伝統文化を保護・支援する責務を負う。

【第3章 安全保障】

第5条(自衛の権利)
日本国は、国際平和を希求するが、独立国家として、侵略を防ぎ、国民を保護するための自衛権を保持する。
第6条(防衛軍の設置)
国会の承認により、日本国防軍を設置する。国防軍は専守防衛を基本としつつ、有事には国際法に基づき行動する。
第7条(非常事態条項)
国家の存亡に関わる緊急事態に際し、内閣は国会の承認のもとで一時的に法令を制定・停止する権限を持つ。

【第4章 統治機構】

第8条(三権の調和)
立法、行政、司法は分立しつつ、天皇の権威の下、国家目標の実現のために協働する。
第9条(削除)(憲法裁判所)
憲法秩序を守るため、憲法裁判所を設置し、違憲立法・行政措置を審査する。

【第5章 教育・文化】

第10条(国民精神の涵養)
国家は、公共の精神、道徳、歴史、文化への敬意を育成する教育を推進する。
第11条(大学・学術の独立)
学問の自由は保障されるが、国家・民族への責任を伴うものとする。

【第6章 憲法の護持と改正】

第12条(護憲義務)
すべての公務員は、本憲法の精神を尊重し、これを擁護する義務を負う。
第13条(改正の手続)
本憲法の改正は、国会の三分の二以上の賛成および国民投票の過半数によってなされる。
第14条(施行法の制定)本憲法に規定された国家機構、国民の権利義務、司法制度その他の統治機能の実施に関して必要な事項は、憲法施行法として別に法律で定める。これらの施行法は、本憲法の精神と条文に適合するものでなければならない。

 

 

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日本国憲法論メモノート1

2025年06月28日 | 国家論

日本国憲法論メモノート1

X(ツイッター)@soratineと@myenzyklo  に投稿したメモを、このブログの方にも記録しておきます。
昔のツイッターとブログのGOOとが連携できていた頃は、ツイッターに投稿した記事も自動的にブログにも保存できていたので便利でした。
Twitter が X に変わってから、確かに言論の検閲はなくなったかもしれないけれど、新しくX に変わってから多くの点で使い勝手が悪くなったようです。


樋口陽一氏の憲法学は、日本国憲法の「護憲」的解釈を強く支持し、特に 立憲主義 と 憲法の平和主義 に重点を置いています。そのため、日本国をイギリスやアメリカ、イスラエルのような普通の主権国家へ改革する際の大きな障害となる点がいくつかあります。


樋口陽一氏の憲法解釈においては 「立憲主義=国家権力の制限」 という視点が強調されるため、国家が自己防衛のために持つべき 「積極的主権」(軍事的・経済的な主権行使)が制約される方向に議論が進みます。その結果、国家が 自律自律的に外交・防衛政策を決定する能力 を持つことが否定されます。


普通の主権国家は、自国の防衛や外交政策を自律的に決定する権限を持ちます。しかし樋口憲法学の枠組みでは、国家主権を制限すること自体が「立憲的」だと正当化されています。日本国の独立国家としての正当な国家主権の行使さえ制限され、日本国の主体性を回復する上での大きな障害となっています。


樋口憲法学では 憲法9条の平和主義 を絶対視し、憲法改正や防衛力強化に対して否定的な立場を取っています。 彼は日本国憲法9条を、「戦後日本の根本原理」 と捉え、軍事力を国家主権の不可欠な要素として位置づけることに強く反対しています。
そのため、自衛隊の存在や集団的自衛権の行使についても、極めて消極的であり、憲法改正論議に対しては基本的に「護憲」の立場から反対しています。


現実には、イギリス・アメリカ・イスラエルのような国家は、すべて強固な軍事力を持ち、それを国家主権の基礎としています。しかし、樋口氏の憲法解釈では、日本は「武力を放棄すること」が憲法の本質とするために、日本国の普通の主権国家としての在り方を否定することにつながっています。


もし、日本が普通の主権国家としての性格を取り戻すのであれば、安全保障政策を憲法の制約から解放し、国際環境に適応する形での国家戦略を立案できるようにすることが不可欠ですが、 しかし、樋口憲法学の枠組みでは、憲法の理念が優先され、国家の生存戦略が二の次にされてしまっています。

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三人の国家観

2025年05月28日 | 国家論

 

三人の国家観


丸山眞男の国家観: 

⑴ 丸山における国家とは、自律的自我が制度的に共存・対話する空間である。戦前の国体国家における「国家による人格吸収」を批判し、国家とは個人の自由と責任によって支えられる制度的枠組みであるとした。
⑵ 個人は国家の中に没入すべきではなく、制度を通じて批判的・公共的関与を行うべきである。ここには「理念としての国家」や「宗教的正統性としての国家」は存在しない。

西田幾多郎の国家観:

⑴ 西田は『国家と宗教』(1941)において、国家とは歴史的世界の自己表現であり、宗教的統一を内包する理念的全体であると論じた。彼の「場所の論理」においては、個人と国家は外在的な関係ではなく、絶対的一者の場所における自己相即的関係にある。
⑵ 国家は「永遠の今」における倫理的自己形成の場であり、個人はそのなかで歴史的使命を果たす存在である。つまり国家は倫理的・宗教的・歴史的理念としての現存在である。

和辻哲郎の国家観:

⑴ 和辻は『倫理学』『人間の学としての倫理学』において、人間は「間柄的存在(betweenness)」であり、国家はその最も具体的かつ歴史的な形態であると説いた。
⑵ 特に『国体の本質』(1940)では、国体とは抽象的理念や法的構成ではなく、伝統・文化・宗教を通じて形成された倫理的実体であり、国民と国家は切り離せない「倫理的一体」として存在する。 国家は理念であると同時に、生きられた歴史・文化の身体でもある。

 

 

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玉木雄一郎氏の国家観──山尾志桜里氏の参議院選挙擁立をめぐって

