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夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

2025年01月08日(水)11 tweets(尾高朝雄と宮沢俊義との論争)

2025年01月09日 | ツイッター

 

使い勝手の悪くなった、X(ツイッター)


以前、現在の X が まだ Twitter と呼ばれていた時は、興味のある本を読んでいるときなど、読書ノートの代わりに Twitter でメモをとっていました。けれども、Twitter が X に変わってからは、このGooブログとも連携できなくなってしまい、せっかく X(ツイッター)で読書ノートとしてポストしても、このGooのブログに自動的に記事としてまとめて記録できなくなりました。しかし、何か方法もありそうなので、投稿した私のツイートを別にまとめて、このGooブログにも記録しておくことにしました。

ツイッターの投稿が自動的にGooブログにまとめて記録されていたことを考えると、手間もかかります。Twitter が X に変わってからは、確かにTwitter時代に比べて検閲などがなくなり、言論の自由度は増したかもしれませんが、API の自由な活用ができなくなるなど、ツイッター時代に比べて、X の使い勝手はとても悪くなったと思います。もっと簡単に、X(ツイッター)の投稿を自動的にまとめ記事として記録していく方法がないか調べていきます。

 

2025年01月08日(水)11 tweets

21時間前

赤尾 秀一@soratine

そうした宮沢の憲法学は、東大法学部中心として、奥平康弘氏や樋口陽一氏らに受け継がれて、現在に至るまでの戦後日本におけるリベラルな憲法学の源流となっている。

posted at 20:45:50

 

21時間前

赤尾 秀一@soratine

一方で、宮沢俊義の憲法観は、その本質において、日本の敗戦とその後のCHQの日本改造政策に便乗した保身的なものであったといえる。とくに彼の主張したいわゆる「八月革命説」などがそうである。

posted at 20:45:03

21時間前

赤尾 秀一@soratine

いずれにしても、この尾高朝雄と宮沢俊義との間に繰り広げられた論争についても、両者のいずれにも、その議論の前提にヘーゲルの「法の哲学」の素養を欠いていたという点において、きわめて不十分なものであったと言わざるを得ない。

posted at 20:44:24

 

21時間前

赤尾 秀一@soratine

ここで尾高朝雄が宮沢との論争を、「第六章と第七章として再録した」と書いているが、第六章の表題は「ノモスの主権について」であり、第七章の表題は「事実としての主権と当為としての主権」となっている。

posted at 20:43:42

 

21時間前

赤尾 秀一@soratine

私は、この機会に、宮沢教授の学恩に対して重ねて感謝すると同時に、議論の一方である私の主張だけをここに収録したことの非礼につき、教授の海容を乞いたい。」 >> << 引用終わり

posted at 20:41:30

 

21時間前

赤尾 秀一@soratine

この論争は、単なる議論のやり取りである以上に、主権の問題を探求する上で、若干の建設的な意味をもっていると思うので、旧著の改版を出すにあたり、私の二つの答えを、第六章及び第七章として再録することにした。

posted at 20:39:53

21時間前

赤尾 秀一@soratine

国民主権と天皇制についての私の主張に対して、その当時、宮沢俊義教授が二回にわたって懇切な批判を加えられた。これに対して、私も、私の立場を明らかにするために、その都度答えを書いた。

posted at 20:39:25

21時間前

赤尾 秀一@soratine

国民の厳粛な信託を受けて、実際の政治に携わる政党人にとって、その心構えがとくに必要であることは、いうまでもない。そういう角度から、国民主権ということの意味を考えなおすためにも、ここで私のかつての発言をもう一度くりかえして見たいと思う。

posted at 20:37:43

21時間前

赤尾 秀一@soratine

今日の日本の議会政治は、筋の通らぬことがあまりにも多すぎる。これを是正するためには、さまざまな現実的な配慮が加えられなければならないと同時に、国民の政治的行為に公共性もしくは道義性の筋金を入れることが、ぜひとも必要である。

posted at 20:36:54

21時間前

赤尾 秀一@soratine

尾高朝雄は自らの本『国民主権と天皇制』の序言の中で次のように書いている。 >> << 「終戦後の日本は国民主権の下に議会民主制を実行してきたのであるが、その実態は、今までのところ、はなはだ香しくない。民主政治も現実政治である以上、筋の通らぬ駆け引きがともなうのは、やむを得ないが、

posted at 20:36:22

1月8日

赤尾 秀一@soratine

日本の鉄鋼を潰して中国の世界トップを維持させるバイデン大統領のUSスチール買収禁止令(遠藤誉) - エキスパート - Yahoo!ニュース is.gd/uUkwNB

posted at 15:00:01

 

 

 

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明けましておめでとうございます

2025年01月05日 | 日記・紀行

「初夢図」

「初夢図」は、白隠禅師が「一富士、二鷹、三茄子」をモチーフにして描いた禅画です。今年の年賀状は、この絵を素材に使わせていただきました。

この「初夢図」には、次のような意味が含まれているそうです。「富士山」は禅の不動心や悟りの境地を、「鷹」は禅の精神的な高揚や集中力を、「茄子」にはその具体的な成果や実りが、それぞれ象徴されているそうです。三つ目の茄子がなぜ白いのか私にはわかりません。禅的には「無心の境地で得られる実り」と解釈されているそうです。

白隠 慧鶴(はくいん えかく)1686年1月19日(貞享2年12月25日) - 1769年1月18日(明和5年12月11日))は、臨済宗中興の祖と称される江戸中期の禅僧。諡は神機独妙禅師、正宗国師。


※出典

白隠慧鶴(はくいん えかく) - 
Wikipedia https://is.gd/qv7VK3

 

 

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