夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

4月22日(日)のTW:#尾高朝雄、#国際連合、#国際法

2018年04月23日 | ツイッター
 
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2018年、平成30年の春

2018年04月04日 | 国家論

 

今年の春は、花の季節に晴天が続いたために、花見時に雨に降られた昨年とは異なって存分に花を楽しむことができました。人間世界とは異なって、自然界は法則通りに、汚れなき美しさを今年も見せてくれます。しかしここに写真に記録した花の姿もやはり現実の面影には及びません。

日本の「生命の樹」である桜が見事に開花してその壮観さを見せてくれている間にも、我が国の政局は「森友・加計騒動」で明け暮れて内向きになってしまって、さらに深刻な北朝鮮をめぐる国際情勢の新たな展開などにも的確に対応してゆく余裕すらなく、置いてけぼりを食っています。

野党の体たらくは、与党に輪をかけてひどいと思います。批判は易しく創造は難しい。現在のだらしのない安倍自民党政権にすら、その経済政策、外交の力量において乗り越えることのできない現在の野党の無能力ではどうしようもない。これでは国民は安心して野党に政権を任せることはできません。民主党政権の三年間の日本の深刻な低迷が、国民の間にひどいトラウマとして残っています。かってあれほど定評の高かった日本の官僚たちの資質と能力も地に落ちているようです。

私のブログの論考なども少しは参考になると思うのに。「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」としての日本国の理念、イデーに国民が命を捧げ戯れるならば、今年の春の桜のように日本国の壮観は永遠です。まず神の国を求めよ。そうすれば必要なものはこれに加えて与えられると言います。私にとっても、もうこれ以上の理念(イデア)はないと思います。しかし、このイデーを見失って日本国民は、いま惨めにも腐敗と堕落のうちにさすらっています。

 日頃行き来する通い慣れた道すがら、岩倉川沿いから高野川の川端通へと抜け、さらに賀茂川の荒神橋近くまで、冬枯れた木立の頃から赤く芽吹いた蕾へと、さらに一気に満開を迎えた桜並木が延々と続きます。行き来の途中に撮りためた写真でスライド動画を作ってみました。もう少し慣れればうまく編集もできるのでしょうが。音楽の著作権の関係から無断使用のクレームがあればこの動画も見れなくなるかもしれません。使わせていただいた曲は森山良子さんの「ガラス色の午後」です。

2018年、平成30年春

 

斎王桜  

 

 

 

 

 

 
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