2025年05月19日 | 国家論

 

玉木雄一郎氏の国家観──山尾志桜里氏の参議院選挙擁立をめぐって
──制度国家(Staatsmaschine)と理念国家(Ideenstaat)

 

最近になって国民民主党の玉木雄一郎党首が、山尾志桜里氏を来るべき参議院選挙の候補者に擁立したことで、とくに男系男子の皇統を守ろうとする伝統的な国家観を確信する「保守層」から反発の声が上がっているようです。

山尾志桜里氏はさる15日にも、ご自身のSNSに、「女系天皇の議論を避けつつ、女系天皇の選択肢を排除する進め方は間違っている」と投稿したことで、玉木雄一郎代表から注意を受けたそうです。

山尾志桜里氏は、過去にも女系天皇容認の立場を明確にしており、いわば「歴史的皇位継承の本質を制度化された差別と見なす立場」に立つ政治家です。それはグローバルな人権思想とも接続する「リベラル国家観」に根差した発言です。

しかし、男系男子による皇位継承の問題は、単なる制度論やジェンダー問題ではなく、国家の連続性とその神話的・歴史的正統性(ヘーゲルの言葉でいえば「国家理念」)にかかわる核心的な問題です。したがって、ここでの立場表明は、政治家の「国家の起源」や「国家の歴史的連続性」や「制度と国民精神との関係」についての基本的信念を明らかにするものです。

したがって、国民民主党が、山尾志桜里氏を擁立することで、「伝統国家」の守護を標榜する保守層の精神的な期待に添える政党ではないことが結果として明らかになったということです。この問題は単なる候補者選定の失策ではなくて、国民民主党の国家観そのものの曖昧性を示すものともいえます。

国民民主党は、これまで玉木氏の主導で「103万円の壁を今年から178万円を目指して引き上げること」とか「ガソリンの暫定税率を廃止すること」などの主張を掲げて実務的な政策を推進してきました。これらは国家の「制度のマネジメント」として重要であり、財務省の出身である玉木氏は、行政の合理的運営には優れた感覚と能力を持っているのかもしれません。

しかし、これらの政策は「制度のマネジメント」としては機能していても、その政策は「国家理念」を根拠にしておらず、それゆえに玉木氏は実務的な政策能力はとにかく、皇位継承のような理念的問題になると、軸がブレるか、曖昧にする傾向があります。玉木氏は、国家を単なる「政策運営の対象」と見ており、国家を歴史的に精神的に担う主体としての政治家としての自覚意識が弱いと思います。その結果、山尾志桜里氏の参議院選挙候補の擁立問題のように「国家理念の共通土台」を見誤るという政治的な直感力が欠けていることが明らかになったと言えます。

主観的には玉木氏は、選挙上の短期的な話題性や山尾氏の知名度に期待した可能性があります。しかし、山尾氏のもつ過去の政治的行動や急進的なリベラル言説などは、あきらかに保守層に強い不信感を抱かせる要因となっています。
むしろ、山尾氏のような有名人でなく無名の一般人であっても、保守層の理念を、たとえば皇位継承の正統性などに共感する姿勢を明確に持つ候補者であれば、逆に「希望の芽」として評価され得たかもしれません。この点において玉木氏の判断は、「国家観の整合性」よりも「短期的メディア効果」を優先するというという倒錯に陥った可能性が高いといえます。

日本国の国家理念の核心には、「歴史と断絶せず、文化とともに存続する象徴的共同体としての皇室」があり、この核心をどう扱うかは、政治家たちの「哲学」を問う試金石でもあります。玉木氏の選択は、その問いに対する十分な回答を示さなかったのみならず、保守層の信頼を毀損し、国家理念を軽視したと受け止められても仕方がないと言えます。

 

 

 

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今日は憲法記念日。

2025年05月03日 | 国家論

 

2025(令和7)年05月03日(土)晴れ。憲法記念日.

今日は憲法記念日。

今日は憲法記念日だそうです。ここ最近になって日本国憲法について触れた私の論考を再録しておきます。

現在の日本国で行われているような、「護憲・改憲論議」の現状では、今日の日本国に見られるような、国家の解体的な現象、政治家や国民の「漂流化」は防げないと思います。


こうした現象はいずれも「現行日本国憲法」の存在が日本の国家、国民に及ぼすところの論理的な帰結だと思います。

 

令和日本国憲法草案3

2025(令和7)年04月24日(木)晴れ。 #「令和日本国憲法草案」について2

  「令和日本国憲法草案」について2   ...

「令和日本国憲法草案」について

【令和日本国憲法草案2】

【令和日本国憲法草案】

拉致被害者の救済と日本の主権国家としての確立

赤尾秀一の思想研究

 

 

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令和日本国憲法草案3

2025年04月26日 | 国家論


令和日本国憲法草案3

憲法草案の第3条(国民の義務と権利)の項に、「国民は、人間としての尊厳を侵してはならない。」の一文を付け加えました。

 

【令和日本国憲法草案3】

【前文】

日本国民は、悠久の歴史と文化に根ざす共同体の一員として、天皇を国家統合の実体的存在と仰ぎつつ、国民一人一人の自由と尊厳、伝統と創造の調和を重んじ、自由で責任ある民主国家として、内に道義と秩序を保ち、外に独立と平和を全うする国家を建設することを宣言する。


【第1章 天皇】

第1条(国体の継承)

日本国は、万世一系の天皇を戴く国家である。天皇は日本国の元首であり、国家統合の中核的権威として尊崇される。
第2条(統治機能と象徴機能の調和)
天皇は、国の儀礼と象徴的行為を司るとともに、国家的危機においては議会と内閣の要請により特別に国家再統合の宣言を行うことができる。

【第2章 国民と共同体】

第3条(国民の義務と権利)
国民は、人間としての尊厳を侵してはならない。また、国民は自由と権利を有するとともに、国家と共同体への奉仕、教育、納税、防衛の義務を負う。
第4条(家族・地域共同体の尊重)
国と地方自治体は、家族、地域社会、伝統文化を保護・支援する責務を負う。

【第3章 安全保障】

第5条(自衛の権利)
日本国は、国際平和を希求するが、独立国家として、侵略を防ぎ、国民を保護するための自衛権を保持する。
第6条(防衛軍の設置)
国会の承認により、日本国防軍を設置する。国防軍は専守防衛を基本としつつ、有事には国際法に基づき行動する。
第7条(非常事態条項)
国家の存亡に関わる緊急事態に際し、内閣は国会の承認のもとで一時的に法令を制定・停止する権限を持つ。

【第4章 統治機構】

第8条(三権の調和)
立法、行政、司法は分立しつつ、天皇の権威の下、国家目標の実現のために協働する。
第9条(憲法裁判所)
憲法秩序を守るため、憲法裁判所を設置し、違憲立法・行政措置を審査する。

【第5章 教育・文化】

第10条(国民精神の涵養)
国家は、公共の精神、道徳、歴史、文化への敬意を育成する教育を推進する。
第11条(大学・学術の独立)
学問の自由は保障されるが、国家・民族への責任を伴うものとする。

【第6章 憲法の護持と改正】

第12条(護憲義務)
すべての公務員は、本憲法の精神を尊重し、これを擁護する義務を負う。
第13条(改正の手続)
本憲法の改正は、国会の三分の二以上の賛成および国民投票の過半数によってなされる。
第14条(施行法の制定)本憲法に規定された国家機構、国民の権利義務、司法制度その他の統治機能の実施に関して必要な事項は、憲法施行法として別に法律で定める。これらの施行法は、本憲法の精神と条文に適合するものでなければならない。

 

 

 

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2025(令和7)年04月24日(木)晴れ。 #「令和日本国憲法草案」について2

2025年04月25日 | 国家論

 

2025(令和7)年04月24日(木)晴れ。#「令和日本国憲法草案」について2

 

昨日ブログに公開した「令和日本国憲法草案」は基本的には、明治の大日本帝国憲法下の日本を「テーゼ」、そして、戦後の現行日本国憲法下の日本を「アンチテーゼ」として捉え、いわば、正(テーゼ)ー→ 反(アンチテーゼ)ー→ 合(ジンテーゼ)という認識論、発展論を踏まえて合(ジンテーゼ)として「令和日本国憲法草案」は構想されたものです。

ですから、戦後80年と一世紀にも及ばんとする現行日本国憲法下の日本で生まれ、そのもとで教育され生きてきた大多数の日本国民には、一見したところ懐古趣味がすぎると思われるかもしれません。

とはいえ、敗戦後のGHQ の統治下に制定された現行日本国憲法には、日本国の国家概念が、理念と言ってもいいかもしれませんが、十分に明確にはなっていないと思います。それが、政治家たちや日本国民自身のアデンティティー形成や日本国民の自己確立に深刻な影響をおよぼし、愛国心の歪みや無国籍人的性格の日本人の蔓延やスパイへの売国的もしくは融和的な態度として現象していると思います。また、それらが保守的な多くの一般日本国民の危機意識の根源にあるのではないでしょうか。

そうした現象について、枝葉末節のモグラ叩き的な対応ではなくて、根本的な原因である現行憲法の欠陥への批判と、その改正にまで遡って根本からの改革は可能だろうか、私なりにその方策を模索したものでもあります。もちろん、その根本に共通した問題意識がない場合は、おそらく議論にはならないだろうと思います。

この「令和日本国憲法草案」はまだきわめて粗い試案に過ぎませんが、この改正草案の意図するその根本については洞察していただきたいと思います。

こうした憲法改正論議を通してさらに、自分とは何であるのか、日本人とは何であるのか、歴史と伝統の上に立つ日本国とはどのようなものであるのかなど、みずからの自己意識と国家意識をさらに深めていければいいと思います。

 

 

 

 
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「令和日本国憲法草案」について2

2025年04月24日 | 国家論

 

「令和日本国憲法草案」について2

 

※まず、「令和日本国憲法草案」に目を通してみてください。

 

【令和日本国憲法草案2】 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/76WnJq

その上で、感想、ご批判などをコメント欄にでもいただければさいわいです、


明治憲法以来、日本は成文憲法を中心に法秩序を築いてきました。条文の体系化、法典整備、形式的正統性の尊重は、確かに近代国家の形成において有効に機能しました。しかし、この成文という形式性は、ときに現実の文化・歴史・伝統との乖離を生み、制度の柔軟性と有機性を損なう要因ともなりました。
こうした背景から、先に、提示した「令和日本国憲法草案」は、成文法的な体系を維持しつつも、英国型の不文憲法に見られる運用性の柔軟さや伝統との親和性、さらには伝統的な生活根拠との結合を模索しようとしたものです。


英国における法秩序は、「憲法典」を持ってはいませんが、判例や慣習、制度的伝統などによって支えられています。その柔軟性は、例えば王室と議会、判例と政治慣行、政党制度と慣例などとの調和に顕著であり、書かれたルールに縛られない通融性のある「国家の連続性」と「文化の適応力」を維持してきました。
「令和日本国憲法草案」は、日本においてもこのような「不文的な法制度の柔軟性」を部分的に導入することにより、伝統文化と現代の制度とのあいだの離反や距離を少しでも埋めようという目的をもっています。


「令和日本国憲法草案」の大きな特徴は、成文憲法としての理念的な骨格と、その理念を具体的に展開する「憲法施行法」の制度的な設計との二層構造です。これは、憲法においては抽象的な理念の定式化にとどめ、その具体的な運用や社会制度の設計に関しては、時代・慣習・文化に即した法律によって柔軟に対応する余地をもたせようとしたものです。
この点において、「憲法=理念」「憲法施行法=制度・慣行」という区分は、まさに英米法的な「コモンローと慣習 common law and convention」の思想を日本的に翻案しようとしたものです。


現行日本国憲法の抽象的な「個人主義」は、しばしば伝統的な家族制度や地域共同体との緊張をはらみがちです。「令和日本国憲法草案」は、個人の自由を否定することなく、その自由の前提としての「共同体的基盤」の価値を再発見し、それを制度的に保護し、あるいは再構成しようとするものです。
たとえば、家族に関する規定においては、個人の尊厳と親族的な連帯との調和が求められ、地域においては「市民社会」としての公共性の回復が意図されています。これはいわばヘーゲル的な「人倫(Sittlichkeit)」の回復へと通じるものです。


日本の近代化の過程において、宗教や伝統的慣習は「私的領域」に閉じ込められ、制度的な保護の対象外とされてきました。しかし、精神的で伝統的な共同性は国家の統合原理の一部でもあります。「令和日本国憲法草案」は、これらを「文化的な公共財」として明確に保護し、制度的な承認の枠組みを与えようとするものです。
そのためには、「国家宗教」ではなく、「民族的文化的遺産」としての宗教・儀礼・慣習を、国家が支援する新たな法的な枠組みが求められます。これは「信教の自由」ともちろん矛盾するものではありません。むしろ文化の多様性とその尊厳の尊重を目的とするものです。


「令和日本国憲法草案」の本質は、「理念としての国家(Staat als Idee)」の回復にあります。理念国家とは、もちろん単なる制度の集合体ではなく、文化・伝統・宗教・人倫を制度的に媒介しながら、国民の自己意識を形成するその実体でもあります。ここにおいて、成文憲法の硬直性を超えていくために、不文的な慣習や文化的な実践を「理念国家の現実的な契機」として認識し、それを制度化していくものです。


日本は、明治以来の法典主義を経て、とくに戦後憲法下において今日では国家理念の抽象化と伝統的な民族的な宗教・儀礼・慣習などの制度との乖離がいっそう深刻化しています。「令和日本国憲法草案」は、成文憲法の枠内において不文法的な運用を可能にし、柔軟かつ理念的な国家の再編を目指すものです。
この構想は、単なる制度改革にとどまらず、「文化の自己再生」と「国家の自己意識の再編」をも伴った根源的な国家哲学の刷新を含んでいます。それはまさに、ヘーゲルが『法の哲学』において語った「現実的な理念としての国家」の、 21世紀日本における現代的な再構成の試みでもあります。

 

「令和日本国憲法草案」について1 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/sauO8A

 

 

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「令和日本国憲法草案」について

2025年04月01日 | 国家論

 

「令和日本国憲法草案」について

 

先に私は日本の憲法改正論議に一石を投じるために、「令和日本国憲法草案」を提示しました。あまり多くの人の注目も引かなかったようですが、そこで私が提起した問題は、現代の日本のおける憲法論議に、英国のような不文憲法の可能性はないか、もしないとすれば、次善の方策としてどのような憲法が可能か、また不文憲法に代わる成文憲法の可能性としては、どういうものがあり得るかということです。

現在の日本における憲法論議も、護憲か「現行憲法の改正」かといった二項対立的な議論に集約されてしまって、肝心の憲法が表現すべき国家理念とは何か、といった議論はきわめて不足しているし、その内容においてもきわめて貧弱だと思います。

近代の国家においては、憲法とはただ制度的な規範のみではなく、国家の理念を、その自由や人権、伝統、文化、教育、さらに皇室における共同体的統合といった価値理念を形象化し、定式化したものであるべきです。しかし、現行の日本国憲法は、敗戦後のGHQの統治下において制定されたということもあって、個人の尊厳、民主主義、平和主義といった抽象的な、つまり非歴史的、非伝統的な理念については明確ですが、民族の歴史や固有の伝統文化、慣習などといった個別具体的な歴史的な伝統的な理念的要素は希薄です。

そしてまた、一つの憲法の中にさまざまな制度的な規範規定が盛り込まれているために、憲法の理念についての輪郭も明確でなくなっています。また、憲法の改正が柔軟にできないために、時代の変遷や変化に応じた国会議員の定数削減といった具体的な制度改正も困難になっています。

英国の不文憲法は、理念と制度が慣習的・経験的に融合している典型としてしばしば言及されます。英国は王権と議会の長い対立と均衡を経て、慣習法・判例法・政治倫理が憲法秩序を構成する国家を形成してきました。これに対し、日本は明治憲法成立以降、法典主義と成文憲法を基軸とした国家発展を遂げており、法秩序の安定を慣習や判例に委ねる基盤をもちません。

政治エリートの成熟とか、市民社会の自律、王権と議会の均衡といった英国の歴史的条件は、日本とはまったく異なっています。したがって、日本が英国のような不文憲法国家に転換しうる可能性は極めて低いです。しかし、英国の憲法精神──その柔軟性・伝統尊重・理念と制度の調和など──は今日の日本にとっても重要な示唆を与えるものです。

先に掲げた「令和日本国憲法案」は、成文憲法を基本としながら、英国型の柔軟性・理念尊重・伝統との調和という精神を、日本の成文憲法の枠組みの中で再構成する可能性を追求しようとするものです。そして、憲法においては国家の理念を簡素かつ明確に記述しつつ、制度の具体化についてはその下位法である「憲法施行(執行)法」に委ねるという構造を採用しています。それによって、いわば「成文憲法でありながら不文憲法的精神を宿す」という独自の憲法体制を新しい日本国憲法において追求しようとするものです。

 


【令和日本国憲法草案2】 - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/76WnJq

 

 

 

 
 

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【令和日本国憲法草案2】

2025年03月26日 | 国家論

 

先に提起した【令和日本国憲法草案】の第六章末尾に、第14条(施行法の制定)を付け加えました。

 

【令和日本国憲法草案2】


【前文】

日本国民は、悠久の歴史と文化に根ざす共同体の一員として、天皇を国家統合の実体的存在と仰ぎつつ、国民一人一人の自由と尊厳、伝統と創造の調和を重んじ、自由で責任ある民主国家として、内に道義と秩序を保ち、外に独立と平和を全うする国家を建設することを宣言する。


【第1章 天皇】

第1条(国体の継承)
日本国は、万世一系の天皇を戴く国家である。天皇は日本国の元首であり、国家統合の中核的権威として尊崇される。
第2条(統治機能と象徴機能の調和)
天皇は、国の儀礼と象徴的行為を司るとともに、国家的危機においては議会と内閣の要請により特別に国家再統合の宣言を行うことができる。

【第2章 国民と共同体】

第3条(国民の義務と権利)
国民は、自由と権利を有するとともに、国家と共同体への奉仕、教育、納税、防衛の義務を負う。
第4条(家族・地域共同体の尊重)
国と地方自治体は、家族、地域社会、伝統文化を保護・支援する責務を負う。

【第3章 安全保障】

第5条(自衛の権利)
日本国は、国際平和を希求するが、独立国家として、侵略を防ぎ、国民を保護するための自衛権を保持する。
第6条(防衛軍の設置)
国会の承認により、日本国防軍を設置する。国防軍は専守防衛を基本としつつ、有事には国際法に基づき行動する。
第7条(非常事態条項)
国家の存亡に関わる緊急事態に際し、内閣は国会の承認のもとで一時的に法令を制定・停止する権限を持つ。

【第4章 統治機構】

第8条(三権の調和)
立法、行政、司法は分立しつつ、天皇の権威の下、国家目標の実現のために協働する。
第9条(憲法裁判所)
憲法秩序を守るため、憲法裁判所を設置し、違憲立法・行政措置を審査する。

【第5章 教育・文化】

第10条(国民精神の涵養)
国家は、公共の精神、道徳、歴史、文化への敬意を育成する教育を推進する。
第11条(大学・学術の独立)
学問の自由は保障されるが、国家・民族への責任を伴うものとする。

【第6章 憲法の護持と改正】

第12条(護憲義務)
すべての公務員は、本憲法の精神を尊重し、これを擁護する義務を負う。
第13条(改正の手続)
本憲法の改正は、国会の三分の二以上の賛成および国民投票の過半数によってなされる。
第14条(施行法の制定)本憲法に規定された国家機構、国民の権利義務、司法制度その他の統治機能の実施に関して必要な事項は、憲法施行法として別に法律で定める。これらの施行法は、本憲法の精神と条文に適合するものでなければならない。

 

 

 

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【令和日本国憲法草案】

2025年03月22日 | 国家論

 

これまでヘーゲル哲学の研究者としての立場から、とくにその「法の哲学」の立場から、戦後GHQによって制定された現行日本国憲法や、護憲論者である樋口陽一氏らの憲法観、国家観に疑義を呈し、また批判してきました。

ここにあらためて、「法の哲学」の立場を踏まえた「令和改正憲法草案」の骨格を提示して、そして、それを踏み台にして、さらにより良き憲法改正ができるように、微力ながらもこれからも提案していきたいと思います。

日本国民が総力をあげて、こうした憲法草案に対する批判や提言など議論をつみかさね、さらにより多くの人が議論に参加することで、より良き憲法改正につなげていければと思います。そうして現在、中南米のバナナ国家並みに劣化した日本国の政治や経済、文化状況の行き詰まりを打開していかなければなりません。

 

【令和日本国憲法草案】

【前文】

日本国民は、悠久の歴史と文化に根ざす共同体の一員として、天皇を国家統合の実体的存在と仰ぎつつ、国民一人一人の自由と尊厳、伝統と創造の調和を重んじ、自由で責任ある民主国家として、内に道義と秩序を保ち、外に独立と平和を全うする国家を建設することを宣言する。

【第1章 天皇】

第1条(国体の継承)
日本国は、万世一系の天皇を戴く国家である。天皇は日本国の元首であり、国家統合の中核的権威として尊崇される。

第2条(統治機能と象徴機能の調和)
天皇は、国の儀礼と象徴的行為を司るとともに、国家的危機においては議会と内閣の要請により特別に国家再統合の宣言を行うことができる。

【第2章 国民と共同体】

第3条(国民の義務と権利)
国民は、自由と権利を有するとともに、国家と共同体への奉仕、教育、納税、防衛の義務を負う。

第4条(家族・地域共同体の尊重)
国と地方自治体は、家族、地域社会、伝統文化を保護・支援する責務を負う。

【第3章 安全保障】

第5条(自衛の権利)
日本国は、国際平和を希求するが、独立国家として、侵略を防ぎ、国民を保護するための自衛権を保持する。

第6条(防衛軍の設置)
国会の承認により、日本国防軍を設置する。国防軍は専守防衛を基本としつつ、有事には国際法に基づき行動する。

第7条(非常事態条項)
国家の存亡に関わる緊急事態に際し、内閣は国会の承認のもとで一時的に法令を制定・停止する権限を持つ。

【第4章 統治機構】

第8条(三権の調和)
立法、行政、司法は分立しつつ、天皇の権威の下、国家目標の実現のために協働する。

第9条(憲法裁判所)
憲法秩序を守るため、憲法裁判所を設置し、違憲立法・行政措置を審査する。

【第5章 教育・文化】

第10条(国民精神の涵養)
国家は、公共の精神、道徳、歴史、文化への敬意を育成する教育を推進する。

第11条(大学・学術の独立)
学問の自由は保障されるが、国家・民族への責任を伴うものとする。

【第6章 憲法の護持と改正】

第12条(護憲義務)
すべての公務員は、本憲法の精神を尊重し、これを擁護する義務を負う。

第13条(改正の手続)
本憲法の改正は、国会の三分の二以上の賛成および国民投票の過半数によってなされる。

 

※追記

憲法や国家のありかたなどについて興味や関心、問題意識をおもちの方があれば(皇室の存在に否定的な考えをおもちの方も含めて)、上記の【令和日本国憲法草案】に対する批判、批評などがあればをコメント欄でもお知らせください。よりよき憲法改正をめざして、日本の憲法問題についても考察を深めていきましょう。

 

 

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拉致被害者の救済と日本の主権国家としての確立

2025年02月25日 | 国家論


拉致被害者の救済と日本の主権国家としての確立

去る2月15日に、北朝鮮によって拉致された有本恵子さんのお父さん、有本明弘さんが87歳でお亡くなりになったそうです。有本恵子さんの拉致が確認されてから、すでに20数年になります。

たしかに日本政府は長年にわたり、北朝鮮による拉致問題の解決に取り組んできた、と一応は言えるかもしれません。しかしながら、いまだに多くの拉致被害者が帰国できていない現状は、現在の日本国が真に主権国家として機能しているのかという根本的な疑問を投げかけています。

国家の第一義的な責務は国民の生命と安全を守ることであるにもかかわらず、この課題において日本国はいまだ決定的な成果を上げられず、責任を果たせないままです。日本はなぜ拉致被害者たちを救済できないでいるのか、その原因は何か、主権国家としての欠陥はどこにあるのか。横田めぐみさんのお母さん、横田早紀江さんの当然の願いをなぜ叶えてあげられないのか。

1. 拉致問題の本質と国家の責務

拉致問題は単なる外交問題ではなく、日本国民の基本的人権と国家主権に関わる重大な問題です。国際法上も、自国民が他国により不当に連れ去られた場合には、国家はその救出と保護のために全力を尽くす義務を負います。しかし、日本政府の対応は一貫して慎重かつ受動的なものであり、国際社会への働きかけや交渉が主軸になっています。

イスラエルの例を挙げて比較してみるとよくわかります。イスラエルは自国民が敵勢力に拉致された場合には、軍事作戦を含むあらゆる手段を駆使して救出を試みます。これに対し、日本は外交努力に頼りすぎて、長期に実効的な救出策を講じてきませんでした。イスラエルと日本のこの違いは、国家としての主権意識と対する国民保護の責任感の違いにあります。

2. 日本国の主権国家としての欠陥

日本が拉致被害者救済において効果的な行動を取れない背景には、いくつかの構造的な要因があります。
一つは憲法上の制約です。日本国憲法第9条において、戦力の保持と交戦権を否定しており、これが自国民救出のために必要な積極的な行動を阻害しています。特殊部隊による救出作戦の選択肢など、事実上まったく排除されています。だから政府は交渉と外交圧力に依存するしかありません。これでは、拉致問題の解決は百年河清を俟つようなものです。

さらに国民意識の問題があります。日本は日本国憲法第9条のために、自国の安全を日米安全保障条約に頼らざるを得ず、その結果として、日本では、安全保障に対する国民の関心も低く、拉致問題も「外交問題」としてのみ認識されがちです。国民の間に「国家が主権を行使し、国民を守る」という意識も十分に確立されていません。そのことが政府の消極的な対応を助長することになっています。

また、その結果として、拉致問題の解決を、米国を中心とする国際社会への働きかけを重視して取り組んでいます。しかし、現在のトランプ大統領のアメリカ・ファースト政策に見られるように、国際社会は必ずしも日本の利益を最優先にすることはありません。とくに米中朝露の国際関係の成り行き次第で、蚊帳の外に置かれることになります。

3. 主権国家としての改革の必要性

日本が真に主権国家として機能し、拉致被害者を救出するためには、以下のような改革が求められると思います。
まず第一に憲法改正と法の整備です。憲法9条の改正を含め、国民保護のための法的枠組みを整える必要があります。特に、自衛隊が国外での救出作戦を実施できるような制度の確立が不可欠です。

それにちなんで国家安全保障体制の強化も必要です。防衛力の強化とともに、情報機関の充実が求められます。イスラエルのモサドのような組織を設立し、拉致被害者の所在情報を正確に把握する体制も構築しなければなりません。

そうした政策を講じながら、国民意識を改革していくことが必要です。拉致問題は単なる外交問題ではなく、「国家と国民の主権に関わる問題」ですから、日本国民の国家意識の深化をはかるための啓発活動や教育が必要です。そうして、「国家が国民を守るという共通意識」を社会全体で徹底して共有することが、政府の積極的な行動を後押しすることになります。

4. 拉致問題解決への具体的戦略

1. 経済制裁の強化: 北朝鮮に対する独自の制裁を強化し、交渉の圧力を増大させていくことです。最近は経済制裁の強化という問題意識もすっかり失われています。

2. 国際連携の深化: 米国、韓国、欧州諸国と連携し、拉致問題を国際社会の主要議題としてあらゆる機会に提起し続けることです。

3. 軍事的抑止力の向上: 救出作戦の可能性を追求し、その態勢を整え、拉致被害者を救済することのできるだけの実行力を確保していくことです。その実力的な背景があってこそ、外交的な成果もあげることができます。

結論

要するに、日本が主権国家として、拉致問題の解決に向けた責務を果たすためには、上記のような抜本的な改革が不可欠です。憲法上の制約、国民意識の低さ、国際社会への過度な依存といった問題を克服して、自国民の安全と尊厳を守ることのできる国家へと変革していく必要があります。

拉致問題の解決は決して単なる外交的課題ではなくて、むしろ、日本が真に独立した国家として機能するかどうかを問う試金石です。日本国民は主権回復を目指し、拉致問題の根本的解決に向けて、政治的・法的手段の強化をあらゆる方面から検討し、改革してゆかなければなりません。
 
日本がそうして真の主権国家としてこの問題に正面から向き合い行動を起こすことによって、日本国がかっての明治国家のように、主権国家としての矜持を取り戻していくことが、拉致被害者救済の鍵となります。


 
 
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トランプ氏、テロリストに撃たれる

2024年07月15日 | 国家論

 

トランプ氏、テロリストに撃たれる

 

今日のいつ頃だったか、ネットを見ていて、アメリカの元大統領で、この秋に再び現職のバイデン大統領を相手に再選を目指して選挙キャンペーンを行なっていたトランプ氏が、テロリストに銃撃されたというニュースが目に入った。

気になって検索してみると、耳から顔にかけて血を流しながら、シークレットサービスに取り巻かれているトランプ氏の写真が、誰かのツイッター(X)の中に上げられていた。さらに調べてみるとすぐに、同じ場面の映像のある動画で、トランプ氏が拳を上げながら、シークレットサービスに覆い隠されるように囲まれながら、そのままSUV車に押し込まれるように画面から見えなくなった。

この動画を見た限りでは、トランプ氏の命に別状はなさそうだった。先週にはテロリストに暗殺された我が国の安倍晋三元首相の三回忌が営まれたばかりだった。今は亡き安倍晋三氏もトランプ氏も、多くの敵対者を抱えていたことは知っていた。安倍晋三氏については、個人的にはどちらかと言えば「消極的な支持」という立場だったが、安倍晋三氏は「愛国者」であるとは思っていた。

この度危うく頭蓋を撃ち抜かれそうになったところを奇跡的に助かった元大統領のトランプ氏も、アメリカファーストと愛国者(パトリオットpatriot)を唱え、赤い帽子をかぶって、この日も「Make America Great Again」を唱えていたはずである。

トランプ氏の思想信条を知るには、氏が現職の大統領である時に国連で演説した時のスピーチがもっとも適当であるとかねて思っていた。ここで久しぶりにトランプ氏の政治的な信条を再確認するためにも、YOUTUBE に残っていた動画をこのブログにも記録して、できれば日本国民の一人でも多くの人に知ってほしいと思った。

トランプ氏はアメリカの次期大統領候補として有力であり、秋のアメリカ大統領選挙にもしトランプ氏が選出されれば、氏の外交方針は国際情勢に大きな変化をもたらし、我が国にも、もちろん改めてその適切な対応が求められるはずだからである。トランプ氏は「アメリカ第一主義アメリカファースト」を唱え、これまでもその同盟国に対しても自力防衛のための軍事費の負担増を求めてきた。

トランプ氏の国連演説の内容については、動画の字幕同時翻訳か文字起こし機能を使えば、そのおおよそのところは把握できると思う。

President Trump addresses U.N. General Assembly - FULL SPEECH (C-SPAN)

 

トランプ氏の政治思想の核心は、「国民国家の尊重」もしくは、その擁護にある。この政治的な立場は、反国家主義の立場にある人々からは、反感を買う。とくに社会主義、共産主義は「労働者は祖国をもたない」と主張する国際主義でもあるから、そうした政治的な信条をもつ人々からは憎しみを買う場合が多いようである。射殺されたテロリスト犯も、おそらく、そうした政治的な信条をもってトランプ氏を憎んだのだろう。

また、その一方で、GAFAと称される、Google社 やApple社、Microsoft、Facebookを運営するMeta社など、巨大な国際的な大企業は、その企業運営はグローバリズムとして、また社会主義や共産主義とは異なった立場から、国民国家の立場とは矛盾する場合が多い。

要は、「国民国家」を支持するのか、その伝統、文化、民族的な生活様式などを大切に保守していこうとするのか、それとも、反国家の国際主義か、グローバリズムの立場に立つのか、それによってそれぞれの政治的な立場は異なってくる。しかし、いずれの政治的、思想的な立場に立つにせよ、トランプ氏の暗殺を狙ったこの二〇歳の青年のように、暴力をもって異なる政治的思想的信条をもつ者の口を封じようとするのは、自由と民主主義に反する。

我が国においては、戦前から今日にいたるまで、学界、大学アカデミズム、マスメディアは、とくにマルクス主義の、すなわち共産主義の影響を深刻に受けており、そうした環境で教育を受けた多くの若者、青年たちは、国家主義者らに対してはいうまでもなく、たんなる「国民国家」への愛国者に対しても、嫌悪や憎悪といった感情、偏見をもつ場合が多いようだ。二年前に安倍晋三元首相を暗殺したテロリスト青年も、おそらくそうした一人だったのだろう。

 

 

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保守自由党と民主国民党による日本政治

2024年02月05日 | 国家論

 

保守自由党と民主国民党による日本政治


きのうの私のブログを見ると、このブログを立ち上げてまだまもない二〇〇五年の九月ごろに書いた『自由と民主政治の概念』という論考が「このブログの人気記事?」の筆頭に上がっていました。 ── その記事を書いてから早いもので、すでに二〇年近くも経過していることになります。

 ──その当時から現在の日本の政党政治の現実を見ても、現況はさらに悪化しており、その停滞と混沌ぶりは目に余るものとなっています。年明けてまもなく、清和政策研究会(旧安倍派)や二階派、さらに現在の岸田首相の総裁派閥である岸田派などの自民党のパーティー券収入にかかわる政治資金規正法違反があり、旧安倍派などにあっては、西村氏や 世耕氏などの幹部クラスが検察の槍玉に挙げられて政治生命すら失いつつあるような状況にあります。

その一方、日本を取り巻く今の国際環境は、ロシアのウクライナ侵略やイスラエル・ハマス戦争、さらに軍事的に脅威を増しつつある台湾有事の懸念など、日本のおかれた国際的な環境は、軍事的にも片時も揺るがせにできない緊迫した中にあります。また、日本の国内状況を見ても、令和六年の正月すぐに能登地方を襲った大地震など、その支援体制と復興に一刻を争う中で、緊急を要する国内行政でも効率的で迅速的な有効な諸政策が講じられていません。国内政治も外交も混迷を深めるばかりに見えます。これでは国民に安定した福祉と幸福な日常生活は望むべくもありません。現在の日本の政党政治の改革をなんとしてでもやり遂げて行かなければなりません。

 20年ほど前に書いた「自由と民主政治の概念」という私の論考においては、日本の政党政治が、基本的には自由党と民主党の二大政党によって担われていくことを主張したものですが、それは二〇年近くも経過した今もなお実現されていないのは、我が国の現在の政党政治の現実に見る通りです。この堕落した無能力の政党政治を改革しなければ、国民の生活もさらに劣化していくばかりで、また軍事国防においても外国からの侵略から国家主権と国民生活を守り切ることさえもできないと思われます。

まず、根本的に重要なことは、政治家たちも国民一人ひとりも、日本国の国家理念を、「自由にして民主的な独立した立憲君主国家、日本」を国家理念として、国家目的として自覚して、必要とあればそれに命をかけても追求していくことだろうと思います。

この国家理念の追求は具体的には、自由の実現は「保守自由党」の手で、また、民主的な国家社会の形成は「民主国民党」にそれぞれ中心的に担わせ、この国家目的を、この二つの国民政党によって追求し実現していくのが理想的です。その一方で、日本国民の一人ひとりが、我が国の政党政治の中から「全体主義的な政党」や「カルト政党」といった性格をもつ政党を排除していくこと、そうした見識をもって行動していくことです。そうして国民の一人ひとりの生活の安定と幸福に直結する日本の政党政治の改革につなげて行くことです。

 

自由と民主政治の概念 - 作雨作晴 https://tinyurl.com/28435ams

日本国の「国家理念」の定式化とその意義について - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/25bdu6pm

民主主義の概念(2)  兵役の義務 - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/29bmuz5h

§280 Zusatz.[君主と完成された国家組織体] - 夕暮れのフクロウ https://tinyurl.com/22qjuqx9

 

 

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牧野英一 著『最後の一人の生存権』

2023年07月19日 | 国家論

 

下記の文章は、テロに倒れた故安倍晋三首相の一周忌の翌日に、私の日記用のブログに記事として投稿したものですが、この哲学研究のためのブログにも、転記しておくべきとも思いました。というのも、表題こそ「牧野英一 著『最後の一人の生存権』」というものになってしまいましたが、そこで問題にしていることは、現実的な「国家論」であり、「憲法論」であるからです。とりわけ「国家の概念」を問題にしているからです。

これまでにも、GHQの占領期に制定された「現行日本国憲法」が歪んだ国家概念にもとづいたものであることは繰り返し主張してきましたし、むしろ「大日本帝国憲法」の方がはるかに正しい国家概念に上に制定された憲法だからです。

肝心なことは「正しい国家概念」を明らかにすることであり、国家概念の真理の上に憲法が制定され、その上に国家は構築されるべきものです。

故安倍晋三元首相などが主張していた、自民党の憲法草案などによっては、現行日本国憲法の不完全な国家概念も根本的に是正も改善もされずに、むしろ現在の国家のあり方の歪みが未来においてさらに固定され延長されてしまいます。

 

>>  <<  引用

 

牧野英一 著『最後の一人の生存権』 - 作雨作晴 https://is.gd/tJySg7

 

https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/8c/3b81d3ed51a3b7601f9b2ea4983a025f.jpg

牧野英一 著『最後の一人の生存権』 https://dl.ndl.go.jp/pid/926353/1/2

 

文献のデジタル化も最近では進んできて、明治や大正期の優れた学術書も、PDF などの文書の形式で、パソコンやタブレットで読めるようになっているようです。上記に挙げた、牧野英一 著『最後の一人の生存権』( https://dl.ndl.go.jp/pid/959929/1/35 )なども、ダウンロードしてタブレットやパソコンなどでも読めるようになっています。

ただ悲しいかな、読みたい本や読むべき本は無数にあるのに、そのための時間がほとんどないのが現状です。表題の本も半分ほどは読み進めましたが、時間の関係で途中で中断せざるを得ませんでした。しかし、いつかまたタブレットで再読できるように、Kindle やアップルの BOOK にダウンロードしておきました。

もし、こうした書物に興味や関心をもたれる方がおられるならば、ぜひ読んでいただきたいと思います。

そして、戦前の我が国の学術や文化を一律に否定、破棄するのではなく、学び継承すべきものは学び継承していきたいと思います。そうして国民の総力をあげて現在の我が国の学術文化の水準もさらに比類なきまでに高め、それが実現した暁には、戦後GHQの占領下に半ば強制的に作られた「現行日本国憲法」を廃棄し、忘れ去られた「大日本帝国憲法」を改めて見なおし検証して、私たち国民の主体性をもって、日本国民による日本国民のための「新日本(帝)国憲法」を制定していきたいものです。いまだ見果てぬ夢ですか。

今は亡き東大名誉教授の奥平康弘氏は「「天皇制」は民主主義と両立しない」と主張されていましたし、今なお憲法学の権威とされる樋口陽一氏は「天皇ロボット論」を唱えておられます。私などの立場からすれば、自著の憲法学術書をたとい背丈ほどに積み重ねられようと、こうした言説を主張される限り「樋口陽一憲法学」はそれ一発でアウト、と断ぜざるを得ません。ただ誤解のないよう言っておきますが、どのような言説、理論を主張されようが、それは彼らの「学問の自由」ではあります。

憲法の改正については、今の日本の憲法学会、「法科系アカデミズム」にはほとんど期待できないと思います。今日の学術会議、大学などの現状は見る通りです。また今日の教育では、憲法改正(悪)を唱えた故安倍晋三元首相に対しても、若者たちにテロ行為に走らせることができても、止めることはできませんでした。

なお、現在さまざまな政党や新聞社、学者たちなどから提案されているような憲法草案を見る限りは、改正というより改悪になりかねず、「下手に憲法改正しない方がいい」というのが私の今の立場です。

選挙の応援演説中にテロに倒れた安倍晋三元首相、一周忌の翌日に。

 

 

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